テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

開設:2006-05-25 (通年 4単位 3年以上 選択 江古田校舎 放送学科専門科目)

日本大学藝術学部放送学科「放送特殊研究V」(担当講師/坂本 衛)のブログ。2017年度のテーマは「放送・報道における日本語表現の研究」です。

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報道に顔写真は必要?NONFIX 表現の自由 2006-08-13

少し前の番組ですが、報道と写真を考えるうえでこの番組を外すことはできないと考え、取り上げることにしました。非常に考えさせられる内容です。

∇番組データ

番組名:NONFIX
シリーズ憲法~第21条・表現の自由「表現の自由と責任を取材の現場で考えた」

放送局:フジテレビ

放送日:2005年5月10日(火) 26:28~27:23

番組ジャンル:ドキュメンタリー

番組ホームページ↓
http://www.fujitv.co.jp/nonfix/index2.html


∇番組内容(ホームページから抜粋)

 真実の追求と取材される側の人権。報道の意義とスクープ合戦にみられる競争。憲法に保障された表現の自由を我々は取り違えていないか?「表現の自由」と「報道の自由」は何が違うのか?現場で取材にあたる報道の記者を通してテレビ報道について再考したい。

 事件が起きてまず必要とされるのは容疑者・被害者の顔写真だ。その写真を得るために記者は様々な難局にぶつかりながらも走りつづける。彼らはどんな躊躇をし、どこで線引きをしながら取材にあたっているのか?そこに人権侵害はないのか?
 会社としての取り組みはどうしているのか?顔を映さない取材、これは過度な自主規制なのか?そもそもモザイク処理はオウム事件から激しくなった。また海外メディアは日本のモザイクをどうみるのか? どうしたらマスコミ不信がなくなるのか?表現の自由・人権の間で最善の取材とは何なのか? 取材は引けない、でも考える事を止めてはいけない。
 テレビ報道にとって避けて通れないテーマ。冷静な目線で現場を見る事で起きる苦悩・自己矛盾・葛藤こそが、メディアとして21条を考える事になるのでは?


∇番組の流れ
フジテレビ報道局・社会部記者
上法 玄(じょうほう はるか)27歳入社4年目
を追いかける形で番組は始まる。
彼のいつもの朝一番の仕事は、出勤する警察官を待ち受け話を聞く【朝回り】から。
*朝回り・・朝、取材対象を自宅前で待ち受ける取材
この日は話は聞けず。
日本国憲法二一条の説明
1、集会結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2、検閲はこれをしてはならない。通信の秘密はこれを侵してはならない。

ナレーション
様々なニュースをペンとカメラで記録し、伝えてきたマスコミ・報道機関にとって報道の自由は社会の異変を伝え、権力の不正を暴く際の大きな後ろ盾になってきた。だが、報道機関は自らその後ろ盾を傷つることななかったのか?憲法の後ろ盾に守られた自分達の取材のあり方がどうあるべきかについて、いま悩んでいる。

東京・練馬区 アパートで3歳の娘を虐待し、死なせた母親が逮捕された。
上法は【地取り】と呼ばれる聞きこみを開始する。
*犯人の足取りを調べること、転じて記者が事件現場周辺を歩いて取材すること
マイクを向けられた側の気持ちとは?
アパートの住人
「やっぱり嫌ですよね正直。でも隣に住んでるんだから、まあ仕方無いのかなという感じで答えてたんですけど」

女児が通っていた幼稚園の園長
「困りますね。取材だから、あるいは報道をすることで次の犯罪の抑止になるとかそういう理屈は分かるんだけれども・・・」
取材する側と取材される側、表現の自由の元で取材する側のマスコミは真実を伝えようと懸命だ。しかし時として取材される側に傷を負わせてしまう。

フジテレビ前で他局に逆に取材されてしまう(ライブドア報道について)
取材される側の二つの恐怖
1、突然マイクを向けられることへの恐怖
2、自分自身がたくさんの人へマイクを向けてきた恐怖

東京・墨田区の病院(04年末)
入院中の男が同じ部屋の患者ら3人を刺し、2人が死亡する事件が起きた。
上法は地取りを開始する。写真が欲しい上法。容疑者や被害者の写真は、かつては警察から配られていたが、人権配慮から現在はマスコミが独自で入手している。写真は記者の能力、努力の結果として評価される。

写真は前の男が関係していた会社にあった。
写真1枚にかける激しい競争、それがあるのと無いのとでは事実の重みが違う。

霞ヶ関のフジテレビ警視庁記者クラブ 畳12畳ほどの広さに8人が常駐する。早く正しく確信をつかむ報道、それには警察の情報を得ることと同時に被害者や犯人、関係者の写真や映像を他社より早く多く入手することが求められる。

