テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

開設:2006-05-25 (通年 4単位 3年以上 選択 江古田校舎 放送学科専門科目)

日本大学藝術学部放送学科「放送特殊研究V」(担当講師/坂本 衛)のブログ。2017年度のテーマは「放送・報道における日本語表現の研究」です。

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村上被告 保釈 逮捕から21日ぶり 2006-06-27

 ニッポン放送株をめぐる村上ファンドのインサイダー取引事件で、証券取引法違反の罪で起訴された同ファンドの前代表村上世彰被告(46)が26日夕方、保釈され逮捕から21部日ぶりに東京拘置所を出た。保釈金は5億円で小切手で即納。

 村上ファンド関係者・ライブドア関係者・ニッポン放送・阪神電鉄と接見禁止(会ってもダメ。電話してもダメ。)を保釈条件とし、専門家曰くこのような幅広い条件は珍しいらしいです。
 
   <特ダネ>
 水島愛一郎(経済ジャーナリスト)
 「村上ファンドという形がある以上、投資家の信用を繋ぎとめて置け  ば再起のチャンスはあると被告は考えている、と思いますね」

   <産経新聞の記事>

 「村上被告は再起不可能」と掲載されていたようです。

 私はこのような報道について、以前の書き込みにもあったように憶測で意見を述べている事に対して、株の投資家達を戸惑わせるような報道だと思いました。3週間前、大勢のマスコミ陣を前にして「金を儲けちゃいけないですか?」と声を張り上げていた村上被告を見て、最初あまりにわざとらしいというか、浅い知識ながら私は会見の席においてマスコミ相手に言ってのける彼の強気な態度には投資家ならずとも誰の目から見ても反発を買うであろう発言には違いないが、これだけの巨額の富を手にした男の最後のあがきとパフォーマンスが感じられ、見ていて哀れとも感じられました。

 今回の保釈でも、堀江被告の保釈金3億円に対し村上被告は保釈金5億円。しかもその5億円は即納みたいです。なんだか全てお金次第といった印象を受けました。
 特ダネでは、一方方向からでなくて多方面から(彼の表情やカメラワークなどから)ピンポイントで彼を報道していました。彼を罪を犯し悪者には違いない、悪者に仕立て上げるようマスコミ側の報道の中で堂々とした彼を見て、私は村上被告自身罪の意識はないのではないか、とさえ思ってしまいました。
 
 罪の類は異なりますが、殺人犯ならば完全に顔を隠してマスコミに登場する。それは今後の社会復帰なども考えて、そうしているのだと思いますが、村上被告は全身カメラに写されても抵抗をしていない。
 会見に続き、私は彼の強気な態度に圧倒されたのですが皆さんはどのように感じられたでしょうか。


      《番組データ》
  番組名/特ダネ フジテレビ系/月曜~金曜夜8:00~9:55放映/
  司会/小倉智明・笠井新輔

=訂正=

 《番組データ》
  番組名/とくダネ! フジテレビ系/
  月曜~金曜 朝8:00~9:55放送/ 司会/小倉智昭・笠井信輔

コメント

番組データは正確に!

番組データが4か所も間違っている。2行で4か所はすごい!
間違いは間違いのまま残して、正確なものを新しく追加で書きなさい。

> 私はこのような報道について
どのような報道? 「とくダネ!」? 産経?

> 憶測で意見を述べている
山口さんの「株の投資家達を戸惑わせるような報道だ」という意見は、憶測ではないんですか? 「ブログは憶測で意見を述べてもいいが、テレビではダメ」なんですか?

> 殺人犯ならば完全に顔を隠してマスコミに登場する
秋田小1殺し、大学生生き埋め、あいりちゃん殺し、みんな容疑者の顔出まくりですが、なんでそう思うんですか?

