テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

開設:2006-05-25 (通年 4単位 3年以上 選択 江古田校舎 放送学科専門科目)

日本大学藝術学部放送学科「放送特殊研究V」(担当講師/坂本 衛)のブログ。2017年度のテーマは「放送・報道における日本語表現の研究」です。

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○一週間ブログを担当してみて考えたこと○ 2006-06-18

 私には習慣としてテレビを見ることはありませんでした。ニュースは携帯でチェックするか、もしくはネットで調べるのが主でした。 アルバイトなどで毎日決まった時間に放送される番組を見ることが無理な時もあります。今回も一週間だけだからと思いこまめにテレビ報道を見るよう心がけていましたが、それができない日が2日ほどありました。
 いまやニュース番組はテレビで見るものとは限らないのかもしれません。実際テレビで見て理解しづらい話題は、テレビ局のニュースサイトにアクセスし、ウェブ上で視聴しました。そして朝、夕と決まった時間にニュースを見るという習慣も急速にすたれつつあるように思います。
 テクノロジーの進化が「見たいニュース」を「見たい時間」に「見たい場所」で視聴することをできるようにしました。これからはニーズの好みやライフスタイルに合わせて、いままでのニュース番組の形態や内容をどのようにアレンジしていくかだと思います。ネットの特性を生かした新しいニュースプログラムをいかに作っていくかをテレビ局とネット企業が考えていかなければならないと思いました。
 それが実現してきているものとして挙げられるのがワンセグ携帯だと思います。地上デジタル放送を携帯で見ることが可能になります。いままでネットはできたけど、ついにテレビまで自分の好きな時間、場所に合わせて見る事ができます。
 視聴者は情報を入手する手段をもっと自由に選択できるようになりました。
 この進化はどこまで続いていくのでしょうか。


 今日は日本の決勝トーナメントをかけてのクロワチア戦がいよいよ22時からキックオフです。テレビを見ていてもワールドカップのことが多いです。日本勝つといいですね。

【十河 亜弥】


コメント

力点の大転換が・・・

急にどうこうなるという話ではないでしょうが、情報への主体的なアクセスが主流となれば情報格差が広がることになるのではないかと思います。今はいろいろな情報が受動的に脳みそに注ぎ込まれてきますが、情報を自ら選択する時代となれば自分が特に興味のあるものしか取り込まないということが考えられます。そういう意味で、現在の垂れ流し型は常識や時事全般の認識の維持にそれなりに貢献できるものではないかと思います。
私としてはネット報道に求めたいのは、即時性というのもあるにはありますが、むしろ自ら選択して受容するというシステムに見合った量と質です。放送時間に制約されない利点を活かさない点はないだろうと。積極的に求めない人にはテレビで総合的に伝えて、詳しく知りたい人にはネットでもっと踏み込んだ情報提供をするというように。生放送というニュースの性質上、大きく撮ってネットに流し、テレビにはそれ適宜小さく切って使うというのも難しそうなので、どうするんだという感じではありますが。何にせよ旧いシステムに拘らず、新しい媒体を積極的に取り込んだ報道システムを模索することは絶対に必要なことだと思います。インターネットはそれに足る可能性をもっていると。

すぐに、浅く、広くはテレビ。ネットは……

昂(外野)さんのご意見に、おおむね賛成。

「すぐに、浅く、広く」はテレビ。「広く」は、アクセスのしやすさ、使いやすい安価な受像機の普及、半世紀以上かけて構築した無線同報システムの優位性を考えれば、あまり異論は出ないでしょう。

「すぐに、浅く」は、放送の即時性・同時性というもので、「映像+音声」についてはテレビの独壇場(ネットも即時性はあるが、短いテキストニュース中心。もちろんテレビが遅く、深くやってもいいが、ここでいうのはその主たる特性・得意技)。映像取材の特殊性・専門性・無線システムの優位性・送受信の難しさ・必要なシステム構築の難しさなどから、映像を即時に(生で)不特定多数に届けることは、現時点でテレビにかなうものはない。「すぐに」に重きをおけば、ある程度「浅く」はやむをえない。

