テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

開設:2006-05-25 (通年 4単位 3年以上 選択 江古田校舎 放送学科専門科目)

日本大学藝術学部放送学科「放送特殊研究V」(担当講師/坂本 衛)のブログ。2017年度のテーマは「放送・報道における日本語表現の研究」です。

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お得意なセンセーショナル報道 2006-08-01


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8月1日NHKにて放送「NHKニュース 7」


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ここ数日大騒ぎになっているプール排水口事件


shibou
少女は救助され6時間後に死亡しました。


kenshou
そして警察による検証が始まり



ここまでは普段よえく見る報道の仕方でした。



突然途中に彼女が通っていた小学校に切り替わり
school
なぜか被害者が『ピアノが得意だった』というテロップ出ていて。


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そしていきなり被害者の担任、奥住教諭が被害者の性格を語り始め。


principal
あげくの果てには校長先生まで出てきてしまう。
しかもまだピアノが得意だったとのテロップが…。



NHKは一体ないがしたかったのだろうか?番組枠の穴埋め?
プール事故に被害者の背景を語る必要性があるのだろうか。



もっと取材するべき人物はこの人なのでは?
kanri
プールを管理していた管理会「太陽管財」の社長
社長さんの会見はしどろもどろでした。



現地の記者にも突っ込まれていましたが。
「事実としてあったよう」とは?

あきらかに何も知らない。適当。

後ほど読売新聞の報道では
太陽管財はプールの管理を下請け企業へ丸投げ
(埼玉市に了承をとらず違法に)していて


「管理体制の不備や責任のあいまい化」を指摘されていた。


少女が亡くなってしまったのはとても残念です。
しかし、この報道の仕方には明らかに情緒的に
とってほしい報道側の意図があると感じました。

皆さんはこの事件どうみてましたか?
やはり同情の目で見てしまいましか?



●番組データ
番組名/NHKニュース7
放送時間/毎日 7時~
放送局/NHK総合
出演者/末田正雄




【座間 康平】

コメント

わたしには不愉快です

別項では、座間さんへの疑問を提示しましたが、この案件について
は、そのとおり、と拍手。NHKのニュースは見ていませんが、各
局、かなりの扇情的報道姿勢、わたしも、不愉快に思っています。

報道側への疑問は尽きません。たとえば、校長のコメントが必要な
のか。通常、100人なり200人なりは在籍しているであろう学校の、
一生徒の身上など、知るはずもないだろう。通り一遍の「感想」を
述べるしかあるまい。そんなものを報じる必要がどこにあるのか。

また、学芸会か何かでの、被害者の「演技」を、繰り返し流す。そ
の必要性も、わたしにはわかりません。テレビ局は、「こんなにも
可愛い子だったんですよ」と煽りたいのか。それで何を得る?

そもそも、このビデオ、どうやって入手したのだろうか。事件後、
すぐに流れ始めた。被害者の親または親族が渡した? わたしにか
ぎれば「まさか」と思う。子どもを亡くした直後に、そんなこと、
できません。

同級生の親? ありえますね。でも、何故? 謝礼金目当て? だ
としたら、まだ赦せます。理由が明確だから。でも、そうではない
としたら、なんのために? 被害者への同情を買うためには当然の
ことなのでしょうか。なんとも不可解です。

もちろん、いまのところ、報道側は、この事件の責任の所在につい
て厳しく追及しています。ですから、扇情的な姿勢は見逃しがちか
もしれません。でも、年々、その煽り方は激しくなっていると感じ
ます。

可愛らしい子が被害者だから大々的に報道するのか。もし被害者が
独身のハゲ面の無職の中年男で如何なる「らしい」画像もなかった
ら、「ベタ記事」にしてしまうのか。

いわゆる「プライバシー報道」の典型

これは、最近テレビ報道のうち、多くは亡くなった被害者をめぐって、その生前の様子、人となり、エピソードなどを紹介するいわゆる「プライバシー報道」の典型例ですね。

このジャンルは昔からあって、よくあるのは卒業アルバムの作文を紹介するもの。新聞では被害者の顔写真が必須とされ、記者がアルバムの入手を図り、うまい具合にそれに手書き文字の文章が載っているので、記事に使うことが多かった。なお、必ずしも被害者でなく、容疑者についての写真や記事の場合もある。