以上、元の記事はいじらずに、コメント欄で答えて。

わかったふりして書いてみる

 ↑の坂本せんせいのコメントを読まずに書きました。

 このニュース、『とくダネ!』に限らず、ほぼ見ていません。というのも、村上の顔がキライで、画面に登場するとチャンネルを変えてしまうのです。

> 憶測で意見を述べている事に対して、株の投資家達を戸惑わせるような報道だと思いました。
 株式投資は、事実に基づく憶測で行われるものだから、シミュレーション的な意見が出てくるのはいいのかな、と。「とくダネ!」と産経記事では見解がまっ二つですが(どっちに転んでもいいような保険かな)。

> マスコミ側の報道の中で堂々とした彼を見て、私は村上被告自身罪の意識はないのではないか、とさえ思ってしまいました。
 村上は、インサイダー情報を「聞いちゃった」と言ってましたよね。積極的に情報を得ようとしたんではないよ、と。でも聞いたことを否定はしない。村上は「聞いちゃった」ことは正当な業務範囲だと思っているが、お上は違法と判断した。じゃあどうぞ、とすんなり逮捕されるあたりは、元通産官僚の従順さか、“損して得取れ”の狡猾さか。

 わたし自身、おカネは労働の対価と思っているので、巨大資本をバックに、企業に横入りするような村上のやり口は、ムカつく。そこへきてあの強気な態度。正直、感じ悪いです。『とくダネ!』は、カメラワークを駆使して、そんな視聴者感情に応えたのではないでしょうか。
 ま、企業を相手にする村上にしてみれば、テレビでのイメージをよくして視聴者を味方につける必要はないんだものね。

 蛇足。法改正で会社法が施行されましたが、会社は株主のもの、という考え方がベースになっているようです。会社は社員のものじゃないの? って思いますが。
 あと、わたしも保釈金制度がわからない。カネ持ちは罪をかぶらなくていいの?

大抵の仕事は虚業だろうに

 私としてはライブドアにしても村上ファンドにしても何だかんだいいながら持ち上げておいて、疑惑が発覚すれば手のひらを返したようにタコ殴りという構図がある意味面白かったです。まるで極悪人のような言われようで。これらの件の報道はそのまんま世間の虚業に対する羨望と嫉妬が反映されているような気がします。
 そういう風に見ていると、村上社長の最後の記者会見はそんな軽薄さに対するささやかな抵抗とある種の警鐘だったのではないかと思えて、私の中ではむしろ株価急騰でした。何の利益にもなりませんが。

みなの意見を聞きたい

日大放送学科の学生諸君には、(1)報道では推測を述べてはいけない。(2)報道は事実のみを伝えるべきである。と思っている人が多いようだが、みなさんに質問。

なぜ、そう思うの? 1~2年生のとき、そう教えた教授や助教授がいたのか?

推測は「ある事実に基づき、推し測ること」。基づく事実がデタラメなのは論外として、推測がほとんど事実に近い場合も多いし、推測しかできないんだからそれを伝えたほうがよい場合も多いわけだ。気象情報も推測、イラク情勢も北朝鮮も推測、小泉が靖国神社に行く行かないも推測。すべてのアンケート調査は、対象を母集団とサンプルに分けサンプルを調べて母集団を推測する「推計学」に基づく推測。そんなのは日々の報道に氾濫しているのに、なぜ推測はいけないと思っているのだろうか?

事実ならいいというが、普通、事実なんて誰も知らないわけだ。殺人事件で報道される「事実」は、多くの場合「警察が事実として発表した内容」にすぎない。容疑者だってなぜ殺したかわからないかもしれないのに、それを取り調べ刑事が聞き、それを警察広報が聞き、それを記者が聞き、それをテレビであれば番組スタッフがまとめ、それをアナが読んでいるわけだ。又聞きの又聞きの又聞きの又聞きのような事実がほとんどなのに、そのような事実なら問題ないと思うのは、なぜなんだろうか?

またも自分の経験から書きます

(1)(2)双方の考えを持っている方は、坂本先生と言葉の定義が違うのでは。報道に100%嘘偽りの無いようなものを期待しているのではないでしょうか。

例えば、雨天のA市において、
「今日は雨です。傘が必要でしょう」
と現地から伝えるのが、”事実”の報道です。

現実に伝えられている情報が、ここまで正確であるはずありません。
しかし視聴者としてはそれくらいの情報を流して欲しい。
むしろ、流されているのだ と思っている(ある種、マスコミ神格化)。

坂本先生の仰る、又聞きの繰り返されたようなものは事実では無い と判断するし、
それが事実として報じられている「現実」を知り、
卒倒してしまったのが かつての自分でしたね。

そして”推測”というと、上で挙げた例を用いるなら、
遠く離れたB市の一般人が「多分あっちも雨じゃない?」
と語る程度のものを想起してました。
(これについては今でも、専門家以外の人間が発言すると思ってしまうことがあります)

以上、主観だらけの仮説ですが、何か参考になれば幸いです。

真実だけ伝える報道

村瀬君のコメントにも書かれてありましたが、私も「報道に100%嘘偽りの無いようなものを期待している」と思います。と言うよりも、実際に私自身が当てはまると思います。