垂れ流し型のテレビは、自分が望まないものも流れるが、「常識や時事全般の認識」の維持に大きく貢献しているという指摘は極めて重要で、たぶんそれがテレビの最大の意義です。私は情報の「同時共有性」という言葉をよく使いますが、ある意味で「日本人が日本人たるゆえんは同じ日本のテレビを見ているから」といえるほど、現在のテレビの機能は大きいと思います。

そこでネットですが、私はネットは「ゆっくり、深く、狭く」で、放送を補完するメディアではないか、と考える。部分的に相互乗り入れは起こるが、大きく見れば、それは融合でも置き換えでもなく、補完関係に落ち着いていくだろうと思います。

なお、携帯1セグ放送は、既存テレビを携帯電話で見ることができるだけの話であり、補完のきっかけ(たとえば1セグを見ている者をネットに飛ばす)にはなるが、放送と通信の融合とは、基本的に関係ありません。

以上について学生諸君は、次のようなページを読むといい。

●「ネットと放送の融合」という幻想
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/mamos/tv/yuugou.html

●インターネット(パソコン)と放送(テレビ)
何がどう違うか?
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/mamos/tv/yuugou.html#chigai

見えざるテレビ共同体については
●「感情増幅」装置としてのテレビ
――テレビは、なぜ感情を増幅するか?
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/mamos/tv/kanjyou.html

余談を書き込んでみて、様子を見てみる

これは余談ね。

若い人たちの日本語で、何年も前から非常に気になっていることに、「~してみる」という物言いがあります。

[広辞苑 第四版]の「みる」の項には、以下のようにある。
【4】自ら経験する。
(3)試みる。ためす。土佐「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」
(4)(助詞「て」「で」を介して動詞連用形に付いて)
(イ)ためしに…する。「恐る恐るさわってみる」「やれるものならやってみな」
(ロ)(「…てみると」「…てみたら」「…てみれば」の形で) ある事実に気付く、またはある事実が成り立つ条件を示す。…すると。…したところが。「帰ってみると鍵がかかっていた」「親にしてみれば出来の悪い子ほどいとおしい」

この、「試しに××してみる」を安易に使う人が多いわけ。十河 亜弥さんも「○一週間ブログを担当してみて考えたこと○」と書いているわけ。

しかし、「放送特殊研究V」の受講生は、必ず1週間ブログを担当するんだから、「受講=ブログ担当」ですね。すると、「ブログを試しに担当してみた」人は、試しに放送特殊研究Vを受講してみたんかい? といいたくなってくるわけよ、俺としては。試しに受講してんじゃない! 試しに受講してみて単位をくれとでも? そんなヤツと付き合っているヒマはない! とね。

GALAC編集長を足かけ8年やったら、前フリの後「というわけで、東京のテレビ局を取材してみた。まず日テレでは……」と書くヤツがものすごく多い。私は、全部「取材してみた」→「取材した」に直しましたよ。試みに取材してみたなんていい加減なものを、読者に読ませるんじゃない! とね。

もちろん十河さんは、「試しに××する」という意味で書いたのではないことは、わかってますよ。だが、「××してみる」と書くと、そういう意味なんですよ、日本語では、あるいは辞書的には。

だから、「本当におそるおそる試してみた」というような場合以外は、安易に「××してみた」とは書かないほうがよいと思います。以上、ちょっと雑談を書き込んでみました。

なるほど。

A「彼女とキスした」
B「彼女とキスしてみた」

の二つだと、Bはいいかげんな男って感じがしますね。

あの、坂本先生も含めて考えていただきたいのですが、現状ではテレビもネットも比較的大きいニュースしか扱わないと思うんですね。その点、ネットで掘り下げるといっても限界があると思うのです。掘り下げるという意味ではまだまだ新聞の独壇場にあると思います。
 それに新聞は、報じている項目もケタ違いに多いですし、ほぼ24時間毎に締め切りがあってこの間の動きを網羅してます。新聞やネットだったら、一定時間以上前の情報が入ってこなかったりするんですね。ですから、テレビやネットだけだと分からないこともかなり多いと思うんです。あと、首都圏出身の人だと分かりづらいんですけど(MXのニュース路線も潰れたし)、ローカルが充実してるのも新聞。そう思ってる私からすれば、テレビと同じ量の情報を文字中心でやってるのがネットのニュースかなと思います(テレビほど瞬間的になくなりはしませんが)。
 その他、ゲンダイを話半分ならぬ話六割くらいで読んでおくと、日本の方向性くらいは分かってきます。

