テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

開設:2006-05-25 (通年 4単位 3年以上 選択 江古田校舎 放送学科専門科目)

日本大学藝術学部放送学科「放送特殊研究V」(担当講師/坂本 衛)のブログ。2017年度のテーマは「放送・報道における日本語表現の研究」です。

ハノイ 田英夫の証言(TBS 1967年) 2010-10-08

【今週はこれ↓】
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ハノイ 田英夫の証言
1967年10月30日
TBSにて放映
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※以下、昨年度に使ったコメントを流用させてもらう。いくつか追加してある。あしからず。

●当時TBSの田英夫が、西側メディアとしては初めて、アメリカ空爆下の北ベトナム・ハノイに入り、街や人びとの様子を克明に伝えた番組。ただし、西側新聞によるハノイ入りレポートなどは、すでにいくつかあり、世界的に注目されていた。

田は番組で、ハノイの人びとがほぼ定時の米軍の爆撃に対処する(たこつぼに避難したり、火災を消したり、負傷者を救助したり)するのを除けば、めげることなく貧しいが活気ある暮らしを送っており、彼らがが不思議な「微笑み」を浮かべているとレポート。米軍はハノイを破壊しつくすかもしれないが、ハノイの人びとは屈せず、アメリカはベトナムは戦争に勝つことはできないだろうと、強く示唆した。

結果的にその通りになったから、この番組は(西側)世界に先駆けてベトナム戦争の成否を問い、ベトナム戦争の帰趨を見通して、日本のテレビ報道の力を示した、戦後日本を代表する報道番組と言うべきである。ある意味で、当時の西側世界では最高水準の報道番組と言ってもいい。当時のTBSは「ドラマのTBS」であり「報道のTBS」で、要するに「民放の雄」だった。その象徴的な番組。

●以下は、坂本サイト放送お騒が史1960~1969から。1967年10~11月の3項目。

10/30 TBSが報道番組「ハノイ―田英夫の証言」を放送。キャスター自身が自分の取材・体験をもとにフィルムを流しながらスタジオから語るニュース・ドキュメンタリーで、西側テレビ初の詳細な北ベトナム取材報告でもあった。田は「北爆下のハノイ市民の表情に容易ならざる微笑を見たが、それがこれからの戦争の方向に大きな影響を持つだろう」と、アメリカはベトナム戦争に勝てないとの見通しを伝え、大きな反響を呼ぶ。

10/31 20日に死去した吉田茂・元首相の国葬(葬儀委員長・佐藤栄作首相)が日本武道館でおこなわれた。国葬は戦後初。25日の閣議では、国葬当日、各省庁は弔旗を掲揚し葬儀中の一定時刻に黙祷、公の行事・儀式その他で歌舞音曲を伴う行事を自粛、各公署・学校・会社でも同様の方法により哀悼の意を表することなどを要望する方針を了承。これによって31日のテレビ・ラジオから歌謡・演芸・クイズ番組などが一斉に姿を消したため、28日にマスコミ関連産業労組共闘会議が「政府による言論統制」として抗議声明を発表。

11/7 東京・平河町で自民党から幹事長・田中角栄、橋本登美三郎、広報委員長・長谷川峻、元郵政相・新谷寅三郎ら、TBSから社長・今道潤三、編成担当常務・橋本博、報道局長・島津国臣が出て「懇談」が開かれた(もちろんテレビ側が呼びつけられた)。自民党側は「どうして田英夫を北ベトナムに行かせたのか」「田が行けばああいう内容になるのは初めからわかりきっているはずだ」などと難詰。田英夫が日本ジャーナリスト会議の会員であることについても個人攻撃に近い言及があったとされる。

●これと、翌1968年3月のいわゆるTBS成田事件で、TBSに対する与党自民党・日本政府の圧力が爆発。TBSの報道は壊滅的な打撃を受け、TBSの報道局員は「真実の報道は死んだ」と全員が喪章をつけた。TBS成田事件の翌日3月11日、小林武治郵政大臣が今道潤三TBS社長に電話し、のっけに「お前は社長を辞めろ!!」と発言。木村俊夫官房長官もTBS幹部に電話し「これでお宅から一本いただいた」と発言。これも坂本サイトで読める。というか、坂本サイトでしか読めない。調べろ! 勉強しろ!

