テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

開設:2006-05-25 (通年 4単位 3年以上 選択 江古田校舎 放送学科専門科目)

日本大学藝術学部放送学科「放送特殊研究V」(担当講師/坂本 衛)のブログ。2017年度のテーマは「放送・報道における日本語表現の研究」です。

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東京オリンピック(Tokyo Olympiad)つづき 2010-07-02

【今週はこれ↓のつづき】
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『東京オリンピック』(Tokyo Olympiad)
1965年 日本 170分 カンヌ国際映画祭国際批評家賞
監督/市川崑
撮影/宮川一夫、林田重男、中村謹司、田中正
音楽/黛敏郎
脚本/市川崑、和田夏十、白坂依志夫、谷川俊太郎
ナレーション/三國一朗
協力/日本大学芸術学部ほか
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●次週9日は補講期間ですが、授業をやります。坂本は京都(立命館)出張だが、助手さんにDVDを渡し、流してもらって、出席も取る。

●16日は、まとめの話と短い映像を流して、前期はおしまい。

●旧マスコミII受講生は飲み会があるらしいが、放送特殊研究Vはどうする? 坂本と飲み、もっと話を聞きたい受講生が4~5人以上いれば、夏休み中にやるゾ。

コメント

「東洋の魔女」と謳われたあの頃の女子バレー

明らかにレニの真似をしている演出を、つい探してしまいます。
体操やウエイトリフティングのカメラポジション、カヌーやヨットにおける水しぶきの美しさを強調する演出など、まさに『オリンピア』の演出でした。

チャドの選手に密着し撮影した部分。
個人を特定して作品の登場人物の中の一人とすることは、オリンピアにはありません。
選手の生い立ちやチャドという国についてナレーターが詳しく説明していましたが、肝心の競技シーンの尺が短かったように思います。
誰か一人にスポットをあてるのであれば、外国人ではなく日本人選手のほうが、選手自身にも演出にも共感できる部分が多かったかもしれません。

前半はハンマー投げでモノクロ映像が使われていましたが、やはり後半でもボクシングでモノクロを使っていました。
前半、後半ともに一つの競技だけモノクロにすることが、監督のこだわりだったのでしょうか。
モノクロは濃淡がはっきり映るので、画を芸術的に仕上げるのには非常に効果的だと思います。

この映画の中で、最も夢中になったのはバレーボールです。
決勝戦に日本が残っているということが、まず信じられませんでした。
日本は優勝しましたが、本当に信じ難い事実です。
今の女子バレーはブラジルの強さが目立ち、日本はブラジルには全く敵いません。
データバレーというものがなかった東京オリンピックでは、日本は強かった。
仮に今、データで相手チームを分析する技術がないとしたら、日本はあの頃のように強いままだったのだろうか。
データだけでバレーが上手くなるわけではありませんが、やはりデータの力は大きいと思います。

バレーの映像の中で印象的であるのは、勝敗が決まった瞬間です。
ソ連の選手がオーバーネットをした瞬間、映像を一時停止しズームアップしたあとで再生しています。
一連の流れはスムーズではありませんでしたが、監督が工夫を凝らした良いシーンでした。
緊張の一瞬というものが伝わってきます。

新体操の妖しさ

 この映画の中で私の脳に最も深く、刻み込まれたシーンは、新体操の、四肢の舞い。いわば四肢舞いとでも表現されるべきシーンだった。
 監督の演出もさることながら、BGMがなんともサーカスを思わせるような雰囲気のもので、倒錯感が私を襲った。
 当時はまだ新体操というと、すこし見世物的な要素が強かったのだろうか。そうじゃないにしても、このシーンはいささか音楽によって見世物小屋らしい香を漂わせている。
 大きな板に血がついていて「おおいたち」なんていうものが身の回りにあった世代も製作陣にいたはずだし、ひょっとしたら昔見世物小屋を見た誰かの記憶が投影されていたのかもしれない。
 奇怪な音楽に合わせ、画面で動き回る四肢の舞を、おそらく私は生涯忘れる事がないだろう。それはきっと、映画を通して伝わった、ある意味でその内容よりもリアルな、かつての人の世界観であるからだ。

チャド選手、バレーボール、新体操など

> チャドの選手に密着し撮影した部分。(中竹留梨)

授業で言ったように、ディレクターズカット版(2004年に出たDVD)では全削除に。

練習場で一人画面奥から手前に向けて歩かせ、手前から複数の赤いJAPANジャージを着た選手?(かどうかすら、わかったもんじゃない!)が後ろ姿で、しかも計算されたタイミングと画面バランスで登場し、はけていくシーン。唐傘(どこで手に入れた?)を持たせ歩かせたシーン。一人ぽっちで食事させたシーン。自前とは到底思えないジャケットを着せて繁華街に立たせ、仕込みと思われる子どもをからませるシーン(「観光や見物などしている余裕はない」という三国一朗のナレーションと矛盾!)。国立競技場ヤードのシーンなど、基本的にすべて演出・仕込み・やらせの類だね。しかも競技やスポーツに関係がないエピソードです。

