テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

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開設:2006-05-25 (通年 4単位 3年以上 選択 江古田校舎 放送学科専門科目)

日本大学藝術学部放送学科「放送特殊研究V」(担当講師/坂本 衛)のブログ。2017年度のテーマは「放送・報道における日本語表現の研究」です。

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第5回 報道に必要な日本語表現とは、なんだろう? 2017-05-19


●おさらい

日本語とは? > 放送/テレビとは? > 報道とは?
それぞれの概要、おおまかな特徴、歴史的な変遷を思い出す。それが今回のテーマの前提。


●報道に必要な日本語表現を考える

報道は[A          ]であるから、[a           ]の(ような)日本語表現が必要なはずだ。

以上「Aとa」(ここではラージAとスモールaと呼ぼう)の組み合わせを、Aとa、Bとb、Cとc、Dとd、Eとe……と、できるだけたくさん(少なくとも五つ六つ以上)考える。
さらに、そのそれぞれについて言葉を足し、なぜそうなのかという確固たる主張・立場の構築をする。


1)Aとa:報道は[A          ]であるから、[a           ]の日本語表現が必要


2)Bとb:報道は[B          ]であるから、[b           ]の日本語表現が必要


3)Cとc:報道は[C          ]であるから、[c           ]の日本語表現が必要


4)Dとd:報道は[D          ]であるから、[d           ]の日本語表現が必要


5)Eとe:報道は[E          ]であるから、[e           ]の日本語表現が必要


----------


●以上のような日本語表現が、現実のテレビや新聞で充分なされているといえるだろうか?


【坂本 衛】

コメント

ら抜き

一義的な日本語表現が報道にはふさわしいとのことだったので、ら抜き言葉もどんどん使っていったら良いんじゃないかと思いました。受け身と可能をしっかり区別できるという意味で、報道には適しているんじゃないでしょうか。

「ら抜き」にすれば解決する?

はい、コメントお疲れ。山内さんの主張は、たとえば、

「盗んだ瞬間を警備員に見られる」(受け身)
「モナリザはルーブル美術館で見られる」(可能)

の二つは、同じ「見られる」表現に二通りの意味を許すから、後者を積極的に「ら抜き言葉」として、

「盗んだ瞬間を警備員に見られる」(受け身)
「モナリザはルーブル美術館で見れる」(可能)

と使い分ければよいのでは、ということだね。

私にいわせれば、以上の主張には問題が二つある。

【1】「見られる」という表現は、受け身と可能だけではない。

A「盗んだ瞬間を警備員に見られる」(受け身)
B「モナリザはルーブル美術館で見られる」(可能)
C「先生は卒論をとても丁寧に見られる」(尊敬)
D「犯人は逃走中と見られる」(自発)

このうち「ら抜き言葉」で言い換えができるのはB(可能)だけ。よって、「ら抜き言葉」を積極的に使っても、「見られる」表現に複数(三通り)の意味を許すから、問題は依然として解決しない。

【2】たしかに、イ)報道には一義的な(意味や解釈が一通りに限られた)日本語表現が必要だが、授業では、ロ)報道には標準語・共通語として望ましい日本語表現が必要という論点も出たね。

後者からは、日本語として成熟していない「ら抜き言葉」は使うべきではない、といえるのではないか。

はい、反論して。さらに一歩進んで、【2】を考慮して「ら抜き言葉」を避けつつ、【1】の望ましい言い方(言い換え方)がないか、考えて。

「ら抜き」にすれば解決する?

 たしかに「見られる」は受け身と可能だけではありませんでした。ら抜き言葉を使えばこの問題がすべて解決するわけではないですね。

 その上で反論をさせていただくと、「ら抜き言葉を使った場合、可能であると断定できる」というメリットは残ります。すべてが解決できなくても、可能を意味したいときには「見られる」と言うよりも「見れる」と言ったほうが、より報道にふさわしい。と考えるのはナシじゃないと思います。
 また、「ら抜き言葉は日本語として成熟していない」と判断する理由の一番大きなものは「テレビや新聞が使っていないから」ではないでしょうか。


 でも「ら抜き言葉」を使わずに一義的な物言いができれば一番良いんだと思います。
「盗んだ瞬間を警備員が見た」
「モナリザはルーブル美術館で見ることができる」
「先生は卒論をとても丁寧にご覧になる」
「犯人は逃走中のようです」

違うと思うことだけ指摘しておく

【1】〈「ら抜き言葉は日本語として成熟していない」と判断する理由の一番大きなものは「テレビや新聞が使っていないから」ではないか〉は、間違い。

そうだとしたら、日本にテレビが存在しない1952年以前には、ある言葉が日本語として成熟しているかいないか、判断が(半分?)つかなくなってしまう。そんなことはない。「昭和初期に、ら抜き言葉は日本語として成熟していなかった」と私は思うが、そう判断する理由はテレビとは何の関係もないわけです。

だから「判断する理由の一番大きなもの」ではなく、「判断する目安の一つになるもの」と書かなくては。

【2】「ら抜き言葉」を使わずに一義的な物言いができればいちばんよいのは、そのとおり。一つ目は受け身ではなく、文の意味が変わっちゃっている。

〈「見られる」の望ましい言い換え例〉
「盗んだ瞬間を警備員に目撃される」(受け身)
「モナリザはルーブル美術館で見ることができる」(可能)
「先生は卒論をとても丁寧にご覧になる」(尊敬)
「犯人は逃走中と思われる(考えられる、おのずと判断できる)」(自発)

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●ブログ開設は2006年ですが、1999年からマスコミ演習、マスコミII、放送特殊研究Vといった授業を担当しており、2005年以前のレジュメなど古いものも置いてあります。(坂本 衛)
 

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