●田英夫は共同通信社の社会部・政治部出身(社会部長、文化部長などを歴任)で62年にTBS入り。『JNNニュースコープ』のメインキャスターとなり、キャスターニュースの先駆けとなったが、TBS成田事件後に降板した。TBSは「後世から見れば、西側世界で最高水準の報道番組」のスタッフを切り捨てて、生き残りを図ったとも言える。そんなテレビ局って何なのだという話になるね。90年代にTBSが「死んだ」のはオウムビデオ事件。このときは朝日新聞出身の筑紫哲也がTBSを代表して謝罪した。田も筑紫もいずれもTBS生え抜きではないことに注意。

●TBS成田事件で退社した連中が70年につくったのがテレビマンユニオン。彼らの浪人中の給料はちゃんとTBSが支払い、この会社はTBSの庇護下で成長した。『お前はただの現在にすぎない テレビになにが可能か』(1969年)の萩元晴彦・村木良彦・今野勉がそう。ウィキペディアにはテレビマンユニオンを「独立系制作プロダクションの草分けと位置付けられ、制作業界ではオピニオンリーダー的立場を担ってきた」と書くが、この意味では「独立系」などではなく、手厚い庇護を受けたモロ「TBS系」。また、TBSにいられなかった人びとが、そのことゆえにテレビ制作業界のオピニオンリーダー的立場を担ったわけ。その意味をよく考えなければダメだ。

●見せたのはモノクロの映像だね。YouTubeでカラー映像を見ることができる。興味がある人は探してごらん。

●冒頭、「あなたにとってベトナムとはいったい何ですか?」と、冷たい声で女子アナが聞くね。「突然なんなのだ、お前は。無礼じゃないか」といわれて当然の感じで、暴力的に聞く。まあ、当時の流行《はやり》というか、「あなたにとって日の丸とは」と、みんなやっていた。カメラは暴力装置であるという自覚の表明ね。後に見せる田原総一朗や原一男も、このことに自覚的。田原は政治家その他の話を暴力的にさえぎるだろう。あれは「キャスターは暴力装置である」という自覚の表明ともいえるわけよ。

●田は番組でクラスター爆弾の非人道性についても語る。40年前に、世界的に禁止という現在の方向を見通していたとも言える。そのような優れた点は多々あるが、ドキュメンタリーとして「これはどうなんだ」という場面もあるぞ。北ベトナム側の宣伝映像を断りなしに使っているとかね。そういうところを、疑いながら改めて見るという姿勢が超大事。

コメント

忘れられない、あの”笑顔”

田英夫さんの最後の言葉、
「ハノイの人は戦争に慣れている」
「独立のために戦う。独立のためなら、何を失っても構わない」
これは、ハノイの人々の戦争に対する慣れと独立することの尊さを、我々に切実に訴えているように聞こえました。田さん自らハノイに行き取材を重ねたからこそ、非常に説得力のある言葉でした。

「微笑」という言葉が何度か使われていました。
確かに、ハノイの人々は笑顔を絶やすことなく過ごしていました。危険と隣合せの生活の中で笑顔でいられる人々は、本当に強い精神力を持っている人々だと思います。

さらに、「いずれ廃墟になるが、フランスが作ったものだからそれでもいい。また、自分達で作る」という言葉には、ハノイの人々のあまりの前向きさに逆に恐ろしさを感じてしまいました。

この番組を視聴し、「ハノイ」という言葉に敏感に反応するようになりました。ニュースなどでハノイが取り上げられていると、つい画面に見入ってしまいます。
それほどに、ハノイの人々の”笑顔”が強烈に心に焼き付いているのだと思います。

なぜ戦うか

この番組の感想を一言で言うなら「違和感」です。
まずドキュメンタリーなのに、キャスターがスタジオで語るという形式の番組は単純に見慣れないものなので、違和感を感じました。
さらに戦争中の人々が普通に生活している様子、そしてその笑顔。とても変だと思いました。私の中の戦争のイメージは常に、原爆であり、特攻隊であり、荒れ果てた地と負傷者と死体でした。そういう教育を受けてきたので、戦争中なのに一見平和そうに暮らす人々の映像に違和感を抱きました。

しかし、最後の田英夫さんの言葉でわかりました。ハノイの人々がなぜ普通に暮らし微笑をたたえているか。戦争には目的があるということです。それぞれの国が目的や意思を持って戦っているということは、日本の教育では省略されがちだなと思いました。だからといって私は、戦争は絶対に肯定しませんが、こういう点も含めて戦争について考えることは大切だと思いました。