さいたま市・ドンキホーテで放火事件
近くの住宅街で地取り取材。亡くなった3人の従業員の顔写真を求めてさまよう。だが話さえ聞いてもらえない。
被害者や関係者に写真を求めることについて?
(下を向いて)上法「いたたまれないですね。でも躊躇してたらはじまらない。自分達がやっていることがいい加減ではないということの証というか、そういうものだと僕は信じている。」

結局写真は見つかり夜のニュースで流れる。

報道局員に配られるテレビ報道人ハンドブックから
「報道される側の心の痛み、人権に配慮し善意の国民を傷つける凶器とならないよう節度ある対応が必要です。」

茨城県・土浦市
28歳の男が両親と姉3人を殺害し逮捕された。
フジテレビ報道センター。社会部のデスクはここから現場に直接指示を出し、届いた映像を編集し放送する。
ここでも聞こえるのはやはり写真の重要性。

他社が見つけた犯人の顔が映った高校の卒業アルバムに群がるマスコミ各社。
現場の記者「ただ必死。僕らは批判されてもしょうがない立場。」

最後まで見つからなかった姉の写真をフジの記者が独占入手
「他社がいるところではなるべく走らない。独占ですから」

マスコミ各社の競争、それは新たな事実を突き詰めて行く一方で、人権への配慮とバランスをとることを難しくする。

だが、そうしたことに異議を唱えるテレビ局がある。
兵庫県・神戸市 サンテレビは全国ネットワークには属さない独立局

事件報道への新たな取り組み
サンテレビ報道部「名前や写真というよりも、なんで殺されたのかのほうが関心が高い。ウチはこれ以上の取材は考えていない。」
ある殺人事件で他社が実名報道する一方、サンテレビの報道は実名を出さなかった。サンテレビがすべて匿名というわけではない。ひとつひとつ関係者
のことを考えその都度、慎重に判断する。

取材する側とされる側、その関係が少しずつ変わっていく。
サンテレビはその関係に一石を投じた。


~以後人権、プライバシー、モザイクの扱いについてなので省略~

結論

写真は結局、各テレビ局の勝ち負けになっている。
でも写真が無いのはそもそも負けなのか、突き詰めると負けではないが、今のテレビ局の競争によると負けになってしまう。放送で知り得ないところで各社が責めぎ合う、そこが一番むずかしい。事実の追求か、人権への配慮か。


この番組は今まで知り得なかった事件報道の裏側が見られて非常に勉強になり、またショッキングでもありました。
事件報道がどこまで許されてどこでストップをかけるのか、その大きな課題は今後もずっと続いていくのでしょう。
私の考えとしてはやはり事件報道に写真は必要だと思います。犯人の顔を具体的にイメージできるのとできないのでは、やはり事件に対する見方は大きく変わってくると思います。このような事件が世の中のどこかでこのような人達が関わって起こったということを世に伝えるためには、真実を伝える意味でやっぱり必要でしょう。
しかし、遺族感情や本人のプライバシーなどを考えたとき、どこまでが許されるのか、それはもうテレビ局の競争ではなく、写真を扱う各報道記者の人間性にかかっていると思います。


【山田健人】

コメント

はい、お疲れ。

はい、お疲れ。

> 私の考えとしてはやはり事件報道に写真は必要だと思います。

そうだろうか? 必要な場合もあるし、必要でない場合もあるのではありませんか? 必要か必要でないかという二つに一つの回答が出るような問題とは思えないのだが。

> 真実を伝える意味でやっぱり必要

と山田健人さんはいうのだが、容疑者はこういう顔だと、何年も前の、現在とはすっかり姿形が変わってしまって見る影もない、卒業写真の顔を見せられて、何か「真実」が伝わると思いますか?

> 犯人の顔を具体的にイメージできるのとできないのでは、やはり事件に対する見方は大きく変わってくる

というその「見方」は、かえってとても曖昧な、危うい見方なのでは? その犯人の顔は、とてもハンサムかもしれないし、とても不細工かもしれないが、そのことによって事件に対する見方が変わってしまっては、具合が悪いとは思いませんか?

ところで、みんな本格的に夏休みなのか、コメントが少ないですねえ。授業で各人週三つくらいコメントを書けといい、そのくらい書けるだとと聞いたら、全員がそのくらいは書けるといっていたが、何なのだ? 「書き込みしないヤツには単位をやらない」と言わないと、学生諸君の書き込みは期待できないのかね。

>坂本先生へ
私は基本的に゛事件報道゛には写真は必要なことだと思います。もちろんその度合いは考えないといけませんが、先生が考える写真を使う使わないの線引きはどこらへんだと思いますか?

ハンサムだろうとブサイクだろうと、事件の内容を正しく伝えてさえいれば犯人に対する気持ちは変わらないのでは?