坂本先生が仰るとおり、推測しかできない場合や、推測した事しか報道する事がない場合もあると思います。実際、事実だけ伝えれば良いのであれば、日曜日のお昼にやっているようなニュースを流せば良いのですから。

しかし、推測で放送されたものの中でとてつもない被害者を出したものもあります。松本サリン事件で犯人扱いされた河野さんもそうですし、そのような人的被害を見ていると、推測の報道に対して「危険である」という感情を抱かずにはいられません。
あと、事件報道で流される事実がほぼ「警察発表」と言う事でしたが、警察発表自体が客観的なものの見方をしているとは考えられません。もしかしたら、強制的に白状されたものかもしれない。捏造されたものかもしれない。ここまで来ると疑い深いとしかいえないかもしれませんが、警察発表=事実とは限らないと思います。

坂本先生からの質問のこたえ

>(1)報道では推測を述べてはいけない。(2)報道は事実のみを伝えるべきである。

わたしは(1)のようには思ってはいません。
ただ(2)は、ウソを伝えたらいけない=事実のみ伝える、という解釈になってしまっているような気がします。

坂本先生へ

番組データ間違えてしまい、すみませんでした。

 《番組データ》
  番組名/とくダネ! フジテレビ系/月曜~金曜 朝8:00~9:55オンエア/
  司会/小倉智昭・笠井信輔

> 私はこのような報道について
どのような報道? 「とくダネ!」? 産経?
>>「とくダネ」です。

> 憶測で意見を述べている
山口さんの「株の投資家達を戸惑わせるような報道だ」という意見は、憶測ではないんですか? 「ブログは憶測で意見を述べてもいいが、テレビではダメ」なんですか?
>>改めて見ると、坂本先生の仰るように憶測であると自分自身思いました。あまり意識でずに、意見を述べてしまいました。

> 殺人犯ならば完全に顔を隠してマスコミに登場する
秋田小1殺し、大学生生き埋め、あいりちゃん殺し、みんな容疑者の顔出まくりですが、なんでそう思うんですか?
>>確かにそれらの事件では顔を隠さず出ていますが、今まで殺人事件の報道を見てきた中で、大抵の殺人犯は顔を隠していたと感じていた為、そう思いました。このような断言の表現では適切でなかったと気付かされ反省しました。

ちょっと横やり

松本サリン事件の河野さんらのケースは「推測の報道」による被害者なのでしょうか? 警察発表は確かに「事実のみ」ではありません。発表という形式をとらず,報道にリークする場合,そもそも捜査員の「推測・憶測」も混じります。メディアはその「推測」を裏付けるために,懸命に「独自取材」(近所の人や識者)をして,その推測が成立する根拠を高めようとします。

もちろん,そうして集めた「事実」はそもそも出発点が異なりますから,たいていは砂上の楼閣のようなものですが。さらに,推測のうえに推測を重ねることもよくあることです。

だけど,そういうメディアの努力は無駄なのかどうか。「警察の推測」を懸命に裏付けようという取材の結果として,まったく別の「推測」が浮上することだって期待できます。

受講生の諸君へ!

しばしば「坂本先生、すみませんでした」という書き込みに接するわけだが、坂本に申し訳をいったって無意味だ。無意味なことは書かんでいいよ。

謝るべきなのはブログ読者に対してであり、坂本の要求に応えられなかったことでなく自分の勉強不足こそを反省すべきでしょう。

このブログで「先生、すみませんでした」と書いてあるのを見るたびに、総務省に対して謝罪や反省を口にする(視聴者に対しては何もいわない)放送局と同じだと思うわけよ。坂本サイト「日録メモ風の更新情報」の06-22の記事をお読みなさい。

★★★山口さんへ★★★

ちょっと舌足らずだった。「番組データは正確に!」の坂本コメントの《番組データの修正》は、当該記事の末尾に追加で書き込んでください。最初に間違って書いたものと、新たな訂正を、並べておいて、という意味です。★★これだけは、やっておいて★★

「元の記事はいじらずに、コメント欄で答えて」と書いたのは、番組データ修正以外の三つの質問について、というつもりだったわけよ。

松本サリン事件の教訓

> 推測で放送されたものの中でとてつもない被害者を出したものもあります。松本サリン事件で犯人扱いされた河野さんもそう(森 智徒勢さん)

