テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

開設:2006-05-25 (通年 4単位 3年以上 選択 江古田校舎 放送学科専門科目)

日本大学藝術学部放送学科「放送特殊研究V」(担当講師/坂本 衛)のブログ。2017年度のテーマは「放送・報道における日本語表現の研究」です。

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奈良・放火殺人事件 成績めぐり「何もかもいやに・・・」 2006-06-23

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急にはずせない用件が入ってしまい、本日(6月23日)休講です。
学生諸君は誠に申し訳ないが、よろしくお願いします。坂本衛
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書き込みが大変遅くなってしまい、申し訳ありません。


《長男について報道ステーション内で話されていたこと》

古舘「もし(長男が)すごくイイ子を演じてきたのだとすると、つらかったのかなと思いますよね。」
堀田 力(弁護士・元検事)「つらかったと思います。長男は科目を満遍なく勉強をしていたようです。高校生にもなると、科目の好き嫌いはあるのに、それを全部頑張っているということが、すごく無理している。親に認められたいというそれだけの社会の中で頑張って頑張って無理してそれがある時プツッて切れるんですよね。」


《私が思ったこと》

 今回に限ったことではないと思いますが、特に感じたことがあります。それは、推測で話をしているということです。また、その推測で放火殺人の犯人をフォローしているように思いました。(堀田氏が弁護士ということが関係してくるとは思うのですが・・・)

 少年であるとはいえ、親からのプレッシャーのようなものがあったかもしれない、とはいえ、犯罪者であることにかわりはありません。殺人を犯した犯人です。犯人をフォローする、という時点で疑問がわきますが、ましてや推測でフォローするようなことは、してはいけないような気がします。放送された時点でわかっていたことは、「少年は成績優秀だった」「親が医者であり、少年も将来の夢は医者だった」「高校三年生になって、進路の方向性が変わってきた」「両親は再婚であり、長男だけ前妻の子どもである」「近所の評判では、イイ子といわれていた」といったことでした。観ている側も、その事実を知っただけで、なんとなく「親からの期待がプレッシャーで、つらかったのかもしれないな、かわいそうだな」と思いました。しかし、少年の両親との関係を作り上げてしまうのは良くないことでないのかと私は思いました。

 事実を曲げることなく伝え、その事実を聞いた視聴者側の考えは視聴者それぞれが持つものであって、それをなんとなく誘導してしまうきっかけ作りは、暗いニュースではあまりしない方が良いのではないかと思います。


※過去の記事でコメントを多くいただきましたがそのレスポンスができておらず、申し訳ありません。これからしたいと思っております。


《番組データ》
番組名/報道ステーション テレビ朝日系/月曜~金曜夜9:54~11:00放映/司会/古舘 伊知郎・河野 明子 コメンテーター/堀田 力

【高濱 綾乃】






コメント

犯人?

>少年であるとはいえ、親からのプレッシャーのようなものがあったかもしれない、とはいえ、犯罪者であることにかわりはありません。殺人を犯した犯人です。

え…?
これも推測じゃないでしょうか。どうしてこの少年が放火殺人を犯したと断言できるのですか?今の時点ではその容疑で逮捕されたというだけですよ。

逮捕されたらもうその時点から犯人扱いするというやり方は問題があるのではないかと、このブログの過去の記事でも話題になったと思うのですが。

NHKニュースとか

 事実だけを坦々と伝えるのであればテレビ欄にもNとしか乗らない番組間のニュースみたいなものになるんでしょうか。

 ある程度の主観や推測や未確定情報を織り交ぜていくのは仕方が無いし悪いことでもないのではないかと思います。オピニオンリーダーとしての自覚を持ってまともな事を言ってくれるのであれば。司会さんがんばって、という感じです。

 個人的には、「高校生にもなると、科目の好き嫌いはあるのに、それを全部頑張っているということ」は当たり前で、そんなことで家族を殺されたらたまらないと思うのですが。弁護士に長男の辛さを喋らせて動機と犯行をつりあわようとでもしてるのでしょうか。

