テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

開設:2006-05-25 (通年 4単位 3年以上 選択 江古田校舎 放送学科専門科目)

日本大学藝術学部放送学科「放送特殊研究V」(担当講師/坂本 衛)のブログ。2012年度の授業テーマは「[実践!]ネットは放送を殺すか?──ネットを理解することで、放送をより深く知ろう」。

夜と霧/NUIT ET BROUILLARD 2010-10-15

【今週はこれ↓】
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夜と霧/NUIT ET BROUILLARD
1951年、フランス(ジャン・ヴィゴ賞、フランス映画大賞受賞)
32分
製作/アナトール・ドーマン
監督/アラン・レネ
脚本/ジャン・ケイヨール(解説台本)ほか
撮影/ギスラン・クロケ、サッシャ・ヴィエルニー
考証/アンドレ・ミシェル、オルガ・ウォムセ
ナレーション/ミシェル・ブーケ
音楽/ハンス・アイスラー
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コメント

テスト書き込み

これはテスト書き込みです。

美しくも残酷な映像

これほど美しく、残酷な映像を私はかつて見たことがない。
ここには人間が描かれている。人間の本当の姿が描かれている。なのに、どこか現実離れしているように感じてしまうのは、作中に流れている音楽がどこと無く軽妙であることと、私が少なくとも一般に理性といわれるところの自覚できる意識を持っているからだろう。
Nazisというのは蔑称だが、その前はNSDAPとして国民に支持されていたのだから、人というのは分からないものだ。
こんな事を後にしでかす政党を支持した国民の心境はどうだったのだろうか。1937年の「大ドイツ藝術展」や、「二十世紀最大の欺瞞」と称されたチェコの町の風景。そういったものを眺めて、のほほんとしていたのだろうか。
1942年のワンゼー会議の内容を彼らは知っていたのだろうか。
後に例のチェコの町のPR映画の子供向けミュージカルに出ていた子供達が、二人しか生き残らないのを知っていたのだろうか。
この映画は、人間の無意識の暴走を伝えている。
処刑というサディズム、女性の髪の毛で編んだ織物や処刑者の所有物の偏った収集はフェチズムだろう。
本来は押しとどめられている欲望。
いかに国民や、メディアが国を監視して行くべきか、そんな事を強く感じた。
権力を疑わなければ、裁判員せいどの冤罪もふえることだろう。疑わしきは罰せず。が原則の法の下に成り立っている国なのだから、容疑者に有利で検察には不利な視点で本来メディアは報道すべきだとすら私は思う。そんな今日この頃。

怖ろしい生き物

夜と霧は初めて見ました。
怖いと思いました。
気持ち悪いと思いました。
特にブルドーザーで死体を集める?シーンは息ができなくなりそうでした。私には死体がちゃんと人間に見えました。
そしてナチスの人間には、そうは見えなかったんだということについて考えました。英語でわからないところも多々ありましたが、人間の残虐さや適応能力について、ここまでできるものかと感動すら覚えるほど衝撃的な映画でした。今の私たちのそういう感覚が平和ボケだと言われるならずっとボケたままでいたいと願います。(もちろん常識のなさや危機感の低さについての話なら別ですが)
薄っぺらなコメントしかできませんが、この映画はとても心に残りました。

死んだ人間は廃棄物か?

まるで人間をゴミのようにブルドーザーで集めて廃棄するするさまにぞっとしました。戦争は怖いです。人間の感情を根っこの部分から変えてしまう感じです。

戦争映画は過去に数作品見たことがあります。
プライベート・ライアンでは内臓が吹っ飛ぶ映像などにかなり衝撃を受けました。しかし殺さなければ殺されるという緊張感がその殺戮を多少正当化していた感じもします。
しかしこの作品には何の感情もない。でもこれが本当の戦争なんだろうな・・・なんて思いました。
「硫黄島からの手紙」なんて嘘っぱちかな。希望なんて少しも与えられなかったんだろうな。自分の中でいろんな感情が交差する作品でした。

アンネの日記

小学生の時読んで衝撃を受けた本です。
どういうタイミングで全く本を読まなかった
小学生の私がこの本を読んだかというと
どこかでナチスの展示会をやっていて
母と見にいったのがきっかけでした。

そこには想像を絶する戦争の世界と
人間のむごさしかなく、
ずいぶんと昔のことなのに
何もかもが鮮明です。

ブルドーザーで死体を運ぶ写真ももちろんあったし、
人の髪の毛で作ったポーチのようなものだったり
人の脂でつくった石鹸など…

人間が平等じゃないってこういうとこか、
と思った瞬間でした。

考えうる人間の行動で最も残酷なこと

収容所の建物を通して語られるいたましい歴史。

死体を解体する部屋には血のための排水溝があり、所長専用の売春宿があり、ガス室の天井には収められた人たちが必死にあがいた爪跡が残されていた。

信じられないような光景がいくつもでてきたと同時に、自分と同じ‘人‘がやっていることに空恐ろしくなってきた。
この映画がいうとおり私の隣、または私自身にもそういった残虐性を人である以上持ち合わせているということに。

こんな歴史を繰り返さないために、アウシュビッツの火葬場で記念写真を撮ってる場合じゃない。 「夜と霧」という作品を見つめるように、そこにあった確かな歴史を見つめなくては。

嘘の様な真実の記録

常時ナレーションが入るわけでなく、映像を淡々と、クラシック音楽と共に見せていく様から、まるで美術館巡りでもしているかのような感覚を覚える映像でした(ミロのヴィーナスやサモトラケのニケのようなものが多数展示された)

