テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

開設:2006-05-25 (通年 4単位 3年以上 選択 江古田校舎 放送学科専門科目)

日本大学藝術学部放送学科「放送特殊研究V」(担当講師/坂本 衛)のブログ。2017年度のテーマは「放送・報道における日本語表現の研究」です。

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美の祭典(オリンピア第二部)つづき 2010-06-18

【前々回のつづき、これ↓の後半を見せた】
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『美の祭典(オリンピア第二部)/FEST DER SCHONHEIT-OLYMPIA TEIL II』
1938年 ドイツ 138分
監督/レニ・リーフェンシュタール
撮影/ウィディ・ジールケ
音楽/ヘルベルト・ヴィント
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※以下、全面的にネタバレです。ご注意ください。

【坂本の暗闇メモ(君らもメモ取っているわけだよね?)と意見(★印)】

●ホッケードイツ対インド。大歓声はアフレコだろう(スローモーション映像にかぶる)。
★当時のインドは独立国ではないよ、念のため。

●ポロ。軽快な、ユーモラスな音楽。どこのチームの誰が戦っているのか一切不明。ナレーションもなし。
★レニは、ゲームより駆けている馬が好きなのだろう。

●サッカー決勝戦。イタリア対オーストリア(2対1)。
★背番号をつけていないのに気づいたか? 気づけ! ボールがあまりはずまない。ドリブルしてセンタリングしヘディング以外、これといった組織戦術、組織的守備というのは、なかったように見える。

●自転車団体ロードレース100km。自転車整備、車輪アップ、足の筋肉をほぐすなどの準備映像から入る。いけいけの音楽。最初のうちは団体・集団としてしか描かない。「どこそこが出てきた」とナレーションで盛り上げ、次第に「より」の映像に。
★フランス3選手のアップ。第一部のマラソンと同じような映像(飛んでいく風景や選手の再現映像。風景は別撮りだよ。レースを撮っているとき、あんなの撮る余裕はないだろ)。前からの選手のアップは、競技中には撮影できない。選手に、大会役員だかコーチだかが、地図を見せながらコースを説明しているところから、コース説明画面にいく場面があった。試合前に、あんなふうにお気楽に説明しないね、普通は。再現映像だよ。
★フランス国歌「ラ・マルセーユズ」が(前半ナレーションがかぶるものの)全曲流れる。第二部で全曲流れたのはこれだけ。第一部では「君が代」だけが全曲流れた。ナチの、ヒトラーの宣伝映画だって、ドイツ国歌を全曲流すわけではないことに注意。

●総合馬術。馬の足のアップから入る。バロン西の勇姿も。過酷なレースで急坂になっている水壕では落馬続出。最後の水壕では、馬の突っ込み、落馬、水しぶきや広がるうねり、馬や落馬後の選手の挙動などを、勝敗そっちのけで描く。スローやアップを多用。落馬した日本選手は水の中から馬に乗ったが、欧米の選手はみな馬を水たまりから出してから乗っていた。ヤル気をなくして動かない馬、スタスタ自分で水から上がろうとする馬など、馬それぞれでおもしろい。勝ったのは個人も団体もドイツ。
★西竹一は爵位があった。1932年のロサンゼルス大会で、愛馬ウラヌス号を駆って金メダル。その後、戦車第26連隊長を務め、硫黄島で戦死。クリントの映画[渡辺謙、二宮和也、中村獅童らが出ていた]『硫黄島からの手紙』に出てきただろ。米軍は「バロン西、あなたを失いたくない。投降せよ」と繰り返し呼びかけたが、西は応ぜず

●ボート、フォア。「ドイツ、ボートで五つ目の金メダルです」とナレーション。

●ボート、エイト。コックス(舵取り。漕ぐピッチをコントロールする)が、かけ声をかけ、オールのきしむ音や水音まで聞こえる映像。各国の言葉を、各国のボートにかぶせてある。ドイツが勝ちそうなナレーションだが、結局米伊につぐ3位。疲れ切った選手の表情。喜ぶアメリカ勢。
★当然、別録音のアフレコ。レース中のあんな音は録れない。艇上で漕いでいる選手のアップ、コックスのアップもありえない映像(川岸からしか撮影しておらず、ボート上のカメラなんて映ってない)。再現。