写真の必要性

このような番組は初めてだったので、内容を読んでとても興味深かったです。
やはり、みなさんマイクを向けられる事に抵抗を感じているのですね。

私は写真を出した方が良いのか、出さないほうが良いのか良く分かりません。
ただ凶悪犯の場合、刷り込まれるぐらい写真が出回りますね。
その犯人が将来出所した場合の事も思ってしまいます。
さらに、山田さんも書かれていましたが、写真で事件のイメージもかなり変わってくると思います。

この間起こった事件で、犯人の写真はとてもまじめ風なものが出回っていましたが、ある時、犯人のイメージを覆す写真をテレビで見ました。その時、事件のイメージがガラッと変わりました。
ただ、事件は事件であり、いろいろな理由、様々な背景があります。どのような背景があるのか分らないのに、事件を写真でイメージするのはどうなのかと思います。

山田健人さんへ

一年以上も前の番組を取り上げたことに、
並々ならぬ想いを感じましたよ。

僕は、犯人の写真に関しては必要だと思います。
それもなるべく最新のもの。
凶悪犯罪を犯した人間の顔は広く知られる・・・
ということになれば、犯罪の抑止に繋がると思うからです。

>事件報道に写真は必要だと思います。
>犯人の顔を具体的にイメージできるのとできないのでは、
>やはり事件に対する見方は大きく変わってくると思います。
写真が事件の見方を変える部分も多少はあるでしょうが、
それを目的として写真を使うのは、僕は少し疑問ですね。

>ハンサムだろうとブサイクだろうと、
>事件の内容を正しく伝えてさえいれば
>犯人に対する気持ちは変わらないのでは?
うーん、どうでしょうか。
例えばですよ。犯人が、ものすごい美少女だったりしたら?
無条件でその犯人を支持する男性が現れるかも。
極端な話、アイドル化するかもしれません。
そうなるとマスコミの取り上げ方まで変わってくるのでは。
場合によっては、事件のイメージが変に歪んでしまう恐れがあると思います。

それぞれの

「世は好縁社会」と言ったのは堺屋太一でしたが、インターネット出現によって親しい人が身近にいる人だけとは限らなくなりました。そんなわけで2日以上外出するときはパソコン持参が欠かせなくなった私です。皆さんはそういうことはされないのでしょうか。
 さて、文中に出てきたサンテレビは、兵庫県南部地震(思うところあってそう表現させていただきます)のとき「センセーショナルな映像を繰り返し放送しない」「取材の際は、被災者への配慮を怠らない」と方針を定めたといいます。これが現在の報道姿勢につながっているのではないかと私は思います。(この方針を含めた震災の記録はサンテレビのホームページにあります。)
 人権への配慮という点では青森放送(RAB)のほうがずっと進んでます。RABは日本で最初のローカルワイド番組を作った局ですが、取材時や放送時の人権配慮という点でキー局より早く方針を内外で打ち出しているという点でも先進的です。青森放送は「系列とは関係ない」サンテレビとは違い「他系列」ですので今回の番組では取り上げてられないようです(フジから番組をたくさん買ってはいるので、その意味では関係が深いはずですが)。

見方が変わる? 変わらない?

> (事件報道に写真は)必要な場合もあるし、必要でない場合もある【坂本衛】

> 私は基本的に゛事件報道゛には写真は必要なことだと思います。もちろんその度合いは考えないといけません【山田健人さん】

上の二つ、ほとんど同じ意味じゃん。たいして重要でない事件の容疑者の顔写真が必要ないなんてことは、議論の余地がないと思うけどね。だって、新聞のほとんどの記事には、写真がついていないではないか。

で、最近の写真が手に入らなかったからと、たとえば30歳すぎの容疑者の中学校卒業時の写真を出すことに、何の意味があるのだ?

> 犯人の顔を具体的にイメージできるのとできないのでは、やはり事件に対する見方は大きく変わってくる【山田健人さん】

> ハンサムだろうとブサイクだろうと、事件の内容を正しく伝えてさえいれば犯人に対する気持ちは変わらないのでは?【同】

ハンサムかブサイクかは「事件の内容」なんですか? それは「必ず伝えるべき事件の内容」なのだろうか? プール排水口事件のときは、多くの者が被害者のプライバシー映像は事件と関係ないから不要とコメントしていたと思うが、容疑者の顔がどんなものであるかは、事件とどのような関係があると思いますか?

それと、山田さんは顔写真を「つける」「つけない」によって事件の見方が大きく変わるが、顔写真が「どのようなものであるか」によっては事件の見方は変わらない、と主張している。この主張、おかしくない? 見方が何も変わらないなら、写真を付ける意味がないのでは? 見方が変わらないなんてことはなくて、報道の一字一句、報道写真の一枚一枚は、視聴者や読者の見方に何らかの影響を与えると思いますね。なんら影響しないなら、時間とカネのムダだから、やめちまえばいい。

坂本先生へ

>で、最近の写真が手に入らなかったからと、たとえば30歳すぎの容疑者の中学校卒業時の写真を出すことに、何の意味があるのだ?