私が、上記の「過剰演出」以上に問題と思うのは、貧乏国から来た孤独な選手を探し出し、あいつらも頑張っているぜと「見せ物」にする発想のいやらしさだ。高度成長を果たし大会を主催できた成金日本の優越感、傲慢さを感じて、サイテーだと思うね。

> モノクロ映像(中竹)

ドキュメンタリー・タッチ、リアル感という効果があるんじゃないか。当時のテレビニュースも新聞写真なんかもモノクロだから。ボクシングはモノクロ映像にかぶせて、階級・選手名・国名の一覧リストを出したでしょ。いかにも「記録です」というタッチ。ハンマー投げのモノクロは中竹のいう説明のほうがしっくりくるけどね。あと、モノクロはグロさ、エグさを緩和し、物事を淡々と伝える効果がある(血の色なんかを強調しないから)。ボクシングは、それも考えたかも。

> 日本は優勝しましたが、本当に信じ難い事実です。(中竹)

東京オリンピックで初めて正式種目として採用された。男子柔道もそう。調べてないが、日本が勝てそうな種目として採用を強く働きかけたわけでしょう。つまり「やってる国があまりないから強い」という側面がある。あと、大松監督の「俺について来い!」という鬼の特訓。試合後の監督の孤独な、虚脱感ただよう表情は、当時の日本人には通じたはず(大松がボコボコ投げ入れるボールを選手が泣きながらレシーブするなんてシーンが、テレビなんかで盛んに流れたから)。

> 新体操の、四肢の舞い。(秋田尭律)

新体操は、まだない(84年のロス大会で正式種目に。そういうスポーツがあると日本人が知り始めるのは68年の全日本学生選手権以後)。秋田のいうのは女子体操で、チェコのチャフラフスカね。東京とメキシコで個人総合金。

過剰演出につき、追加

直上のトリップがまたヘンだが、なんでかね? 慎重に打っているんで、間違いないと思うんだけど。

チャド選手関連映像の過剰演出につき、追加。

坂本は五つのシーンを「基本的にすべて演出・仕込み・やらせの類」と断定した。これ、別に製作ノートを見たとか、当時のカメラマンに聞いたとかいう話ではない。学生諸君と同じ映像(だけ)を見て、五つとも間違いないと判断している。

その判断材料はたとえば、1)できすぎの、都合よすぎる映像だ(例:10人くらい選手が映っていて、チャドだけがゆっくりこっちに歩いて来て、他の日本人全員が違う方向に、顔を見せずに走る)、2)常識的に考えてヘンだ(チャドがなんで唐傘? あんな混み合った食堂でなんでチャドのテーブルだけ一人? 渋谷かどこか知らんが、なんで一人で出かける? 45年以上前の日本で、都内を歩く黒人なんて誰も見たことがないのに、なんで子どもが近づく? 親が止めるだろ、普通は)、3)映像内で矛盾が生じている(ナレーションによれば「カネも余裕もない」はずなのに、唐傘を買い、ジャケットを買い、繁華街にいる)などだ。

私はギャラクシー賞報道活動部門というものの審査委員長を4年やったが、放送局が自信をもって出してくる「報道」ジャンルの映像のなかに、「ここでカメラが張っているってことは、こいつが来ることを知っていたわけじゃないか」とか、「追跡班がギリギリフェリーに乗ったって映像を、陸から固定カメラでしっかり撮っているのは、なんで」とか、ヘンなのが結構あるのです。そういうのを「映像だけ」から読み取るリテラシーを学んでもらいたい。

ただし、以上は必ずしも、映像の正しいというか、真っ当な見方ではないことに注意。表現には、そんな重箱の隅よりも大事なものがある、ということを忘れてはダメだよ。

日本復興の記録と芸術

あの黒澤明監督が予算の関係で断り、今村昌平さんをはじめ複数の監督断って、最終的に市川崑監督が引き受けたとされるこの記録映画。いったいどんな完成度で仕上がっているのか、見る前、とても興味深いものがありました。
「記録か芸術か」の論争を招いたこの作品ですが、どちらもだと感じました。
特に印象深かったのが、女子バレーと、サッカーの映像です。女子バレーは、やはり感動しました。戦後復興した日本を代表して、当時の女子バレー選手たちが必死に戦う姿が「記録」されていて、その感動を呼ぶ映像が「芸術」のように感じました。
サッカーは、現在のサッカー放送の映像(撮り方)と少し違う点がありました。それは、全体の絵が少ない事です。ほとんどの映像がミドルサイズかアップのものが多くて、視野の狭い範囲でしか試合が見れない映像でした。その点から考えると、これは「記録」できていなくて、選手たちの華麗なボールさばきを芸術的に撮ったのかなと思いました。
ところで、余談になってしまうかもしれませんが、
東京オリンピックにおいての聖火ランナーは、聖火の最終ランナーは、1945年8月6日に広島県三次市で生まれた19歳の陸上選手・坂井義則さんという方でした。(実はこれを見るまで知らなかったのですが)
彼は原爆投下の日に広島市に程近い場所で生まれたのですが、青空の下、聖火台への階段を駆け上る姿はまさに日本復興の象徴であるように思えます。「原爆投下の日に生まれた」というエピソードからぎりぎりで坂井さんに変更されたそうで、私は同じ広島出身として誇りに思います。