現地の人の真意が分からない・・・

戦後20年も経てば日本におけるアメリカの影響力もかなり低くなってるんでしょうか・・・よくアメリカが,このような戦争批判の番組の放送を許したなという印象をまず初めに受けました。
中盤に印象を受けたのはベトナムの人々の健気さを誇張しすぎだろという点です。買い物は早朝です。爆撃がない少ない時間をヨットなどに乗りながら楽しんでいます。もうこの状況に慣れました。そんな現地の人々ばかりが映っていましたが・・・それは絶対に違いますよね。
市民の中にはアメリカに殺意をもった人たちだっているはずです。憎くて眠れない人だっているはずです。「可哀想」という感情を移入しやすくする為でしょうか・・・健気に頑張ってる部分だけを誇張する番組の編成にかなり嫌気がさしました。

容易ならぬ微笑

ノートをみたらこの文字が
大きく書いてありました。

戦争に慣れるってどういうことなのでしょうか。
死体がそのあたりに転がっていても
車にひかれたネコを見る感じで
 あーあ、
で済まされるということでしょうか。
そんなネコをみるのにさえもなれたらいけない
はずなのに…

人生の楽しみは朝の買い物だけなんて
寂しすぎる。
自分がその環境に生まれ育ったら
そう考えるのかもしれませんね。
やはり日本は恵まれすぎているのかもしれません。

「あなたにとってベトナムとはなんですか?」
今の私なら
「行ってみたい国」
と答えてしまいます。

ベトナム戦争

番組中に映像に合わせて生でナレーションする田英夫の姿に驚きました。 キャスターと動画内容がちゃんとリンクしていないとこれはできないでしょう。

北爆と聞いた時、私はアメリカが北ベトナムをボコボコにして市民は疲弊し飢えに苦しんでいるなどと思っていました。しかし、そこには「容易ならぬ微笑」がありました。 ベトナムの国民性がそうさせたのか、それとも共産主義国の支援がそうさせたのかはこの映像でははっきりしませんでしたが。

ついこの前私はベトナム戦争に関するドキュメンタリー「ハーツアンドマイン」を見ました。ここで取り上げられていたことは『アメリカはベトナム戦争という事実を直視しているか』というものです。その答えの一つに『我々はベトナム戦争から目を背けようとしてる』(元兵士)とありました。そしてアメリカはイラク戦争という過ちを繰り返しました。

ベトナム戦争とはいったいなんだったんでしょう。

伝える為なら、構わず効果的に

落差というか、緩急の激しいドキュメンタリーだと思いました。

中盤まで人々が笑顔で暮らし、戦争を日常のものとし
逞しく(と言っていいのか分かりませんが)生活する様を見せて
おきながら、後半で戦闘機やミサイル・砲台が登場し戦いの映像に。
捕虜を取り巻く人々の怒りの表情と怒号は、先程まで笑顔で日常を送って
いた人達がこんな表情をするなんて……と、嫌でもその変わり様が
突き刺さる見せ方が印象的でした。

冒頭での通りかかる国民へのインタビューや、画面に向かって語る田英夫
から、制作陣は人の感情に訴えることが、どんな論理的説得より
効果的という方法論を採択したのだと感じます。制作側に「?」と
感じる点もありますが、少しでも世に変化や効果が出れば勝ち。
番組作りに対する根本的な熱意を垣間見た気がします。

本田、青木、小林への坂本コメント

> よくアメリカが,このような戦争批判の番組の放送を許したなという印象(本田裕也)

「放送できたからには、アメリカが許したのだろう。許さず、放送できなかったとしても、おかしくない内容だ」という意味? 独立国の民間放送の内容を、他国の政府が「許す・許さない」なんてことが、普通にあったの? 一方、日本政府の圧力は? 調べてごらん。

> ベトナム戦争とはいったいなんだったんでしょう。 (青木達也)

このブログは質問掲示板じゃないので、まず自分の意見を書け。その後に「みなさんはどう思いますか」と書け。

小林将大は、ヘンなところで改行しているね。いちいち自分勝手な改行は不要で、必要に応じて空白行を入れるほうが、読みやすいんじゃないの。言っていること(とくに後半)はその通りだと思うが、「いま」に引きつけてどう? その「根本的な熱意」は、いまのニュースやドキュメンタリーに垣間見ることができるか?

