テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

開設:2006-05-25 (通年 4単位 3年以上 選択 江古田校舎 放送学科専門科目)

日本大学藝術学部放送学科「放送特殊研究V」(担当講師/坂本 衛)のブログ。2017年度のテーマは「放送・報道における日本語表現の研究」です。

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ゆきゆきて神軍(原一男)前半 2010-11-26

【今週と次週はこれ↓】
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ゆきゆきて神軍
1887年 疾走プロダクション作品
122分
製作/小林佐智子(原一男の奥さん)
監督・撮影/原一男
録音/栗林豊彦
編集・構成/鍋島惇
日本映画監督協会新人賞、ベルリン映画祭カリガリ映画賞、日本映画ペンクラブベスト1位、毎日映画コンクール監督賞ほか
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●疾走プロサイトの惹句

87年の日本映画界を震撼させた驚愕の作品。
天皇の戦争責任に迫る過激なアナーキスト・奥崎謙三を追った衝撃のドキュメンタリー。
神戸市で妻とバッテリー商を営む奥崎謙三は、たったひとりの「神軍平等兵」として、・神軍・の旗たなびく車に乗り、今日も日本列島を疾駆する。
生き残った元兵士たちの口から戦後36年目にしてはじめて、驚くべき事件の真実と戦争の実態が明かされる…。
平和ニッポンを鮮やかに過激に撃ち抜いた原一男渾身の大ヒット・ドキュメンタリー

●あらすじ(注意 ネタバレあり)

神戸市でバッテリー商を営む奥崎謙三は、ニューギニア戦線の生き残り兵士。かつて、死んだ戦友の怨念を込め、「ヤマザキ、天皇を撃て!」と叫びつつ、天皇にパチンコ玉4発を撃った。映画は、奥崎が新左翼過激派の結婚式に立ち会うシーンから始まる。

奥崎はニューギニアに埋葬した島本一等兵の母を訪ねた。島本の母は墓の前で「岸壁の母」を歌う。奥崎は、母をニューギニアに行こうと誘う。

奥崎の所属した独立工兵第36連隊では、終戦後20日以上たってから「敵前逃亡」で兵士二人が銃殺された。奥崎は、吉沢徹之助の妹・崎本倫子、野村甚平の弟・寿也とともに、処刑に関与した上官らを訪ね、当時の状況を聞き出そうとする。

語りたくない、決して語ってはならないという者、処刑の様子を語り空砲を撃ったという者、上官の命令は絶対と述懐する者……。極限状況のなか人肉を食べたとの証言まで飛び出す。ときに下手に出てなだめすかし、ときに恫喝し、ときに激高しブチ切れ、暴力をふるう奥崎謙三。あるとき吉沢の妹・野村の弟は奥崎と絶縁する。

奥崎は、妻と知人に遺族役を演じさせ、古清水・元中隊長を訪ねて真相を質す。また、山田吉太郎・元軍曹を再び訪ねて、悲惨な体験を証言せよと迫る。

1983年12月15日、奥崎は古清水宅を訪ね、居合わせた息子に拳銃を発射して逮捕された。3年後には妻・シズミが死亡。87年1月28日、奥崎は徴役12年の実刑判決を受けた。映画は、以上を新聞見出しや字幕で告げる。

●原一男は、田原総一朗の著書『青春 この狂気するもの』(三一新書 1969年)を読んで、大きな影響を受けたという。田原総一朗監督「あらかじめ失われた恋人たちよ」の助監督を志望したが、かなわなかった。その後、テレビの仕事で田原のアシスタントをした。「ゆきゆきて神軍」の公開直後、坂本は田原総一朗とともに原一男に会った(企画・高橋良典、担当編集・阿部博も同席)。ホテルの一室にテレビ・VTRを持ち込んでベッドの上に置き、映画を見ながら、田原が原一男にインタビュー。その原稿は、月刊誌「潮」に田原名義で載った(書いたのは坂本)。誰か、図書館ででも探してみて。