考えたんだろうか考えてみたんだろうか

 ネットのテキストニュースなんかは時間が経つと消えるわけですが、あれはポンポン出していくことに意味があるようなものなので残しておく意味もあまりない。しかし、本来ネットは新聞やテレビにある紙面的、時間的制約がなく、容量の許す限り半永久的に保存・提供が可能なメディアです。量的な制約なく幾らでも深く濃く長くでき、他のニュースを圧迫するという関係でもありません。話題性に左右されにくくもあるでしょう。その利点を活かした報道形態がありうるだろう、と。内容的に豊富であればDB化することにも大きな意味があると思われますし。
 これはテレビや新聞がタイムリーな話題を「早く」出していくのとは意味的に異なるものでしょう。今まさに起こっていることを知りたければテレビや新聞を、それこそ「一定時間以上前」のことを詳しく知りたければネットでというようなイメージでしょうか。

 新聞は活字の強さの一言に尽きるような気がします。私としては掘り下げているというよりは、同じ穴を幾つも掘っているとか、たまに掘り起こしているというような印象です(わかりにくいよ)。

 ざっくり言えば、現状はどうあれ、1つの事柄についてもっと「まとめてドバッ」と知りたいというニーズに答えるのがネット報道の役割なんじゃないだろうか、という感じです。

ネット報道とは何か?

テレビ報道は、テレビ局がテレビで流す報道。新聞報道は、新聞社が新聞で流す報道。ここまでは、まあ、いいですね。では、ネット報道とは何か?

現状ではそれは、「既存メディア(新聞・雑誌・テレビなど)がネットで流す報道、および非・既存メディア(個人含む)がネットで流す報道」をいうのでしょう。

このうち前者は、テレビや新聞・雑誌と同じものを流すなら、テレビがネットで視聴でき新聞・雑誌がネットで読めるだけのことで、現在より突っ込んだ報道とか、新しい見方を提示する報道が流れるわけではない。

このうち後者は、既存メディア以外のメディア・個人は、たとえば小泉純一郎に張り付くことができないように、政治・経済・国際・司法・警察などの分野で、そもそも第一次情報に接することからして難しい。しかも、カネが取れず、専門的な取材力・分析力・(文章・映像などの)表現力に欠けている場合が多い。【追記 たとえば役所の戸籍係が匿名ブログでガンガン書く場合は、既存メディアが太刀打ちできない情報満載ということがありうる。この種のものには、私はかなり期待をしています】

以上がネット報道についての私の現状認識。一言でいえば、「まだまだ、まるで話にならない」です。

すると、既存メディアがネットで自前メディアと違う報道をするか、非・既存メディアがネットで頑張るかしないと、ネット報道はよりよいものに成長していきません。その際、ネット報道は「ゆっくり、深く、狭く」を目指すのがいいんじゃないの、というのが私の意見。【追記 役所戸籍係のブログは「ゆっくり、深く、狭く」でしょう】

かじかさんの「掘り下げるという意味ではまだまだ新聞の独壇場にある」という意見は、私は新聞を高く評価しすぎだと思います。警察不祥事掘り下げてない。耐震強度偽装掘り下げてない。W杯掘り下げてない。ライブドア掘り下げてない。村上ファンド掘り下げてない。拉致問題掘り下げてない。地上デジタル掘り下げてない。ローカル充実といっても、宮城県知事が引っかかった建設・ゼネコン汚職のとき、地元紙は何も報じなかった(東京の新聞が書いた)。「テレビよりよほど掘り下げている」という意味なら賛成ですけれども。

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●ブログ開設は2006年ですが、1999年からマスコミ演習、マスコミII、放送特殊研究Vといった授業を担当しており、2005年以前のレジュメなど古いものも置いてあります。(坂本 衛)
 

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