●競技場、旗、観衆、背後に青空に浮かぶ雲。その雲の下で、水泳飛び込み女子(★そこまでのもっていき方がオシャレ)。「米独日の争い」とナレーション。日本の大沢選手のアップと水中の映像。別の日本選手も。
★あの日本女子の大活躍、いまじゃ大騒ぎのはず。

●男子200m平泳ぎ決勝。日本人は小池、葉室、伊藤の3人が決勝進出。優勝は葉室で2分42秒5は五輪新。小池も3位に。エラい!
★水中のありえない映像は再現。ゴールシーン、バタフライやってたヤツがいたような。いいのか、あれ)なお、男の水着は海パンでなく、いまでいう女子のスクール水着の形。中村光輝が指摘したのは、ターンが旧式だと。

●男子100m自由形。「本命の日本選手に対抗できるか」とナレーション。遊佐が銀で新井が銅だった。
★表彰式で月桂樹の冠をもらうも、二人ともあまり喜んでいないのが印象的。金を取れなかったのが、悔しいというより、御国に申し訳ないという気持ちでは。いまなら大喜びのはず。

●女子100m自由形。
★水泳は、コース幅がいまより広いような。選手がいまより小柄だからそう見えるのか。誰か調べてくれ。

●男子飛び込み。日本人も盛んにアップに。心配そうな日本人女性の顔アップも。音楽のみでナレーションナシ。国名・選手名・順位一切紹介なしで、ひたすら肉体美、ジャンプ(中の姿勢)のおもしろさ、飛び込む瞬間の水はねを追う。
★ありえない映像が、だんだん増えていく。ジャンプ台の上にカメラがいる! ほぼ真下から撮っている!

●飛び込み映像はガンガン、エスカレート。空中の回転シーンだけの切り取り映像。宙を舞う、その連続。レニが大好きな、逆光の中のシルエット。ばんばん飛び込む。
★もはや、「オリンピック競技」「スポーツ」を撮っていない。宙を舞う人間から、太陽、雲へ。

●その雲、夕空の表現から、夕闇の中の競技場へ。例の鐘がガランガラン映像とかぶる。競技場の周囲から天に向かう光の柱(多数配置された、いわゆる「探照灯=サーチライト」の光。バットマンなんかのあれ)。鐘のアップ。聖火らしき火(ただし、聖火台のではなく、別の小さな台に移した火)。各国の国旗がお辞儀をし、ポール先端に月桂樹の冠をかける。五輪旗。背景にスモーク。火が立ち上っていく。荘厳な音楽。光の柱に囲まれて立ち上っていく火、煙。ファンファーレが鳴り響くなか、光の柱が上へ、空へ、天へと昇っていく。天が明るい。その光が消えていき、THE END!
★あんな強烈な光の柱は、いくら強烈なサーチライトを並べたって、ない。先にいくほどだんだん暗くなるはずの光が、天上でもっとも明るくなるのも、現実ではない。つまり合成映像。作った映像。このエンディングは、第一部の導入部に対応しているのだと思う。天からもらったものを天に返すイメージ。

【その他、話したこと】
・このとき、競泳女子200m平泳ぎで前畑秀子が金メダルに。NHKラジオの実況で河西三省アナが「前畑がんばれ。がんばれ、がんばれ……。前畑勝った勝った」と絶叫したことで有名。日本人も大興奮。映画にチラリとも出てこないのは残念。

・最後の50mの実況は以下(日本放送協会編「放送」昭和11年9月号、第6巻・第9号より。米=メートル)
「ターンしました、ターンしました、たゞ今ターンしました、一と掻き僅かにリード、前畑がんばれ!前畑がんばれ!がんばれ!がんばれ!あと四〇、あと四〇、あと四〇、あと四〇、前畑リード、前畑リード、ゲネンゲルも出て居ります、ほんの僅か、ほんの僅かにリード、前畑僅かにリード、かんばれ!前畑がんばれ!かんばれ!かんばれ!あと二五、あと二五、あと二五、僅かにリード、僅かにリード、僅かにリード、前畑!前畑がんばれ!がんばれ!がんばれ!ゲネンゲルも出て居ります、がんばれ!がんばれ!がんばれ!がんばれ!がんばれ!がんばれ!がんばれ!がんばれ!前畑、前畑リード、前畑リード、前畑リードして居ります、前畑リード、前畑がんばれ!前畑がんばれ、リード、リード、あと五米、あと五米、あと四米、三米、二米、あッ、前畑リード、勝つた!勝つた!勝つた、勝つた!勝つた!勝つた!前畑勝つた!勝つた!勝つた!勝つた!勝つた!勝つた!前畑勝つた!前畑勝つた!前畑勝つた!前畑勝ちました、前畑勝ちました、前畑勝ちました、前畑の優勝です、前畑の優勝です、ほんの僅か、ほんの僅かでありましたが、前畑優勝、前畑日章旗を揚げました、前畑さんありがたう!ありがたう!優勝しました、女子競泳で初めて大日章旗が揚がるのです」