長男の父はこれから自分を殺そうとした息子を支えて生きていかなければならないんですよね…

学生諸君むけ資料です

●広島の木下建一さんの娘・小学1年木下あいりさんへの性的暴行・殺人事件(2005年11月)について、広島女児殺害、父が報道側に要望「衝撃を伝えて」(朝日新聞)。判決は7月4日

http://www.asahi.com/national/update/0624/OSK200606230094.html

●奈良の高1放火事件で、16歳の長男は「ことあるごとに父親に殴られ、暴力が許せなかった」「母親は何でも父親に告げ口するので恨みがあった」と供述。周辺住民によると、医師の父は勉強部屋を「ICU(集中治療室)」と呼び、小学校の時から夜遅くまで付ききりで勉強を教えていた。【以上、共同記事】父親は約10年前に再婚し、長男は前の妻の子どもだった。【以上、朝日記事】

●以下は、報道が正確で、長男もほぼ本当のことを語っているという前提で書きます。ようするに、長男にとって父親は実の父親だが、母子3人は実の血縁関係がない。小1だか幼稚園年長だかのときにきた新しい母親と、その後に生まれた弟妹《ていまい》であると。まったくバカな父親ですね。人間には成績より大事なことがあると知らなかった。子どもにも傷つけてはならない人間としての尊厳があると気づかなかった。医師らしいが、長男と人間的な信頼関係を築くことができず、妻子3人の命も救えなかった。私は16歳に同情します。この地獄のような家から離れさえすれば、誰も殺さずに済んだでしょうに。家出でも何でもすりゃいいのに、そうせずに放火とは、哀れな16歳。しかも、父親と対決せず、血のつながりがなく手近で簡単に殺せそうな弱い者だけ殺した、バカな16歳

●うちの長男(浪人中)の意見は「あれじゃ、殺すわな」。あのような家庭は、中からは壊せない。16歳が家を出てオウムに入っても、暴力団事務所の使いっパになっても、そのほうがまだマシだった。なぜ、それができなかったかにつき、うちの長女(高3)の意見は「医者の息子で小遣いももらい不自由はない。バイトもしたことがなく世間知らずで、勉強にかかりきりでは人間関係もうまく築けない。相談できる友だちもいなかったのかも。数学の問題がいくら解けても英単語をいくつ知っていても、人としての知恵がなく、生きる術《すべ》を学んでいないということでしょ」

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以上、坂本サイト日録06-24記事から抜粋転載。ちょっと時間がないので、そういうことで。

少年に同情している立場から

話した内容の真偽は不明ですが、少年が供述を始めました。
それについてコメントするのにも問題がありますでしょうか?

高濱さんの記事を読む限り、その日のニュースは少年の供述に拠るところが大きかったみたいですね。
しかし現段階で、少年の言葉が重要視されるのは決しておかしなことではないかと。
古舘さんのコメントには推測が含まれるとはいえ、少年の供述(など)から導き出される意見としては間違ってないと思いますよ。

高濱さんは、少年を庇うような発言が出たことにも疑問を持っておられるようですが、僕は全く逆の考えです。今から、彼の今後を考えてやるべきだと思います。

高濱さん、仮にですよ、貴方が放火したとしましょう。自分の置かれていた環境を一切顧みられず、ただの犯罪者として報じられても構わないのですか?

僕は報道が全て正確であるとして、少年に同情しますね。
一部、自分の過去とダブる点もありまして。
(犯罪には手を染めませんでしたが・・・家や外でのいじめで倒れそうだった時期はあります)
少年が、「このように言っておけば罪が軽くなるぜ」
などと考えている打算的なやつだったら恐ろしいですが、
その場合でも彼の今後を考えてやるべき、という姿勢を変えるつもりはありません。

スタンスは差別を生みかねない

私も村瀬さんの考え方に近いですね。というか、犯人なんだから犯人を責めれば済むでしょ、という考え方のほうがものすごく短絡的な気がします。むろん、「だから許される」というわけでは全くないのですが。
 もし高濱さんのような考え方に従うならば、ある特定の人の周囲が寄ってたかってその人にプレッシャーをかけた結果、かけられた人がキレたことが犯罪につながったとしても、周囲は全く責任を問われないということになります。どうせ悪いのは罪を犯した人なんだから、と悪意を持っていたとしてもですよ。いえ、悪意がないままある人を追い込んでいるケースだってあります。「平等」とされてから60年経ってやっとバリアフリーという概念が普及した社会での身体障害者なんてその好例です。それでも分かりやすい弱者という形で認識されている障害者はまだいいほうで、今回の長男なんてこの掲示板で理解してない人が現にいるんですよね。しっかり考えて伝えないと報道が差別する側に回りかねない所以です。