To坂本先生…長々と失礼します。

エッセイ研究という授業の中で下記の様なことを習いました。
その先入観があった為、「よくアメリカがこのような戦争批判の番組の放送を許したなという印象」を受けました。
※ちなみに…下に書いた文言はリンク先のサイトにありましたが、私が直接影響を受けたのはこのサイトではなく先生の言葉です。
自分の考えを表現していたので引用させて頂きました。

「敗戦後は武器を持ったアメリカの進駐軍が日本全土に駐留し治安の維持を確保していました。そして昭和27年にGHQ(連合国総司令部)が撤退した後は、CIAなどのアメリカ政府の情報機関が代わって対日政策の主導権を握るようになりました。その情報機関が主導した日本支配計画として導入したものが日本のテレビ放送でした。

ですから、日本のテレビ放送は歴史の由来からすれば、アメリカによる「日本国民・支配装置」といえるものです。そのため、日本の当時のテレビシステムはすべてアメリカ式のものが流用されています 。

当時のテレビ番組は、反共産主義的な内容や、アメリカが憧憬の的になることを促す内容が意図的に放映されていました。それは、進駐軍が撤退した後も、日本国民が、親米感情を持ち続け、当時脅威であった共産主義に感化されず、日本が親米国家であり続けるため、心理作戦として必要とされるものでした。 」

この番組は戦後約20年してから放送されたものです。
だからすでにアメリカの影響は薄れていたのかな?そんな疑問を抱いた感じです。

>独立国の民間放送の内容を他国の政府が「許す・許さない」なんてことが、普通にあったの? 

現在も沖縄に多数の基地があり、かつ普段の主張もアメリカの目の色を伺っている現状を考えると、日本が完全な独立を勝ち取った国とは思えません。
先生の仰るとおり普通は独立国の放送を他国が介入することはないかもしれませんが、そもそも日本とアメリカの関係は普通じゃないのではないか(例外だ)と考えています。

長々と失礼しました。

Re: 熱意が削られている今

>ヘンなところで改行しているね…
ご指摘の通りでした。コメントを一度ワードに書いてからコピペして投稿していることも相俟って、妙な字面になってしまいました。以降、気を付けます。

>その「根本的な熱意」は、いまのニュースやドキュメンタリーに垣間見ることができるか?
昔ほどの熱意は見られなくなっていると思っています。ニュースの街頭インタビュー一つとっても、別方向の意見を均等に流す等、中立を保ち、考えるのを視聴者に委ね過ぎている印象を受けます。

報道に身を投じている以上、制作者達に根本的な熱意が無いということはないと思います。ただ、問題提起が多く、これと言った一つの仮説・意見を提示したものが少なくなった気がします。見かける機会の多いニュース内のミニドキュメンタリーでは、比較的若手に任されるからか、上手くやろう・面白く作ろうという意図が優先しているように思えます。結果、強いメッセージを内包した番組が減り、熱意を直球で感じられなくなりました。ギャラクシー賞作品のようなものもまだまだありますが、キー局・中央部程、熱意を感じにくい足並みの揃った番組が多いのではないでしょうか。様々な挑戦を試みる地方に比べ、守りを固め、没個性化・迎合を続ける大手局が、その熱意を奪っているように思います。

本田裕也の考えや引用につき

本田裕也の引用はTHINKER Question Authorityというサイトから。引用するときは、引用文と同じ場所に引用元(筆者や著作権者名)を明記のこと。本田のトリップのつぎのURLをクリックすれば参照はできるが、書いておかなければダメ。

引用のうち「その情報機関が主導した日本支配計画として導入したものが日本のテレビ放送」はウソ、デタラメだ。以下の坂本サイト記事を読んで勉強しよう。

放送の歴史「放送法制定までの経緯」1945~50~すべての放送関係者・学生諸君必携~
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/mamos/data/hoso1945.html

「当時のテレビ番組は、反共産主義的な内容や、アメリカが憧憬の的になることを促す内容が意図的に放映」も事実誤認。たしかに「占領下のラジオ番組」はGHQが直接介入し、そのような放送をしていた。しかし、それと1953年以降の日本のテレビ放送を同列視するのはマチガイ。

「意図的」だの「心理作戦」だのというが、その意図は誰の意図か、テレビ番組の何割がアメリカの心理作戦がもたらしたものなのか、まったく検証がない。検証がないから、どうとでもいえる与太話。香港映画はすべて中国共産党の宣伝とか、ハリウッド映画はすべてホワイトハウスやCIAの意図を含むというのと同じレベル。

当時のテレビ番組に反共産主義的な内容が多かったと。当たり前だろ、そんなことは。だって日本は、ちょっと前まで天皇が神様だった資本主義国ですよ。アメリカに命じられなくても、そうに決まっているじゃん。しかも、共産主義は1990年までに事実上、全世界で破綻した。じゃあ反共産主義的でよかったねって話だよな。

本田が「日本が完全な独立を勝ち取った国とは思えない」件で

本田に質問。

沖縄から米軍基地を一掃し、ロシアから北方領土も取り返して、日本が「完全な独立を勝ち取った国」になるべきだと思いますか?

