テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

開設:2006-05-25 (通年 4単位 3年以上 選択 江古田校舎 放送学科専門科目)

日本大学藝術学部放送学科「放送特殊研究V」(担当講師/坂本 衛)のブログ。2017年度のテーマは「放送・報道における日本語表現の研究」です。

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話だけで終わっちまった 2010-06-11

【美の祭典(オリンピア第二部)の後半を見せるつもりが、話だけで終わっちまった。覚えていることだけ書く】
※「こんな話も出た」というのをメモしていた人は、コメント欄で補足してくれ。そして、自分の意見をコメント欄にお書きなさい。

「メディア」とはどういう意味か?

もともとの意味は、途中にあるもの、媒介するもの。

私は中高と油絵を描いていたんだけど、チューブから出した油絵の具を溶くのに、テレピン油とかペトロールとか、小瓶入りの油(溶剤)を使う。とくに描き始めは、おつゆにして描く。この油を「メディウム」というが、語源は同じよ。で、森を描くのに緑色やら黄色やらをパレットの上に出して薄めるとき、油に極端な色がついているとマズい。緑を赤で溶いたら黒(グレー)になるからだよ。

それと同じで、「メディアは無色透明であるべきだ。右で誰かが言ったことを、そのまま、左に伝えるのがメディアの役割だ」と思っている記者やらメディア企業やらが多い。どう思う? それは全然ダメだと、私は思う。それでいいなら、メディアは要らない。存在理由がない。政府がホームページで、企業がホームページで、直接大衆なり消費者なりに伝えたいことを伝えればいいんでね。

メディアは、誰かの発言や起こった事件について、本当は白なのに黒だとウソをついてはもちろんダメ。この点では無色透明でいいが、それに加えて、発言や事件の「意味」や「問題点」を伝えなければ。バカな発言だと思ったら、その発言を伝えると同時に、「バカだと思う」と伝えるべき。それをやらないのが、日本のメディアだ。

後からの参考

平凡社『世界大百科事典』で「メディア」と引くと、「コミュニケーションを参照せよ」となっていて、【コミュニケーションの前提】という項目に、次のように書いてある。

【引用ここから】
[メディア]
 人間が社会的に意味ある情報を伝達したり受け入れたりするためには,いくつかの条件がある。心の中の印象や意図は無媒介的に受け手には伝わらない。謝意の贈物,身ぶり,音声,あるいは文字などの事物的パターンを媒介にして表出されるほかない。これらの媒体がメディアmediaであり,この語は人間と神との媒介者である霊媒の英語名medium,さらにその複数形の media に由来する。現代では,身ぶりや音声ばかりでなく,文字とさらにその担体である印刷物や電波など,その幅はきわめて広くなっており,そのうち新聞,雑誌,ラジオ,テレビなど,マス・コミュニケーションの媒体をマス・メディアという。

[メディアの歴史]
 その語源でもあるように,人間が神や霊魂などと意思を交流するためには,特別の資質や才能をもった仲介者が必要である。 シャーマンshaman,呪医 magic‐doctor,巫女,古代中国の天子,あるいは殷 (いん) (前17世紀ころ~前11世紀) の時代に亀甲を焼いて天意を占った卜人などが超自然的コミュニケーションのメディアであった。

 人間のコミュニケーションにおいては言語がきわめて重要な役割を担うが,言語の成立以前から,人間は表情や身ぶりで意思や感情を伝え合ってきた。すなわち肉体が非言語的メディアとして活躍していた。また音声も重要なメディアであったが,これはやがて言語へと発達していく。送り手と受け手の距離が広がると,太鼓,旗,のろしなどが,信号・合図のメディアとして用いられるようになった。

 人間のコミュニケーションの最初の革命は, 文字の発明である。前30世紀ともいわれる古シュメールで楔形文字が生まれた。粘土板を細い棒でひっかいて干し固めたものである。その後は石,パピルス,木,竹,羊皮紙,紙などが,文字を書きしるすメディアとして用いられた。文字によって人間のコミュニケーションは,共時的により広い範囲まで可能になったし,通時的にもずっと正確で容易になった。文字につづく第2の革命は,1450年ごろのJ.グーテンベルクの時代の印刷術の発明である。ヨーロッパではほぼ同時に紙の生産方法も進歩したので,紙に活字で印刷した書籍,雑誌,新聞などのマス・メディアが大量に普及し,識字率の向上とあいまって人類の文明の急速な発展をもたらした。第3の革命は,マス・コミュニケーションの登場と発展である。
【以下略。引用ここまで。筆者は稲葉三千男。放送批評懇談会会員でもあった故人】

たとえばイラク戦争で

イラク民衆が何人死んだか、知っているか?
(一人も知らなかったので、ブチ切れ気味に、次のように話す)
十数万人以上とされている。兵士を除いても、非戦闘員は10万人やそこらが殺された。日本人であり、日本の大学(日本大学って名前じゃねえか!)に通う君らは、その数を知っていなければ、全然ダメだ!

なぜか? 日本政府はイラク戦争を、戦争を始めた英米を除き、主要国では世界最速で支持したからだ。そして、イラクを空爆したイージス艦も航空母艦も、日頃から(現在ただいま、この瞬間も)日本を事実上の母港とし、私たち日本人がその存在を支え、佐世保や横須賀から出撃していったからだよ。

さらに言えば、ベトナム戦争ではベトナム人が200万人やそこら死んでいる(このカッコ内は言わなかった追加。ベトナム戦争で使われた爆弾の量は、第二次世界大戦の全空襲で使われた爆弾の量より多い)。誰が落としたか? 米軍の戦略爆撃機B52が、だ。どこから出撃した? 沖縄の嘉手納空軍基地からだよ。当時は米占領下だが、日本はベトナム戦争における米軍側の最大の拠点だった。朝鮮戦争における国連軍(ほぼ米軍)の最大の拠点も、日本だ。それを知らずに、あるいは議論せずに、普天間をどこに持っていくのがいいって、バカだろ?