ところで、最近ではビデオムービー、デジカメの普及や、ホームページ、ブログの普及によって、被害者の写真や動画がある場合が多く、学芸会や運動会における被害者の生前の様子がリアルに紹介されたりします。

尼崎の列車事故のときも、亡くなった被害者のプライバシー情報が氾濫し、全員が何か夢を持って一生懸命それを実現しようとしていたすばらしい人びとのように見えた。靖国神社についての議論でもわかる通り、日本では亡くなった人は全員がいい人で、全員が残念な人なわけです。

私は、事件の悲惨さ、重大さを強調するために、どんな人が被害にあったかを伝えるプライバシー報道を、まったくやめるべきだとは思いません。

しかし、問題はバランスです。事故の原因追及、責任追及、再発防止に向けた取り組みの紹介、提言などと比べて、プライバシー紹介のウエイトがあまりに大きい(長く時間をかけている、順序やアナの発言などから強調の度合いが強い、など)ものは、問題であり、やり過ぎと批判されてしかるべきだと思います。

この点、座間さんの記事では、ウエイトのかけ方のバランスがいまひとつわからない。VTRを録ってあるなら、検証し直してください(たとえば時間を計り、メモする)。また、

> プール事故に被害者の背景を語る必要性があるのだろうか。

と書いているが、100%背景を語る必要がないという意見? それは違うのでは?

ところで、あのアルミ製の格子は「ふた」なのか? ふたは、通常は全部覆って塞ぐものなのでは? 手を挟まないように、あのような格子がついているものは少なくないが、みんなあれを「ふた」って呼んでいますか?

あと、四隅を針金で止めていたというね。通常は水を吸い込んでいる、つまり格子を吸い付ける方向に圧力がかかっているから、何もしなければ針金は外れないでしょう(錆びていたのでシーズンはじめに針金を全部取り替えたという話もある)。ということは、私は、誰かが、あの格子につかまってガタガタ揺らすとか、場合によっては針金を外した可能性がおおいにあると思う。

いまごろ、とんでもないことをしてしまった、いつ警察が捜査に来るだろうと、ビクビクしている人間が、何人かいるのでは? 管理会社も問題だが、人の命にかかわるようなバカないたずらをしたヤツがいたかもしれないことも、これは問題なのでは?

それから、記事の書き方で注文。

●誤植が多い。丁寧にチェックして直しなさい。他者を批判する文章に、字の間違いがあってはならない。

●画面写真は必要最小限にとどめなさい。最初の番組ロゴは削除しなさい。内容の紹介に必須ではないから。また、写真はもっと小さく、目立たないように。著作権についての無用なトラブルを避けるため。

●当ブログでは、緑色の字はリンクを表す。リンク以外の強調文字は別の色を使いなさい。

以上、よろしくね。

「プライバシー報道」も変容しているのでは

坂本先生、わたしも「プライバシー報道を、まったくやめるべきだ」と主張するつもりはありません。しかし、「昔」は顔写真しかなく、つまり静止画です。対して、いまや動画が主流になりつつあり、その(心理的)効果の比較は重要ではありませんか。

子ども嫌いのわたしでも、可愛らしい仕草で演技をする光景は微笑ましく、ついつい感情移入してしまいがちです。無条件に「いいひと」と見なしてしまいそうになります。今回、どうやら、被害者に過失はないようですが、第一報段階では、ふとした悪戯心で「ふた」を外した可能性もあるのではないかとの疑いを、わたしは持っていました。