判断基準

確かに、本人の人格を周りの状況だけで判断し作り上げてしまうのは、危険だと思います。
何度も言うようですが、たった数分の報道番組が視聴者の加害者・被害者に対する考えを180度変えてしまう事だって有り得ます。
 しかし、あくまで「すべて推測である」という事さえ分かっていれば、きちんとした判断が出来ると思います。報道番組を、そこまで悪いとは思えません、すくなくとも私はですが。ある程度の主観が入ってきてもしょうがないと思うようになってきました

少年の中には、報道で取り上げられたような思いだけがあるのではなく、もっと色々な経験や考えが絡み合ってるんでしょう。正直、それは誰にも分かりません。本人がすべてを語らない限りは。 軽々しく「あいつは悪いやつだ」と言えません。逆も同じですが。
 きっとこのニュースも数週間足らずで消えていってしまうんでしょう。その数週間後に、事件にかかわった人間の本当の姿が見えてくるはずなのに、残念です。

行為の重さ自体は変わらない

少年の犯行には斟酌すべきところがあるのは確かですが、やはり私は少年に擁護・同情的な報道はあまり好ましくないと思います。情状について伝えることは必要ですが、そこが強調されれば逆に「許されることではないけど、仕方ないよね。可哀想に」ということになるでしょう。実際に人を殺しているわけで、どんなに同情の余地があったところでその重み自体はかわりません。それを軽く見せるような報道は好ましくないのではないでしょうか。同情するのは情報を受け取った個々人のレベルや裁判のレベルで十分です。報道は「同情の余地はあっても決して許されるべきことではない。少年が取るべき手段は他にいくらでもあった」ということはハッキリと伝えるべきではないでしょうか。

コメント

部外者さん>まだ犯人ではないのですね。すみませんでした、容疑者です。

私は、コメンテーターがコメントすることは、大事であるとは思います。しかし、推測に近いもので、環境などを作り上げてしまうことは避けるべきだと思うのです。
しかし、書きそびれてしまいましたが、古舘さんと堀田氏との会話は、最終的に、日本の教育についてのことにまとまっておりました。ですから、推測を用いたことも、日本の教育問題について話をつなげたかったのだとしたら、それは話のきっかけとしては仕方がなかったのかな、と今になっては思います。

報道の目的とは何か

この事件はなぜ報道されるのでしょうか。「こんなことがありました、へぇー」というためでしょうか。それはおそらく「興味本位」の域を出ないと思います。
 ワイドショーでなく報道であるならば、こういうことがあった、このことはこうして起きたということを明らかにし、今後どうすればよいかを考える材料とするためではないでしょうか。「その通り!」とおっしゃる方にお尋ねします。いま報道されていることが正しいとして、「長男が悪い」で済ませることで、果たして今後の指針になり得るでしょうか。
 前にも申しました通り、当然、長男が悪くないわけではありません。犯罪というものは回避されるべきものであり、物理的抵抗が不可能でないかぎり罪を犯した人はその罪を問われて当たり前です。しかし「どう接するべきか」は決して無視できない問題です。繰り返しますが、周囲の接し方が違っていれば犯罪に至らなかったかもしれないのです。まして子どもに大きく影響を与え得る親権者・実の父親について「醜聞」が取り沙汰されているのです。
 もしそれでも「長男が悪い」で済ますような世の中であるならば、そういう上っ面で済ますのが日本の社会のレベルなのだと思わざるを得ません。そりゃ一個人にすぎない私がどう思っても勝手なのでしょうけど、社会に不信感を抱く人は私に限らず、社会が表面的である限り着実に増えるわけですよね。中には残念ながら新たな犯罪という形につながってしまうこともあるでしょう。そういう社会を「健全」と呼べるでしょうか。WHOの憲章を読み直して考えてみたいもんです。