赤尾さんがすでに指摘しているが、松本サリン事件の報道被害は「推測による報道がダメだ」という根拠には、全然なりません。

なぜならば、松本サリン事件は、メディアが独自に「河野さん=犯人」と推測して報道したのではなく、メディアが警察の見込み捜査(間違った推測)を事実と信じて報道したケースだからです。

話は180度逆で、「メディアは真犯人が別にいるかもしれないと『正しく推測して報道』すべきだった」「警察がリークする『事実』は、信じるべきでも報道すべきでもなかった」ケースですよ。

松本サリン事件の教訓をちゃんと受け止めれば、「(1)報道は正しい推測を述べていい。(2)報道は(警察のいう)事実以外も伝えるべきである」はずなのに、日大放送学科の学生諸君が逆のことを思っているようなのはなんでなの? と、坂本は聞いているわけです。

私は憶測で報道してもかまわないと思うし、そうではないとされている報道でさえ、そのほとんどが信憑性に欠けているのではないかと思う。大事なのはそれを受け取る視聴者が、なんでも鵜呑みにするのではなく、いかに報道との距離をおいて冷静な目でそれをみるかということだと思う。

報道は嘘はつかない。(めったに)

なかなかおもしろいブログですね。
早速コメント書かせていただきます。

このブログでは、「報道は嘘をつくから危険だ」とか、「事実が報道されない」という意見が多いように思えますが、しかし、実際彼らは嘘はめったにつかないのではないでしょうか? 彼らの報道するほとんどは、まぎれもない事実なのでは?

たとえば、「警察がこれこれこういうコメントを発表した」とい事象を、それをそのまま、「警察によれば」と注をつけて、無責任に報道したとします。
しかし、この警察のコメントの内容は真実ではなかったと後からわかってきた、とします。
さて、この時点で、はたして報道は「嘘をついた」ことになるのでしょうか?

・・・・・・。

厳密に言えば、報道はなんら嘘をついてはいないでしょう。
警察からのコメントそのものをねつ造したわけではないのですから。
つまり又聞きは、又聞きとして報道される限りは、すべて事実となるわけですね。

嘘をつかずに、かつ、真実を伝えない報道。
日本のマスコミは何がしたいんですかね?

問題はここにあるのでは?

発表ジャーナリズム(発表報道)

> 彼らの報道するほとんどは、まぎれもない事実なのでは?(
さよならジーコもう顔も見たくない さん)

事実を「事実」とカッコでくくりたいですが、たいていの場合、おっしゃる通り。記者クラブでの官庁・企業その他の発表を、要約して報道すれば、その報道は「発表された事実」とほぼイコール。その発表が長いと、いくつかに的をしぼってかいつまむから、社によって力点の置き方がちょっと異なったりするが、大筋は発表通りなわけですね。で、別にウソをついているわけではないと。

記者クラブ制度を基本とするこの「発表ジャーナリズム」(発表報道)は、日本の報道の、とくに新聞の特質であろうと思います。テレビもだいぶその気配があるが、社会情報や制作部門の非報道正規軍のニュース(ワイドショーほか)はクラブに入れず、かえって独自取材で自分なりの事実を掘り下げようとする。週刊誌もです。

で、問題は、報道記者の中に、自分の仕事は「担当官庁なり政党・政治家なり企業なりの発表を、そのまま手を加えず批判もせずに、読者や視聴者に伝えること」と思っている人が、結構多いことです。とりわけ若い記者に多いが、新聞の部の責任者クラスにも、そう思っている人間がいる。

始末に悪いのは、それを自分たちで「客観報道」と呼んだりすることですね。

29日のとくダネ!を見て

(1)報道では推測を述べてはいけない。
(2)報道は事実のみを伝えるべきである。

の問いに対し、私は(1)(2)側の意見でしたが今日のとくダネ!の報道を見て考えが覆されました。
報道側が手にしている情報を分析し、そこからコメンテーターなどが事件について推測していく映像を見て、視聴者は一緒になって考えるきっかけにもなるように思えたからです。

数ある報道番組が同じ価値観でなく、その出演者達の推測などによって特色が出てくるのではないかと思います。

事実のみ。は事実の裏づけなど、事件の背景を報道番組を通じて探っていく事に報道の面白さを感じるのではないか、と思うので事実以外も伝えるべきなのかと考えます。

鮎川ゆきさん、憶測で報道していい?