メディアは最近、答を急ぎすぎではありませんか。それも、単純な勧善懲悪で。新聞は、それでもギリギリ、活字=論理の媒体ですが、テレビは、そもそも情緒的な媒体です(と言い切るわたしは活字畑です)。

ワイドショーなどでは、事件の説明や解説者のコメント時にも被害者の生前の様子を繰り返し流しています。明らかに「やりすぎ」だと思います。もちろん「バランスの問題」です。でも、その基準が、静止画中心の「昔」のままでは、いささかまずいのではありませんか。

音声も含まれる動画による情緒的訴求効果の強く、そのうえ訳のわからない「テロップ」が入り、恣意的なナレーションすら加わる現在、そのバランスの基準を厳しく再検討することは、テレビ報道を考察するとき看過しにくい大切なポイントになったと、わたしは思います。

蛇足ながら、小生がジャーナリズムの世界に踏み入れたとき、大手新聞の記者だった上司は、被害者の顔写真(ガンクビと呼んでいました)を手に入れることが、駆け出しの越えなければならないハードルだったと述懐していました。嘆き悲しむ遺族に「写真を」と頼むのは誰でも辛い。その辛さを知って初めて事件を報道することの大切さも知るのだと、教えられました。

プライバシー報道

わたしも座間さんと同じようなことを思いました。
例えば、一つの小学校時代の作文を取り上げるにしても、加害者の作文は取り上げるべきだと思いますが、被害者の作文の必要性があまり感じられません。先生が、「問題はバランス」と書かれておりますが、加害者の過去や性格や周囲からの評判の方が多く知りたいと思います。
その理由はいまいち自分でもわかっておりませんが、もしかするとただの好奇心の一部からそう思うのかもしれません。

感情増幅装置によるプライバシー報道

> いまや動画が主流になりつつあり、その(心理的)効果の比較は重要ではありませんか。【外野席kさん】

たいへん重要です。たとえば、「『感情増幅』装置としてのテレビ
――テレビは、なぜ感情を増幅するか?」
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/mamos/tv/kanjyou.html

あるいは「テレビの原理と放送局(テレビとは? 地上放送局とは?)」
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/mamos/tv/tvtoha.html

> その基準が、静止画中心の「昔」のままでは、いささかまずいのではありませんか。【同】

いささかどころか、ムチャクチャまずいと思いますね。

テロップについては、「氾濫する字幕番組の功罪」
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/mamos/tv/jimaku.html

もちろん、必要な「プライバシー報道」もある

小学校時代の作文を取り上げるにしても、加害者の作文は取り上げるべきだと思いますが、被害者の作文の必要性があまり感じられません。【高濱 綾乃さん】

そうかね? じゃ、加害者であって同時に被害者の人の作文はどうすりゃいい? さんざんいじめられた被害者が、いじめのボスの命令で人を殺して加害者になったら、作文紹介するしないどっち?

それに、たとえば高濱さんがいま誰かとケンカしたとして、相手のヤツが高濱さんの小学校の卒業作文を探し出してきて、「ほら、やっぱりあんたは10年前からこんなこといってる」といったら、どうですか? そういうことに、説得力はあると思う?

「冗談じゃない。いまのケンカと何の関係もない!」と高濱さんが思うなら、小学校の卒業作文を出された殺人者だって「冗談じゃない。いまの殺人事件と何の関係もない!」と思うんじゃないですか。

あるいはまた別の例だが、広島地裁は4日、原爆症の認定申請を国が却下したのは違法という被爆者の訴えを認め、全員を原爆症と認める原告勝訴の判決を言い渡した。 原爆投下から60年以上もたって、なお、こんな馬鹿げた裁判をやっている日本はイカレているとは思いませんか?

http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20060805/mng_____sya_____007.shtml