「原一男ブログ」や「疾走プロ」サイトものぞいてみよう。

コメント

過激なおっさんの大冒険

本日の授業では奥崎謙三が吉沢の妹と野村の弟と分かれる直前までを見た。
映像を見ての率直な感想は「奥崎謙三。少し考えが極端過ぎだろ。」といったものでした。
過激な文言を書いた凱旋車で街中を周り、元上官(?)の家に上がりこんだ挙句の果てに殴りかかったり。
ハッキリ言って若干異常な気もしました。
しかし違う見方をすると今の我々には無いモノを持ってる人というプラスな考え方も出来ます。
別の抗議でお世話になっている先生は「最近の学生は何か不満が合ったとしても何も行動を起こさない」と言っていましたが確かにその通りだと思います。
安田講堂での立てこもりとはいかないまでも・・デモの一つすら見たことはありません。
与えられた枠以上のことをする人間が極端に減った結果なのでしょうか。
国家権力に監視されながらも昔の仲間の無念を晴らすために奔放をする姿・・人殺し・暴行なんてのは論外な話ですが、自分に足りない部分も見れた気がしました。
綺麗な部分しか映さない嘘っぽいドキュメンタリーと違い、かなり真実な部分が見れた作品だと思います。

お店の人の対応が…

面白いくらいにさっぱりとしていて…
なんというかもはや無視でしたね。
そんな中どんどんヒートアップしていく
奥村氏。
奥村氏のみ。

なんだか滑稽にみえてしまいました。

戦病死の件に関しては
遺族側と同じ気持ちです。
終戦してるのに戦病死って意味がわかりません。
その辺国はもう少し口裏を合わせることが
出来なかったのでしょうか…
もっともっと表に出るべき隠し事が
沢山あるはずなのに・・・

奥崎謙三の天罰

作品のなかで奥崎謙三は何度も天罰という言葉を口にしていました。しかし、その天罰を最終的には自分で下してしまいます。彼は怒りのはけ口を神の存在に委ねる気などさらさらなかったのです。 その怒りとはとても人間の本質的な怒り、自分の存在そのものへの無常感に似たものだと思います。 そこにカメラという自分の存在を方向付けるものが近づいてきたことにより、彼は高揚感を覚え、天罰といったことで危害を加えるに至ったのでしょう。
 

終戦してるのに戦病死、につき

> 終戦してるのに戦病死って意味がわかりません。(桑島美奈)

なんで? 8月15日に戦争が終われば、確かに戦死はない。だが、8月14日の戦闘で負傷し、それが元で破傷風か何かで9月になって死んだら、「戦病死」で全然いいじゃん。なんでダメなの? まして映画の話は、実際は銃殺なんだから、隠して当然。

授業で言わなかったっけ? 「病死」じゃ靖国に祀られないし、遺族に恩給も出ないと。私の母方の伯父さんは、昭和22年だか23年だかに中国から帰ってきて、直後に死んだ。「戦病死」だ。靖国神社に入っているし、伯母さんには長く恩給も出た(本人が亡くなるまで遺族年金が出た)。そんなのは、どうにでもなる話で、みんな口裏を合わせてうまくやっていたのよ。

ところで、奥村氏って、だれ?

「人肉」を食べることなんてできない

奥崎謙三という男は、なぜ死んだ戦友のためにここまでできたのか不思議でなりません。犯罪を犯してまでも戦友のために戦う奥崎は、一見正義感に溢れる人間にも見えました。
島本一等兵の母を訪ねた奥崎の顔は、非常に穏やかな表情でした。墓の前で「岸壁の母」を歌う島本の母を、まるで自分が本当の息子であるかのように奥崎は優しく見守っていました。亡くなった島本の代わりに母の面倒を見ると言った奥崎は、私には心の優しい男性に映りました。平気で人を殺せる男には見えませんでした。

終戦の23日後に兵士2人が処刑された事件の真相を解明するため、処刑に関与した上官らを訪ねて歩く奥崎の顔は、島本の母に見せた顔とは全く違っていました。口調も違い、上官達に喋らせる時間すら与えず、絶えず罵倒していました。そして、最終的には殴る。目を覆いたくなるような映像でした。

奥崎の行動にも驚きましたが、さらに衝撃的であったのは人肉を食べていたという事実です。
白人を白豚、黒人を黒豚と言い、人肉を食べていたと証言した浜口。人肉を食べるために戦友を処刑したのではないかと問い質され、浜口は否定していた。もし仮に処刑の理由が人肉を食べるためであったとしても、そこで浜口が肯定するはずがないと思います。何をするかわからない奥崎を目の前にして真実を語ることができる人間ならば、とっくの昔に語っているのではないでしょうか。