心情と行為は別

 同情的な報道をしないことは必ずしも「長男が悪い」で済ますことではないと思います。犯した行為の重さやそれに対する責任をぼかさないということであって、動機とされることについて考察し問題提起等を行っていくことを妨げるものではないのではないでしょうか。罪の重さや責任をハッキリさせることはしっかりとした倫理感や正義感を養う上でも必要なのではないでしょうか。
 社会不信については、例えば警察や省庁の不祥事の問題などは社会不信を招くものであることは間違いないでしょう。中には残念ながら新たな犯罪という形につながってしまうこともあるでしょう。かといってこれらの問題について報道しなくていいはずはありません。社会不信を煽るという観点から考えることには違和感を感じます。

昂さんへ

昂さんの仰る内容は正しいと思います。
そして、9割がた同意出来ます。
間違っても少年を悲劇のヒーローに仕立ててはなりません。
報道する側は少年に肩入れせず、あくまで客観的に彼のことを語って頂きたいです。そのうえで視聴者は、環境と少年どちらに大きな非があるか考えれば良い。

上記のように考える僕ですが、ひとつだけ納得出来ない箇所がありました。

>少年が取るべき手段は他にいくらでもあった」ということはハッキリと伝えるべき
確かに、友人に助けを求めるだとか、他の手段に訴えることは出来たでしょう。

ですが、少なくとも少年にとっては、もはや放火しか道が無かったのです。他の方法で気が済むなら、そちらを試しているでしょう。他の方法を選ばなかったのは、もはや選択する余裕が無かった=「選べなかった」に近いと僕は考えます。

少年の犯行が許されないことなのは間違いないですし、それを訴える重要性は認めます。
ですが、「他に取るべき手段はあったのに」というのは、外野の人間だからこそ言える理想論でしょう。
客観的にせよ、勝手が過ぎる内容だと僕は思いますね。
これだけは報道の場で出て欲しく無い言葉です。恐らく出るでしょうけど。

村瀬一路さん、ちょっと違いますよ。

> 報道は「同情の余地はあっても決して許されるべきことではない。少年が取るべき手段は他にいくらでもあった」ということはハッキリと伝えるべき【昂(外野)さん】

昂(外野)さんのいうのが、「少年の取るべき手段は、以下の通り。手段1、手段2、手段3……手段99。以上、報道終わり」だったら、確かにそれは浅く無責任な報道。それは納得できないと村瀬さんが書くなら、わかりますよ。しかし、昂(外野)さんは、そこで報道を終わりにしろとは書いていない。

で、村瀬さんは、今回の報道は「同情の余地はあっても決して許されるべきことではない。少年が取るべき手段は他にいくらでもあった。しかし、選択の道はなかった」と伝えるべきだ、と主張したいのでしょう。

ならば、「ひとつだけ納得出来ない箇所がありました。」と書くべきではなくて、「納得したが、追加で主張したいことがある」と書くべきだと思います。

村瀬さんが「確かに、友人に助けを求めるだとか、他の手段に訴えることは出来たでしょう。ですが、」と書いた、★その「ですが、」の手前のところ★までしか、昂(外野)さんは書いてない。そこまでは100%納得できる話。それなのに、相手がまだ書いていない先の話を、反論の体裁で書くのは、よくないと思う。

私たちは、キャッチボールを繰り返して前に進みたいわけ。相手がまだ投げていないのに、今のあなたのボールからすると、次はワンバウンドになるんじゃないか、違うんじゃないかとは、いうべきではない。

依って立つもの

>「他に取るべき手段はあったのに」というのは、外野の人間だからこそ言える理想論でしょう
 罪について考えるのならばこの立場にこそ立つべきだと私は思います。基準を少年の側に持っていくべきではないのではないでしょうか。「選べなかった(=他にどうしようもなかった)」と言われてしまえば罪を問えたものではありません。別の方法を「選んでもらわなければならなかった」のだと思います。
 彼が何故選ぶべきことを「選べなかった」のかを考えることは意味のあることでしょう。何故足掻くことなく逃避しなければならなかったのか。

報道は、なにをすべきか?(長すぎゴメン)

で、本題。

> 「他に取るべき手段はあったのに」というのは、外野の人間だからこそ言える理想論でしょう。
> 客観的にせよ、勝手が過ぎる内容だと僕は思いますね。【村瀬一路さん】