・とにかく日本の水泳というのは強かった。戦後の1949年、古橋広之進がロサンゼルスの全米水泳選手権大会で3種目に世界新で優勝し「フジヤマのトビウオ」と言われ、日本人を大いに元気づけた。⇒スポーツと放送の興亡年表(1945~2000)
だが、戦前からムチャクチャ強かったわけ。やっぱり日本は大国だった。だからこそ英米と激突した。

・オリンピックは1936年。この映画の製作は38年。その翌39年9月1日、ヒトラーのドイツはポーランドに電撃作戦で侵攻し、第二次世界大戦が勃発。ドイツはヨーロッパを席巻し、フランスを占領し、ソ連まで攻め込んだ。ナポレオンと同じだ(同じように冬将軍にやられた)。そのころ日本も英米に対して開戦し、徹底的に負かされてしまう。

コメント

好きなものはとことん使う!自由な人

レニは、映像表現に水を使うのが本当に好きです。
総合馬術で、池を走る抜ける人間と馬の映像を使った以降、全て水に関係のある競技をセレクトしていました。

総合馬術の演出で特徴的なのは、失敗を強調していることだと思います。
落馬のシーン、馬が暴れているシーンを多く使っていました。
『美の祭典』の中で唯一、笑ってしまう映像です。
「美」と「笑」を上手く結び付けていると思いました。

ボートの掛け声、これは後から入れた声であるとすぐにわかりました。
選手と一緒に乗らなければ撮れない映像もあります。
オールを握る手や腕の筋肉を映すこともあれば、選手の表情をアップで捉えることもある。時にはレース全体を映し、競い合う様子も見せる。
このように、非常に自由な演出です。

最も印象的な競技は、飛込みです。
基本はスローで見せており、優雅な時間を作り出しているように感じました。
女子の場合は、水中の映像が美しかったです。
水中に入ってから沈んでいく際に出る泡が、演出に一役買っていました。
男子の場合は、飛込む瞬間のみを連続で見せるという映像表現に驚かされました。
最後には逆光で人間のシルエットしかわからなくなり、空のほうがはっきり見えている状態です。
レニの作るシルエットには、本当に感動させられました。
「美しい」以外の言葉が見つかりません。

水しぶきをスローで見せることが多かった作品ですが、同じ水しぶきを使っていても全く飽きることがありませんでした。
もっと見たいとさえ思います。
「ここは再現だな」という風に考えながら、映像を楽しむこともできました。
きっとレニは、美しいものを沢山目にしてきたのでしょう。
だからこそ、あのような美しい作品を作り上げることができたのだと思います。

過程が少ない?

サッカーで背番号がない選手がいた事ですが、恥ずかしながら気づきませんでした。
とりあえずボールを蹴る音は、今ほどマイクも発展しない時代にしてはしっかり聞こえすぎてることに違和感を感じましたので、あてた音なんだと気づきましたが・・・。

サッカー・馬術・ロードレースなど時間・距離がとても長い競技に限っての事ですが、スタート・ゴール・障害部分などメインの描写がとても多く、例えばロードレース途中での先頭集団にいる選手同士の駆け引きなど過程の部分を描こうとする姿勢は今よりも若干少ないのかなと感じました。
一部の稚拙な技術はありましたが、これらの作品の手法が今日のスポーツ放送などでベースになっていると考えると、とても面白さを感じられる作品でした。