その作風故に、残酷さが際立っているように思いましたが、素材だけで十分に過激。ここまでの映像は見たことがありませんでした。しかし、あまりの死体の陰惨な生々しさが、逆に現実離れした作り物のように見え、グロテスクさを認識出来ませんでした。自分の視覚がマヒする程の惨状、現地がどれほどの様子だったのか想像もできません。

戦争の恐ろしさを伝えるには、有りのままの光景をそのまま流す。こんな単純な方法が、どんな専門家の意見より響くことを実感しました。地上波で流せとは言えません。しかし、もっと知られ、見られるべき映像だと思います。それが記録映像の本懐でしょう。

もっと知られ、見られるべき映像だ

と小林将大が言うのには、まったく同感。

10月に中四国テレビ制作者フォーラムというのがあって呼ばれ、比較的若いテレビ制作者(NHK、民放)数十人に見たことがあるかと聞いたら、「見た」と手を挙げたのは1人だけだった。愕然としたね。「ドキュメンタリーを1本だけと言われたら、私はこれを挙げます。これを見るべきだといいます。You Tubeにあって、タダです。見てください」と言ったんだけどさ。

目をそらしたくなるような現実

オープニングの優雅なクラシックには全く似合わない映像だった。思わず目をそらしてしまいたくなる。衝撃すぎて頭がぼーっとする。映像が頭にこびりつく。
言葉にするのも恐ろしいような情景だった。これが本当の戦争の怖さであり人間の恐ろしさなのだと痛感した。これが事実であることがとても悲しい。

淡々

この映像を見て感じたのは、映像も、ナレーションも淡々としていること。
殺される前のユダヤ人の悲痛な叫びやベットで苦しんでいる人の声がなく、
ただただ恐怖心とその当時のむごさがひしひしと迫ってきました。

焼く前に分別されているメガネや髪、人ってこんなにまで細くなれるんだと驚かされた死体達の山。

同じ人間としてこんなにまで人間に対して残虐に扱っていた時代があるのかと思うとゾッとしてきます。

またこのようなことが繰り返されないために、この映像はずっとずっと残され、そして多くの人に見てほしいです。

怖い

映像を見た率直な感想として怖いと感じました。
残虐なシーンを怖いと思いましたし。
それを行ったのが人間であるというのも怖い。
その行為を行っていたドイツと日本が仲良くしていたのも怖い。
そして、その事を今の若い人が理解しておらず日本は無関係でしょ?と思っているのが一番怖い。

人が人と見られなくなる

自分の家族や友人の死体をまとめてブルドーザーで運ぶことができますか?
そう聞いて、運べるという人は、ほとんどいないだろう。これまでの生活を共有し、共感し、過ごしてきたのだから、もののように扱うことはできないはずだ。
こういう、極限状態のなかでは、共感やおおよそ人間らしい柔らかい感情のスイッチは切られてしまうのだろうか。怖い。

人形にみえる

驚きました。衝撃でした。
でも、なぜか私は冷静でした。
悪い言い方をしたら、慣れているに近い気持ちでした。
というのも、
私は広島出身で、原子爆弾が投下された時の映像ないし写真を、物ごころついた頃からずっと見てきていたからです。
およそ10万編も貯蔵されている、原爆手記にも書かれているように、
コロリコロリと死体がそこらじゅうにころがっていて、人間だとは思えない、人形のようになっているから、怖いという感覚が分らなくなっている・・・
など、実際にその場にいたら、人間の心を失ってしまうのではないかと思います。
多くある原爆手記は、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に貯蔵されています。
http://www.hiro-tsuitokinenkan.go.jp/

モノクロでなかったら・・・

この映像を見た感想は、「モノクロでよかった」です。

モノクロでなかったら、おそらく私はこの映像を直視できなかったと思う。
それほどまでに圧倒的な力を持つ映像でした。

死体が無造作に積み上げられており、その横を平気な顔で歩く人。
戦慄を覚えずにはいられませんでした。

耳を塞ぐな、目を反らすな

最後のナレーションが強く印象に残っています。
「廃墟の中に死んだ怪物を見つめる我々は、遠ざかる映像の前で希望が回復したふりをする。ある国のある時期の話と言い聞かせ、絶え間ない悲鳴に耳を貸さぬ我々がいる」
今の日本の姿とも重なる姿があると思いました。少子高齢化、教育水準の低下、不景気など、悪いことにはすぐ目を背けようとしてしまう。スポーツや学問で明るい話題が出ると、悪いことも忘れる。でもそのまま忘れるのではなく、とことん解決まで導くために努力をやめないこと、過ぎたことはしょうがないけれども、次に向けて何ができるかを考えるのが大事だと思いました。

現代の犯罪を考える

現在の犯罪は相手を「人間」だと思っているのでしょうか。ゲームの感覚で行っているのではないでしょうか。
そう考えると、同じ時代・同じ国にこの映像の縮小版が見られ、ただ恐怖を感じるばかりです。

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●このブログは、日本大学藝術学部(日芸またはNGと略)放送学科の授業の一環として設置しています。もちろん学外の方も自由に閲覧やコメントしていただけます。学生らの活動を厳しく、ただし温かく見守っていただければ幸いです。学生には「ブログ炎上も授業のうち」といってあります。

●ブログ開設は2006年ですが、1999年からマスコミ演習、マスコミII、放送特殊研究Vといった授業を担当しており、2005年以前のレジュメなど古いものも置いてあります。(坂本 衛)