そりゃあ今と全然違うであろう昔の写真使うことに意味なんてそんなに無いと思いますよ。最近のテレビ見てて「いつの写真だよ!」って突っ込むことの方が多いですし。マスコミも仕方ないんですよ。
でも具体的に顔をイメージできるだけで、事件の見方は変わりませんか?
それとどんなヤツが事件起こしたのか気になるのは人間の性じゃないですか?しかもその事件起こしたヤツがこの世にいる証拠ぐらいにはなるんじゃないですか?
早い話が警察が写真を出せばいいいんですけどね

>ハンサムかブサイクかは「事件の内容」なんですか? それは「必ず伝えるべき事件の内容」なのだろうか? 

それは元々私が定義したことではありませんよ。ハンサムかブサイクか、そんなことはどうでもいいことであって、問題はマスコミが事件の内容を正しく伝えているかどうかって言ってるじゃないですか。殺人犯がものすごい美女だからといって誰が同情するんですか?するとしたら一部のアホだけじゃないですか?
もしそうなったらマスコミの報道のあり方を問うべきでしょうね


しかもこの質問よくわかんないんですが?

>プール排水口事件のときは、多くの者が被害者のプライバシー映像は事件と関係ないから不要とコメントしていたと思うが、容疑者の顔がどんなものであるかは、事件とどのような関係があると思いますか?

ん?先生が問いたいのは被害者のことですか?容疑者のことですか?
そもそも、この「事故」に容疑者はいるんですか?管理者のことですか?(管理者は明らかに罰せられるべきである、だから容疑者と表記しても決して間違いではないが、まだ容疑者になっていない。)

被害者、容疑者どちらの写真を使うべきか書いていなかったので改めて。
″基本的″に容疑者に写真は必要でしょう。
でも被害者にはそれほど必要無いと思います。今回のプール事故は過去の映像引っ張り出しすぎて事件の関係の無いところで盛り上がってしまっていた。被害者の女の子をせめてもの悲劇のヒロインに仕立て上げたかったという気持ちも分からないでもないが、マスコミは大いに反省するべきでしょう。

もちろん変わるよ。変わるからこそ危ない

> 具体的に顔をイメージできるだけで、事件の見方は変わりませんか?【山田健人さん】

もちろん変わるよ。変わるからこそ危ないと、最初からいっている。容疑者の子どもの頃の写真を「とにかく顔首写真が必要である」という理由だけで機械的に付ける(多くのメディアはそうしている)のはよくない、それはメディアの思考停止を意味する、よく考えてどうしても必要と思うときはつけよ、というのが坂本の考え。

> 問題はマスコミが事件の内容を正しく伝えているかどうか【同】

そう。事件の内容が正しく伝われば、どうでもいい容疑者の顔写真なんて必要ない。「それとどんなヤツが事件起こしたのか気になる」という、大衆の漠然とした興味に応えるくらいの意味しかない。

古すぎる写真の場合は、実は「どんなヤツ」かを伝えることにもなっていないのだが、大衆はなんとなく気が済んでいるというだけのこと。その古い写真で伝わることは「事件の内容とは関係ない」場合があるだろう(もちろん容疑者・被害者どっちを問わず)といっている。容疑者の赤ん坊のときの写真は意味がない(事件の内容とは関係ない)のは明らかで、幼稚園の写真も小学校・中学校の写真も、やっぱり事件の内容とは関係ないと考えるのが当たり前だろう。

> 早い話が警察が写真を出せばいいいんですけどね【同】

話はそう簡単じゃないと思うね。写真の提供を警察にまかせると、警察は「出す」「出さない」を恣意的に操作するから。

それから、加藤紘一実家の放火犯(容疑者)の顔が全然出ないし、全部調べたわけではないが、新聞も名前を出していないところがあるね。なぜかといえば「おっかないから」(右翼を刺激したくないから)だろう。

つまり、メディアは「事件報道に容疑者の写真が必要である」なんて原則を、厳密に適用しているわけでもなんでもない。上司から「何がなんでも顔首を取ってこい」かなんかいわれてやっているだけ。ご都合主義で、出さないほうがよさそうだと思えば出さない。

にもかかわらず、写真の入手に妙にこだわり、他社に勝った負けたと、業界の内輪の慣行・競争に血道をあげていることが、メディアには少なからずある。

注目を集めている裁判で、判決が出ると裁判所入り口まで駆けっこして、「判決が出ました!」とかいうのもその一つ。10秒20秒他局より早くても、視聴率も関係ないだろうと思うのだけれどもね。

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