アスリートスタイル

物が豊かではない時代のオリンピックということで、水泳ではゴーグルが着用されていなかったり、キャップも装着していなかったりしていて、泳ぐスピードはかなり早いはずなのに、なぜかどこか遅く見えてしまう・・・
また、飛びこみの競技においても、下着のような海パン1枚で飛び込む姿は、確かに演技自体はとても素敵なのですが、どこか今とはパワーがおとって見える気がする・・・
なぜだろうかと考えてふと気が付きましたが、
やはりアスリートが身に付けている物の質の違いも関係あるような気がしました。
今のアスリートが身に付けているような道具ないし服(小物)は、それを持っているだけで、なぜか存在感があって、強そうにだって見えます。
瞳の見えない、キラリと輝るゴーグルが、そのアスリートをよりパワフルに見せている上で全く関係がないといったら嘘になる気がします。
いかにドラマチックな映像を構成したとしても、今と昔ではこんなにも、アスリートスタイルで、美率が上がってしまうんだなと思いました。

中竹、本田、冨田はコメントして

> 全て水に関係のある競技をセレクトしていました。(中竹留梨)

なるほど。それはよいところに気づいた。「映像表現に水を使うのが本当に好き」以外に、そのセレクトの理由を考えてみよう。

> 一部の稚拙な技術はありましたが、(本田裕也)

技術面でどこがどう稚拙? 具体的に指摘して。

> アスリートスタイルで、美率が上がってしまうんだな(冨田奈央子)

「美率」ってなに?

こんなに楽しく見れるとは

 美の祭典をこんなに楽しく見られるとは思っていませんでした。やりすぎなんじゃないか、と思うくらい声援・実況がすごく目立っていて、なんだか見ている私まで興奮してしまいました。だけど、よく聞いていると詳しい実況はほとんどない!!
 自転車レースは実況と映像がほとんどあっていなかったし、ラストの周で選手が接戦しているはずなのに、個人のUPになっているし・・・。それじゃあみんなが頑張っているところが見えないじゃんって突っ込みたかったです。
 ボートレースはなんでCOXから見た漕手・ストロークの顔UPができるかがすごく不思議でした。高校のとき部活でボートをやっていたので、ありえない映像にただ驚くばかりでした。
 男子飛び込みからのエンディング。実際にはありえない映像だけど、私はここが1番好きでした。たぶん、最近のオリンピックの宣伝映像でも、なかなか飛び込みからエンディングという発想はできないと思います。日が暮れていくにつれて、選手がぽんぽん飛び込むところが、幻想的でよかったです。
 ありえないでしょ・・・って思うことがいっぱいあったけど、飽きずに見ることができたのは、やっぱり宣伝映画だったからなんだなって、先生の話を聞いて納得しました。

このゲッベルスという人・・・

 なぜ「美の祭典」でドイツが自国の選手の活躍ばかりを記録していないのか見ていてずっと疑問でした。すると当時のドイツは意外にプロパガンダ映画の作成ばかりにこだわっていなかったことが分かりました。

 この「美の祭典」もプロパガンダ映画からはかなりかけ離れたものだと見て分ります。

 それはまずレニ・リーフェンシュタールが運動が持つダイナリズムや肉体の美しさに着目していたことが理由の一つにあげられると思います。ダンサー出身の彼女らしいです。

 そしてこのゲッベルスという人がやはり大きな原因じゃないでしょうか。当時の宣伝大臣であった彼は「戦艦ポチョムキン」を見て映画の娯楽性に気がついたようです。エイゼンシュテインがユダヤ系だというのに・・・その辺を気にしない割り切った考えを持った人なんでしょう。 そのわりにはレニに求愛し断られたことに腹を立てて映画制作の妨害をしていたという話があって・・・なんなんだこの人はって思います笑 
 ということで「戦艦ポチョムキン」の娯楽性に触発されたゲッベルスは娯楽映画の作成を推薦していたようです。なんか調べていくうちにこのゲッベルスというおじさんがすごくお茶目に思えてきました。

 映像の感想として「美の祭典」はなんて美しい作品なんだ!の一言です。 

 レニが作ったこの「美の祭典」の本当の価値、それは”美しさ”は時代、出身、人種などを越え、争い合う人々までも”美しさ”前ではすべてちっぽけなものに変わってしまうことを気づかせてくれるところにあります。 