日本スポーツの成長と一流アスリートに必要なモノ

私がこの作品を見て印象に残ったのは、女子バレー、マラソンでした。
日本女子バレーの強さもとても印象的でしたが、私が一番印象的だったのはサーブの打ち方でした。今では男子バレーも女子バレーも、上からサーブを打つ姿をよく見られますが、今回見た映像ではアンダーサーブを打つ姿が多く見られました。スポーツの成長を感じました。


マラソンは円谷の最後まで表情をほとんど変えず、一点を見つめただ淡々と走る姿には心を奪われました。
おそらく当時の人達にも沢山の人達に感動を与えた円谷が、この後自殺をしたと先生がおっしゃっていましたが、円谷が自殺したのは「次は金!」と国民から、マスコミから重すぎるプレッシャーだと思います。
一流のアスリートに必要なのは、優れた技術、体力……様々なことが挙げられますが、一番必要なのはどんなプレッシャーもパワーに代えられる強靭な精神力なんだと改めて感じました。

民族の祭典リスペクト・・・?

記録性か芸術性か という観点にからめて。

民族の祭典からの影響、というよりパクリが随所に見られ、相当に意識して作られているのは天皇の映し方などにも現れていて、そういった観点から見ても面白かったのですがTokyo Olympiadはあざといほどに「日本」が意識されていて民族の祭典ほど「芸術性」にも魅力が感じられなかった印象が大きいです。

民族の祭典で描いたように音の面から見ても、ノイズというか汚い作った音があまりにも多く幻滅しましたし、確かに技術や装備は発達して、できること(作れる映像)は多くなったのだと思いますが、日本の戦後復興を意識しすぎか、国歌も日本のは体操の表彰式、バレーボールとフルで2回流れるし、その割りには米ソの観客席の盛り上がりを対照的に映すシーンが長かったり(ある意味時勢を上手く意識してるとも言えると思いますが)民族の祭典で感じた芸術性がそういった点でぐっと削がれてしまっていた・・・のかな?全体としてそんな印象を受けました。

スタッフロールで日芸映画学科もこの作品に参加していたと知り、ああ、この頃の日本人は入学したばっかりなのかな?と感じました。

新体操

あのBGMというか効果音というか…
あれは必要なのでしょうか?
始め見たときは
「こんなに会場は静かでこんな音まで聞こえてくるんだ」
と感動すらしてしまった自分が情けないです。
だんだんに不自然さが「??」と。
あんな過剰演出があったんですね。

似ている

美の祭典(オリンピア)に似ていると思う部分が多々ありました。
様々な方向、角度から撮影してスロー映像で流す。
その後に応援や声援をのせる。
美の祭典と同じ作り方だと思う。
美の祭典と比べると効果音が多く使われていて、そこは少し大げさ過ぎではと感じた。
この作品も記録作品よりも芸術作品ではと私は思っています。

オリンピックの光と影

チャドの選手を食堂で1人で食べさせたり、それによってチャドの選手の彼以外の選手たちはみな明るいような演出になっていて、これはやりすぎだろうと思いました。演出も必要とはいえ、過剰だったかなと思いました。
主にスポーツの今と昔の違いについて集中して見ていましたが、レスリングで日本人が決勝にすべての階級で行っているとか、サッカーの決勝のカードがハンガリー対チェコスロバキアというところも、今の勢力図とは違って懐かしく感じました。チェコスロバキアはワールドカップでベスト4に入ったチームでもあり、ハンガリーは1954年のワールドカップで準優勝したチームでもありましたがハンガリー動乱にてチームの主力の多くが国外逃亡したにも関わらず決勝まで進んだのはすごいなあと思いながら見ていました。
無理矢理オリンピックの光と影を作ろうとして、スポーツの華やかなシーンとの対照でチャドの選手を使ったのかなと思いました。

日本復興

戦後の日本復興を強烈に感じさせる内容だった。
盛り上がりようがとてつもない。日本でオリンピックが行われ、なおかつこんなに盛り上がったという事実に驚愕した。

今の日本がこの頃のような活気を帯びる事は今後二度と無いように思えて少し寂しくなった。

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