そんなことをいってたら、すべての報道はできない。マスコミも私たちも「外野の人間」に決まってる。では16歳の父親は、内野の人間? 外野? 私は、この父親も「他に取るべき手段はあったのに……。なぜだ?」と思っていると思うね。それは「勝手が過ぎる内容」ではなくて、みんなが当然、感じていることですよ。

で、これからの報道に必要なことは、コメンテーターの「この少年は、さっさと家出すればよかったのにねえ」という無責任発言をタレ流すことではなくて、理想をいえば「なぜ、手段1~99を、この少年は選択できなかったのか」を明らかにすることだと思う。

村瀬さんは、「選択できなかった」とほぼ断言しているが、少年の供述が断片的に出てきたばかりの現時点では、断言できないし、断言するのは無責任。村瀬さんが「自分の体験から、間違いない」と断言するのは勝手だが、メディアはそのような報道をせよといっても説得力に欠ける。ここまでのコメントを読む限り、論証抜きで「そう思う」といっているだけですからね。

もちろん「少年に選択の余地はなかった」を仮説として提示するなら結構。「少年が取るべき手段は他にいくらでもあったのに」は、その仮説の出発点(最初の、根本的な疑問)にすぎない。それが到達点なら、それはおバカな報道(報道というよりは、全国規模の「テレビ井戸端会議」というべき)。

ところで、「なぜ手段1~99を、この少年は選択できなかったのか」を明らかにする報道が、ものすごく難しいことはわかりますね。それにはすべての手段を検討し、全部つぶしていかなければならないから。その作業なしに、「選択の余地はなかった」とは断言できない。

それは専門家が、何か月も、場合によっては1~2年かけて明らかにすべき話。ジャーナリズムがそれをやるには、専門家に匹敵する知識と経験を持つ者が、2~3年かけて1冊の本を書き、それでも結論は「たぶんこうではないか」としか書けないだろうという話です。

私は昨日、小林道雄と会って3時間以上話した(小林はレジュメ1枚+書いたもの40枚を持ってきて、坂本がインタビューした)。「オフレコ!」3号に載せるから読んで。で、奈良の事件に関するテレビ報道が当面の間、この3時間インタビューで出た仮説の範囲内をウロウロするであろうことは、私たちにはわかっている。

問題は、そこで、テレビ報道が何をどうやるか。できもしないことを期待してはダメだし、やりすぎを放置してもダメ。そういうのをチェックしていこうじゃないか、というのがこのブログなわけです。

【追記】この坂本コメントは、すぐ上の昴(外野)さんのコメントを読まずに書いたことを、付記しておきます。

大変失礼致しました

>坂本先生
>しかし、昂(外野)さんは、そこで報道を終わりにしろとは書いていない。相手がまだ書いていない先の話を、反論の体裁で書くのは、よくないと思う。
ご意見ありがとうございます。坂本先生の仰る通りです。
昂さん、すみませんでした。

昨日の時点では、
「少年が取るべき手段は他にいくらでもあった」という言葉を、
「少年は家出でもすればよかった」と同義に捉えていました。
どうかしていたと思います。大変失礼致しました。

報道が外の立場から仮説に取り組むことは正しいと思います(少年の罪を考えるのに適しています)。外だからこそ、見えるものもあるでしょう。失念していました。
これから出て来る仮説を、見守りたいと思います。

盗んだバイクで

走り出せばよかったのに、と思いましたね~。
でも、そういう力も育てられていなかったとすれば、どうかな…。

>高濱さん
私が日芸で教わった、坂本先生でない先生が、
「事実を重ねて真実に迫る」という言葉をモットーにしていました。
「報道ではなるべく真実を伝えたいんだけれども、真実は結局誰にもわからない。だから、事実を重ねて見えてくるものを探すんだ」というようなお話を聞いたような記憶があります。

高濱さんが最初に書いたことだけだと事実を重ねる、だけで終わってしまうような気がしますね。
こういう事実がある、こういう事実がある、ということを並べて、じゃあ、この事件だったら「何」が彼をこういう行動には知らせたんだろうか、の「何」をみんなで考えてこそ、の報道なんじゃないでしょうかね。