しかし、いくら生きるためとは言え、人肉を食べることは私にはできません。自分が当時生きていてその場にいたとしても、おそらく食べていないと思います。それは、同じ人間を食べることを恐ろしいと感じるからです。

当時と現代があまりに違うということ

映像の中で最も記憶に残っているのは、元衛生兵が話していた人肉を食べたという話です。私はこのことを今まで知りませんでしたが、たぶんそうだろうと思っていたので驚きはしませんでした。あんなに穏やかそうな人間がたいして表情も変えずにこの話をするのを見て、戦争がいかに悲惨なものだったかを改めて感じました。

また、奥崎氏は自分も戦争の場にいながら、当時の過ちを現代の罪の考え方で捉えているという点に疑問を抱きました。
戦友のために真実を探る、そのためにかつての上司などを尋問していく、時には暴力をふるう。私には、それが本当に戦友のためだとはとても思えませんでした。

納得行かない面白さ

冒頭では、奥崎謙三が自分で前科~と結婚の宴の席で語りだすまでは特段変わった人間とは思いませんでした。ところが話が進めば進むほどその人物が現れてくる。見た目で人は分からない。

訪問に同行する吉沢氏の妹も相当な曲者で、あの三人に問い詰められる関係者達の苦悩する様が包み隠さず流れる映像に、終始目が離せませんでした。話が進む中で思ったのが、奥崎謙三はどうも話が上手くないように思います。対話をして相手の不安点を少しずつ除き、ガードを解いてこそ、新たな進展が望めるのに、自分の論説に浸り、話をさえぎり聞こうとする姿勢があまり見られません。結果、話が幾度もループし、堂々巡りが続く(印象を強める意味でカットせず何度も流す編集法自体は良いのですが…)。奥崎氏は本当に国家や問題に一石を投じたかったのでしょうか。何か私欲のようなものが見え隠れして、彼の行動に今一歩納得がいきませんでした。

その反面、ドキュメンタリー自体は非常に面白い。次々に上官達を訪問して行く過程は冒険のように先が気になる構成であり、奥崎謙三の言動から出る人間の芯の部分と戦争の隠された真実が垣間見れるこの映像は、現在でも衝撃のドキュメンタリーであると思います。

奥崎謙三氏がしていることは本当に戦友のためなのでしょうか。私は奥崎氏がしていることは決して正しいとは思いません。他の人にも戦争が終わりそれぞれの生活があり、事情もあります。処刑に関与した上官を罵倒し殴るなどの行為も、自分勝手なように見えました。しかも子供も見ている前で。
ただ、奥崎氏の行動力はすごいと思います。本田くんも書いているように、今の若者は例えば政治に対しても仲間内で否定や文句を言うだけで、自ら何か行動しようとしている人はあまりいないのではないかと思います。少なくとも私は見たことがありません。
ただやはり奥崎氏の行為は戦友のためだけではなく、個人的な戦争や上官への怒りの感情も多く含まれているのではないかなと思いました。

えぐい

この映像を見て先生もおっしゃられていましたが、えぐぐて私にとって苦手な映画でした。しかし、なぜか見ているうちに奥崎謙三には引き込まれていくようでした。

私がこんな言い方をすると安易かもしれませんが、
なぜ40年も経っているのに戦争と向き合わなければならないのか?