> 私は憶測で報道してもかまわないと思う

と鮎川さんはいうんですが、本当?

おく‐そく【臆測・憶測】物事の事情や人の心をいいかげんにおしはかること。また、その推測。当て推量。「勝手な―」「揣摩(シマ)―」[広辞苑 第四版]

「憶測」=「いいかげんな推測」という意味ですよ。「北朝鮮のミサイルは明日にも発射され、弾頭にはサリンが積まれているであろう」とか、いいかげんな推測を報道していいと、本当に思っているのですかね?

憶測報道、けっこう

憶測報道,かまわないと思いますよ。「これは憶測ですが」とか「こんな噂もあります」と注釈を必ず加えればの話ですが。ただ,テレビの場合,その注釈部分を聴かなかった(ことにする)視聴者が多いってことが問題なのですが。

> 大事なのはそれを受け取る視聴者が、なんでも鵜呑みにするのではなく、いかに報道との距離をおいて冷静な目でそれをみるかということだと思う。

どういうメディア・リテラシー教育の成果なのか,こういうすばらしい意見を学生(のみならず一部教員)は陳述されるわけです。でもね,すべての報道を〈距離を置き〉〈冷静な目で〉受け止めることは,世間的には暇人に属する大学教員でさえ実に難しいことです。もろもろに多忙な人たちにそれを期待するのは酷な気もしますけどね。

赤尾さん、ちょっと違うと思う。

ちょっと違うと思う。

(1)まず「憶測=いい加減な推測」だから、いい加減な推測は、なるべくしないほうがいい。つまり憶測報道ではなく、推測報道をすべきです。その場合は、できる限りの取材・各方面への確認・関係者や専門家の見立てなどを尽くしたうえで、ちゃんとした推測として報道すべきだと思います。

(2)報道は「事実と意見を峻別する」のが基本。で、推測は「こうなるであろう」「実は核心はこうではないだろうか」という意見の一種。つまり事実と分ける必要がある。ところが、多くの視聴者は「これは推測ですが」という部分を聴かない。ならば、たとえば(i)アナウンサーとコメンテーターの二人でニュースを伝え、意見や推測はコメンテーターにいわせる、(ii)正面を向いて事実を伝えていたアナが、「さて、ここからは今後どうなるかという話です。記者の××さんと話し合っていきます」と横を向き、二人でしゃべる、(iii)アナが事実を伝えるニュースを読んだ後、別の記者や専門家のコメント映像として推測とわかるように伝える、というような工夫を尽くすべきだと思います。

(3)「こんな噂がある」は、「推測混じりの噂が流れている」という事実の報道だから、報道部門が推測する推測報道とは分けて考えるべきだと思います。ただ噂を流すのではなく、「政府中枢でもそのように見ているようだ」とか「否定的に見る学者がほとんどだ」という分析を一緒に伝えなければ無責任でしょう。

憶測と推測

「原論」としては,坂本さんが指摘されるとおりだと思います。

> 「北朝鮮のミサイルは明日にも発射され、弾頭にはサリンが積まれているであろう」

こういう類のものは憶測ですらない「たわ言」・予言の類でしょう。推測と呼ぶには,事実の裏付けが十分ではない〈説明・解説〉とでも言えばよいのでしょうか。

ニュース番組でもワイドショウでも,コメンテイターの発言は(原稿があるにしても),憶測でしかない戯言が多いですね。意見というより,まさに「感情のほとばしり」。週替わりでコメンテイターを置くようになった『きょうの出来事』は悲惨です。赤尾はとりあえず「メディア論」の専門家の端くれですが,犯罪心理学やM&Aについては一般レベルの知識しか持っていません。なのに,コメンテイターの座に就かされると,もっともらしいワンフレーズをでっち上げるわけです(ラジオ/テレビの両方の経験がありますが)。

森羅万象の出来事にちょっとピンボケな憶測混じりのコメントをはき続ける〈レギュラー・コメンテイター〉を,日本のテレビ報道はなぜ必要とするのかは,深く考察してみる価値があるテーマかもしれません。

テレビの「井戸端会議機能」

同感ですね。

テレビには、「井戸端会議機能」とでも呼ぶべき機能があると思うんですね。それは暇つぶしになり、慰めや癒しになるというプラスの側面もある。それが、報道部門にも浸食してきている。

これまでいわれてきたニュースのショー化、おもしろニュース化、簡明化とも、むろん大きな関係がある。

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