造り物のオリンピック

サッカーの映像が1番印象的でした。
今のような引きの画が少ないため、今ボールがどこにあるのかわからないし、選手もどのように動いてるかわかりずらい。
結果、試合自体がどのような流れになってるかもわからない。
個人のアップがあることにも驚いた。
実況でゴールって叫んでるけど、ボールが映ってないからほんとに入ったのかなーとちょっと疑ってしまった。

馬術は現在にはない競技なので新鮮。
スローを使ってるので、スポーツを見ているというより映画とかドラマを見てる気分。
水に落ちた選手がどのようにそのピンチを回避するのか、見ていて楽しかった。
自転車競技の監督が選手に道順を説明している場面から、そのまま地図のアップになり視聴者へ道順を紹介するような映像が違和感があった。
やはりこの時代のオリンピックはスポーツを生の中継で楽しむというより、造り物として映像を楽しんでいたのかなと思った。

「水が好き」以外の理由とは

水をセレクトした他の理由を考えてみました。
レニは、水と人間の「共存」というものに、最大の美しさを感じたのではないでしょうか。
その美しさを伝えたかったレニは、とにかく水を使っていたのだと思います。

美率

美率とは?という先生からのコメントの返答ですが、
実際コメントを書いていて、どう文章で表現したらいいかわからず「美率」とくくって書いてしまって曖昧な表現になってしまいました。
噛み砕いて言うと、「美化されてしまう」ということが言いたかったのです。
身につけるものがすごいと、それだけで強く見える(美化される)のが現在で、
逆を言えば、身につけるものが大したことないものであれば、選手も弱く見えてしまうということです。
よく、「かたちから入る」と言いますが、かたから入れば、何事も割増で良く見えるような気がします。
このVTRは、劇的な構成で見せられているけど、映る対象のスタイルによって、「強さ」が軽減されている気がすると思った・・・・
ということです。

気付くこと

サッカーの映像は印象的でした。
見ていて気付いたのは背番号がないのと、ボールの色が違う事でした。背番号がないと誰かもわからない。ボールも下が土だったのもあって見づらかった。
フルショットばかりでよりがなかったので、今のW杯の映像はすごいなって本当に思いました。
乗馬では見終わった後に先生に「西」が居た、硫黄島にも出てたと言われてハッとしました。バロン西さんは硫黄島でも馬にのっていて、最後までアメリカ人をかくまっていました。それがなぜそうしていたのかがこの時わかり感動してしまいました。それと同時に、映画も疑問に思った所は勉強するべきとおもいました。

言葉は正確に!

> 最後までアメリカ人をかくまっていました。(藤原香弥)

クリント・イーストウッドの映画では「かくまっていた」んじゃなく、「捕虜の米兵を殺したり殴ったりせず、丁重に扱って、ケガの手当もしてやり、英語で話しかけたりしていた」。調べてないが、西ならばそうしたに違いないという創作だろう。かくまう=「人をひそかに隠しておく」って意味ですよ。戦場で米兵をかくまった日本人は、発覚した時点で銃殺だよ。言葉は正確に!

これは他の受講生にも言いたいが、言葉を「自分勝手に思い込んだ意味」で使ってはダメ。人に見せない日記ならどうでもいいが、他人が読むことが前提となるの文章では、言葉は「辞書に載っている意味」だけで使う。辞書と異なる意味を持たせたいときは、その場で必ず説明を加える。そうしなけりゃ、文章の意味が他人に伝わらず、議論にならないからね。

「映画の娯楽性」と「娯楽映画」

> 「戦艦ポチョムキン」の娯楽性に触発されたゲッベルスは娯楽映画の作成を推薦(青木達也)

『戦艦ポチョムキン』の娯楽性って、どういう点? 戦艦~』は娯楽映画か?

宣伝大臣ゲッペルスは、宣伝映画・プロパガンダ映画でなく娯楽映画を製作しろと命じたり、そっちに大きな予算を割いたりしていた?

「特定の映画に”娯楽性”がある」ことと、「特定の映画が”娯楽映画”である」ことは違うね。たとえば、全体として「ユダヤ人は全部ブチ殺せ」とのメッセージを伝える映画(普通は”娯楽映画”とは言わない)で、その映画の一部分がとても笑えて楽しめる(娯楽性がある)ことはありうる。だから、娯楽性の重視と娯楽映画の推奨は、直接には結びつかないのでは?