見ているうちに奥崎が訪ねて行った当時の上官たちもなぜ40年も経っているのに戦争と向き合わなければならないのか?
と困惑しているように見えてきました。

しかし、奥崎はなんとかして戦争の隠された事実を明らかにしたい。
元上官たちと奥崎の意識、考えのズレがあからさまに出ていて見ていて冷や汗が出てきそうでした。

奥崎の戦友に対する思いはわかりますが、あまりにも戦争に執着しすぎな気がします。

まあ、端からみたら変人だけど

奥崎謙三のコメントでもっとも印象的だったのは、
「私は天皇にPACHINCO玉を撃ったおかげで、今、先生と呼ばれているんです!」といった内容のことを叫ぶシーン。
奥崎先生、それはいかがなものだろう、銃で狙撃とかじゃないのにかっこいい事やったみたいに言っているし、とさすがに思ったけれど、彼は真剣そのものだ。
戦争責任の追求。戦後にも関わらず行われた上官による部下の処刑。確かにそれは責められるべきことだ。
人殺しの事実は決して消えないし、それを時代のせいにするのは卑怯千万極まりない。棺おけに入ってからも中で意図的に殺した同胞、あるいは敵国兵であろうと原地の人だろうと殺した人間全てに謝り続けるべきだろう。
彼は戦争に怒りを感じている。向き合っていかねばならない。後世に悲惨さを伝えなくてはならない。それは立派で崇高な志だし、そうすべきだ。
ただ、戦争に向き合ってる体で一番向き合っていないのもまた、奥崎であるような気もする。出兵した時点で「悲惨なこと」は想定できたんじゃないだろうか。戦争の悲惨を、その責任を訴えているのを「当事者」がやや「部外者」的に行っている点に矛盾を感じた。
これは伊那の態度を豹変させた教師と変わらないのではないだろうか。どこか語り口調が他人事のように感じたのだ。たしかに「当事者ゆえに分かる悲惨さ」を伝えようとするのは理解できる。が、奥崎のそれは「悲惨なこと」をした自分との決別。かつての自分との決着をつけるため、自らの「清め」のために行っている行為のように私には見えた。
戦争へ行った以上、生きて戻ってきた以上、その醜さを全て後世に伝えるべき。という奥崎の意見には全く同感。
例え何年経ったとしても、行った事、犯した事は、行った人、犯した人の人生の一部に変わりはないし、戦中と戦後も同一人物なのだからその責任を負うべきだ。
ただ、彼自身が行った悲惨なことに関してはあまり語られる事がなかったし、自身のために行っているといった印象が強く、少し残念だった。

記憶を歴史に変えないこと

多くの人がコメントしていますが、僕も奥崎謙三氏がやっていることは戦友のためではなく、自分のためにやっていることだと思いました。自分が戦争で地獄の様な思いを強いられてきた恨みを当時の上官にぶつけているだけの様に感じました。
なぜその様に感じたのか……それは昨年の夏の旅がそう感じさせたのだと思います。

僕は昨年の夏、卒業研究の取材のために鹿児島の知覧をはじめ多くの戦争に関する土地を巡りました。そして、色々な人と出会いました。取材させて頂いた人の中には特攻隊の生き残りの方や日本国外の島で闘っていた方、遺族の方にもお話を聞かせて頂きました。どの人も国や上官への恨みの言葉ではなく
「戦争はね、絶対にやってはいかんのですよ」
という言葉と、
「今生きている当たり前だと思っている一秒一秒が、尊く、幸せなんだよ」
という言葉でした。

僕は戦争というものは映像や文献でしか知りません。悲惨さも辛さもわかりません。なので奥崎氏を真っ向から否定することは出来ません。
でも、戦争から生きて帰って来れたのには意味があったんだということに気付いて欲しかったです。生きて帰ってきた意味は、恨みや復讐ではなく、後世に戦争を伝え、二度と同じ過ちがくり返されないようにすることではなかったのでしょうか?
僕は取材と今回の作品を観てそう感じました。

人は生きているんじゃない
生かされているんだ

戦争が生み出すもの

どんな戦争があったか、といった事は学び戦争は大変な事なんだイケナイ事なんだという認識でいました。しかし本当に戦争を起こしては行けない理由はこの映画にあるような憎しみや恐怖、辛さ、こんな言葉じゃ表現しきれないモノを抱える事になるからなんだと。こういった映画なら中高校生の時点で学校がみせれば、もっと戦争に対する意識を持て、今を平和で生きることの幸せを感じられるのではないでしょうか。

人肉を食べることができるのか

船が難破し、何もない海で数人が生き残った。食べるものは何もない。そんな状況で、選ばれてしまった人間を殺し、生き残った人間で食す。そんなことが過去にあったと何かの本で見たことがあります。
生き残る術がそれしかないのなら、みんな食べるのではないでしょうか。

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●ブログ開設は2006年ですが、1999年からマスコミ演習、マスコミII、放送特殊研究Vといった授業を担当しており、2005年以前のレジュメなど古いものも置いてあります。(坂本 衛)
 

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