私は、この被爆者たちのプ「ライバシー報道」を(もちろん本人や家族の了解を得て)ガンガンやって構わないと思っている。原爆の被害者たちの作文も、もし残っているなら(いいですか、爆心地近くの小学校は子どもたちもろとも一瞬のうちに消滅したんですよ!)、ガンガン出せばいい。もっとどんどんやったほうがよい、世の中には必要な「プライバシー報道」が存在するというのが、私の考えです。

>尼崎の列車事故のときも、亡くなった被害者のプライバシー情報が氾濫し、全員が何か夢を持って一生懸命それを実現しようとしていたすばらしい人びとのように見えた。靖国神社についての議論でもわかる通り、日本では亡くなった人は全員がいい人で、全員が残念な人なわけです。(坂本先生)

確かに、犠牲者になった方々は、とても美化して報道される事が多いような気がします。

被害者、加害者と区別は必要ないと思いますが、今回の事件では、やはり被害者のプライバシー報道の意図が分りません。
今回の事件で大切なのは、「どうしてこのような事件が起きたのか追求または報道する事」であり、「ピアノが得意であった」事ではないと思います。
確かに、被害者のプライバシー報道を時には必要になる事もあると思いますが、今回は違和感を覚えます。あまり具体的にどうこう言えませんが・・・。

あとは、子供が亡くなると必ず通っていた学校の校長が記者会見しますね。あれはいつ頃から始まったのでしょうか・・・。

なぜ校長が登場するか?

> 子供が亡くなると必ず通っていた学校の校長が記者会見しますね。【森智徒勢さん】

確かにヘンですね、学校内または学校がらみの事故・事件ではない場合は。校長は「子どもをちょっと知っているオジサン・オバサン」に過ぎない。多くの人が事故で死ぬが、ふつう勤め先の社長はテレビに出てこないからね。多くなったのはここ10年、いや数年かもしれない。

何かといえば、メディアが学校に押しかけて「会見を開いてくれ」というわけです。それは、亡くなった少女を知る大人に取材して、「いい子だった。誠に残念だ」というコメントがほしいから。

ところで、その大人というのは、両親、親戚、ご近所、学校・幼稚園関係、習い事・塾関係などに限られる。このうち両親はショックが大きいはずで、ふつうは遠慮する。親戚も何かと取り込んでいるし、どこに住んでいるかわからない。ご近所は1軒1軒当たるのが面倒くさい。習い事・塾関係も、調べなければわからない。手っ取り早いのは学校・幼稚園関係しかない。

で、学校長や担任が会見してくれるなら、新聞もテレビも会見場に行ってテキトーに質問すりゃいいんだから、とってもラク。公的な立場のある人物だから、それなりに説得力もある。近所を1軒1軒当たって、「うるさい!」なんていわれなくても済む。

テレビ局は日本全国にあるんだから、「地元のプールを回って、排水口の格子がネジ留めか針金か撮影してこよう」と考えるヤツが1人くらいいてもよいと思うが、面倒くさいから、そんなことは思いついても誰もやらない。

ようするに、テレビから「大切な何かを、カメラとマイクをもって探しにいこう」という発想が失われ、「それらしい発言をしてくれる人を、カメラとマイクをもって収録しにいこう」という発想に取って代わられているわけです。

これは、テレビ報道の根本的な大問題の一つだと思います。

オジサン、オバサン

先生が言われていたように、学校の校長は『「子どもをちょっと知っているオジサン・オバサン」に過ぎない』と思います。
大体数百人の生徒が通っている小学校で、その子一人の事を覚えているのかと言われれば、とても疑問に思えます。

今回の事件は、いろいろなところに問題が隠されているはずなのにあまり報道されていないと思います。以前から排水溝にハマッテしまい死亡したケースはいくつもあったはずです。なのに、今回ようやくこのように大きく取り上げられるようになってから、問題を見直そうという動きか広がった。
テレビ局がもっと以前から大きく報道していれば、事故も防げたかもしれません。報道にはそのように事故を未然に防いだり、反省して再び起こらないようにするための道具になっても良いと思うのですが・・・。

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