『美の祭典』が宣伝・プロパガンダからかけ離れているのはレニのせいと、もう一つゲッペルスの存在が大きい、というのが青木説。では、『民族の祭典』が『美~』より宣伝・プロパガンダに近いことは、どう説明する? その説明に当然、レニとゲッペルスは使えないわけだが。

サッカーのボールの色

※上の二つは、坂本書き込みだ。なぜか、トリップがほかのと違うが、間違いないゾ。

> 見ていて気付いたのは背番号がないのと、ボールの色が違う事でした。(藤原香弥)

ボールの色には、よく気づいた。では、なぜ、藤原の知っている色ではないの? 考えるか、調べるかしてごらん。放送学科の学生ならば知っているべき理由によるのでね。

レニの思惑

「美の祭典」を見ていると、本当にオリンピック競技の競争性(どこが・だれが強いとか弱いとか)が実際全然描かれていないし、気にもならないです。
というのはいちいち画そのものが美しいから。
私はレニが「スポーツの勝敗はどうでもいい!スポーツしてる人は美しい!それが全て!」と言っているような、そう感じさせようとしているような気がしましたし、自分もその通りの気持ちになりました。

しかし、映像の前半を見たときに自分があまりにも映像全部を鵜のみにしてしまっていたので、後半はどの部分の映像が別撮りされたものか、など考えながら見ました。
飛び込みなど、あまりにも不自然なものはすぐにわかりましたが、サッカーの背番号まで気づくことができませんでした。

総合馬術の、水壕で落馬した際の対処法が、各個人であまりにもばらばらで、人間性のようなものも見えたのが面白いと思いました。

本当に好きだと思う

飛び込み競技のシーンで逆光の中でのシルエットが多く流れた。シルエットを使ったシーンが多い。シルエットを使うのが好きなのだろう。
そして、当たり前の様に選手の名前などもはでてこないし、普通なら撮れない角度からの映像も挿入されている。 
あらためて競技の結果などを重要視したのではない、美しさを重要視した作品なのだなと感じた。
最後の競技が飛び込みなのは美の祭典に相応しいと思った。

追求したのは映像だけじゃない

上記コメントで言われているように、全体的な感想としては
記録と言える程細かい情報が分からないことと、当時の状況や技術を
考慮して見た時の音声面の違和感がすごいなという印象が強く残っています。

個人的な感想ですが、この映画の効果音の付け方は
ディズニー映画(最近のCG多用の作品ではなく、初期の白黒ミッキーの
短編映画など)を彷彿させられました。
アクションに合わせて打楽器などを印象的に使う点は勿論、
馬術の落馬シーンなどの冷静に見れば過激なシーンを
SE付加によって割とコミカルめに描く部分もあり、ディズニー映画に
近しいものがあるのではないかと思いました。

情報が無い為、極めて薄っぺらい憶測ですが、ヒトラーが白雪姫のキャラを水彩画で描く程にディズニーのファンであったことが、
この作品に少し影響したのかもしれない……そんな考えも巡ります。

「美の祭典」のタイトル通りに美しさを讃えた映像に目が行きがちですが、
多数の音声の再録やアテレコといった、品質向上の為の音響面の注力も
評価されて然るべき美しさを秘めているのではないかと思います。

撮り方にこだわっている

ホッケーのGKが今よりかなりユニフォームが軽装だったり、サッカーのユニフォームに背番号がなかったりGKがグローブつけていなかったりボールが古かったりと、相変わらずスポーツの時代を感じる点は多かった。
だが、カヌーの極端に選手に近い映像や、男子飛び込みのスロー再生など、監督がとことん撮りたい絵を撮るということにこだわっているのが目に見えて分かりやすすぎて、逆に楽しく見ることができました。
今のスポーツシーンでも良く見るスローを多く使っているものの、使い過ぎは逆に飽きるよということを示してもいたと思います。

監督のこだわり

民族の祭典と異なり、映像美に焦点を当てている点が印象的でした。

また、カメラの位置や構図も斬新なものが多く、監督の美を表現するためにはあらゆる手段を用いるというこだわりの大きさを感じた。

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●ブログ開設は2006年ですが、1999年からマスコミ演習、マスコミII、放送特殊研究Vといった授業を担当しており、2005年以前のレジュメなど古いものも置いてあります。(坂本 衛)
 

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