私は、山口・光市の親子殺害事件と今回の事件をぼんやりと頭の中で並べて考えています。前者は元・少年に対するマスコミの対応は非常に厳しく、今回は割と温情的。何が違うのか、をいろいろ考えているところです。

迎合

双葉山の母さん。思うのですが、加害者に対する対応がまったく違うのは、マスコミが「普通」というものに対して同化しようとしているのではないかと思います。
 特に光市の事件について強く感じています。もともと刑法が何のためにあるかを考えれば、遺族の言動は明らかにゆきすぎです。しかし、被害者感情というものが声高に唱えられるようになったことをいいことに、「あれだけのことをしてああいう態度でいるのはおかしい」という世間の感情を勝手に判決と結びつけたんですよ、マスコミは。被害者感情は確かに大切にせねばなりませんけど、それと刑法とは別問題でしょう? マスコミは勉強不足もいいところか、露骨に世間に迎合したか、どちらかです。
 意義とか定義とかは無視してもいいから、とにかく多くの人が思いそうなことに擦り寄る。おそらく、マスコミ以外の社会でやってることと同じでしょう。そこに私はマスコミの限界をみるのです。

検察はマスコミ対策がうまいよね

ちょっと脇道。

「木下あいり」ちゃんの問題でも,実は父親=検察の「傀儡」を疑っています(光市事件の本村洋さんと同様に。どちらも「広島高検」の筋書きか,とか)。

「被告になぜ死刑求刑なんだ?」との疑問が一部にはあったわけで。「『あいり』は二度殺されたも同じ」は名台詞です。名台詞すぎます。

警察とは異なり,検察は事件報道の前面には出てきません。だけど,一連の東京地検特捜部マターも含め,マスコミ対策は周到だと思います。マスコミは警察・裁判所批判はするけど,検察批判は稀ですし。

「21人死刑廃止論者」「死刑廃止のために事件に集まった」「弁護人が作ったストーリーを被告人に言わしている」
全部本村さんの憶測に基づく中傷をみなが鵜呑みにしているだけです。
「目を合わせなかった」と非難し、目が合ったら合ったで「睨まれた」と怒り、なにされても怒る人だというのがよく分かります。「死刑にしたい」目的のために弁護人や裁判所を批判して世論を味方につける行為は潔いのでしょうか。
「反省の言を聞きたい」と言いますが反省したら「死刑にしなくてもいい」というわけでもなさそうです。「反省して死刑になれ」という要求をしています。「真摯に反省したら助けてやる」武士の情けもほしいものです。

「7年間積み上げたもの」と言いますが、1・2審と最高裁で被告人質問で犯行態様が質問されたのは「1期日」だけ。しかも20分間。被告人質問は1審で2期日、2審で8期日あったが、1審の1期日は生い立ちやら、2審の8期日のうち7期日は「不謹慎な手紙関係」で費やされています。残り1期日がまた生い立ちです。検察がうまく議論をすり替えたという感じです。
「7年間」のうちほとんどは裁判所が記録を読んだ期間と「不謹慎な手紙」の議論であり、被告人質問で犯行態様が話されたのはわずかに「20分間」だけだったのです。

また、今回の心理鑑定人が述べた「母胎回帰ストーリー」なるものの片鱗は、最初から家裁の調査記録にも書かれていたそうです。

実際のところは、旧1・2審こそ、「死刑はないから。無期なら7年で出れる。遺族がうるさい人だから。」と言われ、弁護人に「『争いません。』と言わされていた」というのが真実でしょう。

それに今の弁護団は、外部の者の何百倍もこの事件について考えていて、「もし自分の家族が殺されたらどうだろう」などという思索は当然になしているでしょう。

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●このブログは、日本大学藝術学部(日芸またはNGと略)放送学科の授業の一環として設置しています。学外の方も自由に閲覧やコメントしていただけます。学生らの活動を厳しく、ただし温かく見守っていただければ幸いです。学生には「ブログ炎上も授業のうち」といってあります。

●ブログ開設は2006年ですが、1999年からマスコミ演習、マスコミII、放送特殊研究Vといった授業を担当しており、2005年以前のレジュメなど古いものも置いてあります。(坂本 衛)
 

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