ほかのみんなも、一緒に考えてみてくれ。

※面倒だからパスワートをコピペしているが、何かの都合で(コピー内容に見えない改行記号がくっついてしまったとかで)トリップが違うことがあるらしい。気にしないで。

印象

ドキュメンタリーというより報道に近い印象を受けた。田さんはJNNニュースコープのメインキャスターというだけあって、ナレーションにキャスターっぽさを感じる。
また戦争中にも関わらず、街の人々が普通の生活を送っているように見えることに驚いた。普通は戦争のドキュメンタリーでデパートの売り上げの話なんて出ない。女性もおしゃれをしている。田さんの口では語られてはいるが、そのくらい戦争の血生臭いシーンが後半に入るまではあまり映されていないような気がした。

微笑み

戦争が日常化するなかで、ハノイの人たちは微笑みながら過ごしている。
戦争を知らない私にとって、爆撃というのは恐ろしいものだ。
しかし、ハノイの人々は、空襲すら生活スケジュールに組んで、「空襲の比較的すくない午前中に買い物を済ませたりする」という。
私は、自分が恵まれていると思う。この日本で生まれ、育ち、外国に出ることなくいまここで教育を受けている。
ひとが死んでいても、どこかリアルに感じられない。可哀想だな、とはぼんやり思うけれど。
私も、「知らないところで知らない人が戦争でたくさん死んでいる」ことに慣れきって、微笑みながら生きている。

キャスターが番組に与える印象

最初の「あなたにとってベトナムとは一体なんですか?」は当時の流行だったとのことですが、何か・・・とにかく違和感でした。無関心な人、大事なこととは言いつつ無関心なそぶりの人。
あれがどんな効果をもたらしてるのか分かりませんでした。

内容に関しては、明らかに意図して「ナム戦を考えて欲しい」的なモノを伝えてる(顕著な表現としては子供とお母さんところに、被せて鉄格子にしたり)のが分かるけど、別に嫌な感じじゃなかったです。
キャスターが戦争経験者(特攻隊の生き残り)ってこともあってか、何か説得力に似た、でもちょっと違う何かがあって、問題提起を自然に促している気がしました。
番組キャスターで番組の伝わり方も変わってくるんだろうなぁ。というのを実感させてくれました。

戦争が当たり前の世界

「あなたにとってベトナムとは一体なんですか?」
女性キャスターが道行く人に急に聞いていく姿は、見ていてとても違和感があったと中村君が書いていますが、僕もあのキャスターの姿には違和感を覚えました。しかし、僕はあの通りすがりの人にインタビューするキャスターの映像には
「日本は戦争を忘れている、自分の国だけが良ければいいのか?」
ということを伝えたかったのだと思いました。

次に作品につていてです。
この作品の中ではハノイに住んでいる人達の笑顔が印象的でした。戦時中なのにも関わらずとても生き生きしていて、力強く生きているなと関心したと同時に、彼等の中で戦争が日常の中の当たり前になっていることが悲しいことだなと思いました。
まだ世界中では戦争が当たり前の場所が沢山あります。
その国の人の問題と捉えるのではなく、同じ人類の問題であるという認識を持っていかなければいけないなと思います。

北ベトナムの姿から

情報を知らせる側のマスコミが、「本当」を知るために自ら戦場へ行くという姿勢は、今のマスコミも見習わなければいけないと思いました。今回の田英夫さんの証言にもいくつかの演出が入っているかとは思いますが。
北爆がほぼ同じ時間に行われているのをふまえていつもと変わらないように生活している北ベトナムの人たちは強いな、と思いました。北爆の時間になるとまるで電車に乗り込むかのように速やかに防空壕に非難する人たちは、心が強い人たちで、少しの苦労であきらめてしまう僕も見習わなければと思いました。

番組の信念

世界や自分たちの国の外交にあまり興味を抱かない知ろうとしない私達日本人に対しての警鐘のように感じました。

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●このブログは、日本大学藝術学部(日芸またはNGと略)放送学科の授業の一環として設置しています。学外の方も自由に閲覧やコメントしていただけます。学生らの活動を厳しく、ただし温かく見守っていただければ幸いです。学生には「ブログ炎上も授業のうち」といってあります。

●ブログ開設は2006年ですが、1999年からマスコミ演習、マスコミII、放送特殊研究Vといった授業を担当しており、2005年以前のレジュメなど古いものも置いてあります。(坂本 衛)