メディアは、そういうことを伝えているか?

伝えるには「歴史的視点」が不可欠だね。メディアはそれを意識して伝えていると思うか? 日々の記事やレポートに、歴史的視点があると思うか?
(以下、長くなるので略)

コメント

ここでも“議論”したい

授業中に結構発言しましたので何か書き込みがあったら反論ないし補足しようと思いましたが、書き込みが無いのでざっと自分の考えを述べます。


イラク戦争、湾岸戦争で日本が大いに関わってるから戦死者の数に関しても知ってていいと思います。
確かに検証は必要かと思います。
他人事じゃない、確かにそうですね。
授業中にも述べましたが、でもこれが日本なんです。ってのが正直な感想ですし、これを良しとは思いません。

ただ、戦争自体に、少なくとも私は賛成でした。イラク戦争も湾岸戦争も実戦訓練ないし試し撃ち、だと言うことは知られている通りだと思います。
そういう意味で。

続き

投稿したらスパムコメントとされてしまいましたので、分割して投稿させていただきます。
以下、先のコメントの続きです。


メディアは無色透明でいいの?について。私は、人間が介在する以上は無色透明には絶対なれないと思います。
なので、必要なのはそのメディアの色を我々が見極めることと、もっと理想的なのはメディア自体が自信の色を明示することだと思います。
というかそれが日本において複数のメディアが存在する理由かと。
なので私はニュース記事もまずどこの新聞社なり出版社なりがソースか確認しますし。
ただそういう見方をしてもその“色”が見えない、ないしコロコロ変わってしまうのは面白くないですし問題だと思います。

インプットしているはずなのに・・・

イラク戦争の話や「The Cove」についての話は決して初めて聞くものではありません。
戦争開始時にはたくさんのニュースが放送されましたし、アカデミーのドキュメント賞を受賞した際も大きくピックアップされていました。
戦争に関しては政府によって隠された情報などもあったかもしれませんが・・・インプットする機会はたくさんあったのに、しっかり頭に入っていなかったという事に気づき驚きました。
しってるつもりのまま生活していた感じです。

授業の大半は討論でしたが、私は全く意見を言えませんでした。頭の中で考えが全くまとまっていないからです。もう少し周りのニュースから刺激を受けて、しっかりと自分の考えを持てるように行動しようと思います。

中村光輝との議論

> 戦争自体に、少なくとも私は賛成でした。

私は反対だった。理由は、たとえばGALAC巻頭言「ブッシュのアメリカが 馬鹿な理屈で対イラク開戦 北朝鮮攻撃も支持するのか?」を参照。(トリップ横のURLから飛べる)

アメリカの対イラク開戦理由は三つ。1)大量破壊兵器疑惑、2)アルカイダとの結びつき、3)国民への圧政。戦後わかったのは、1)と2)の事実はなかったこと(アメリカ自身が検証した。私は開戦時に根拠不足と考えていた)。そして、3)を理由とする戦争は、現在の国際社会では許されておらず、開戦の理由がない。だから、反対。あなたが賛成だった理由を聞かせて。

もう一つ、授業中に議論したのは「The Cove」の公開(上映)の是非をめぐってだ。私は、上映すべきという考え。理由は、坂本サイト日録メモ06-08、06-10あたりを参照。

上映すべきではない、または、そのような考え方を認めるべきだ、というあなたの考えを書いて。

メディアの「色」について

いま、「政治的に」ハッキリ色がついていると見えるのは、新聞ではサンケイ新聞、読売新聞あたり。前者は反民主政権に見えるし、後者はナベツネ色(オーナー渡邉恒雄の色)に見える。あと、全般的に、政府よりの薄い色がついていると思うね。

一つの問題は、全メディアをひとくくりにはできない、たとえば新聞とテレビでは許される色の度合い(濃さ)が異なってしかるべきだということ。現時点の地上放送局は、たとえば「わがチャンネルは民主党支持」というような自身の色を打ち出すべきではないと思う(そこは無色透明でよい)。新聞は、これは色つきで自由。いやならカネを払わず、取らなければいいんでね。通信社(共同とか時事とか)は、各社に配信するから、これも自身の色を押さえる必要がある。

もう一つの問題は、無色透明を標榜しているように見えて、政府よりの「発表ジャーナリズム」が横行していること。もっと大衆の立場から、政府批判をし、権力チェック機能を果たすべきだと思う。

知らない怖さ

正直話を聞くまで、イラク戦争はアメリカがやっているもので、日本はあまり関係ないのかと思っていました。
しかし、武器は日本が提供していてその武器で多くの人は亡くなっている。ほんとに、日本人として知っていなければいけないと思います。日本は戦争をしない国であるはずなのに、直接戦ってはいないとはいえ、これはほとんど戦争している事とかわらない。もし攻撃されても文句は言えないし、更に攻撃されるかもしれないという考えさえ生まれない。それは怖いことだと思いました。

坂本先生との議論 1

戦争自体に賛成だったのは、反論を買う言い方ですが言ってみれば、はけ口であり、また前回はボカしましたが実験の意味でです。

はけ口というのは9.11のテロの件が大きいです。当時のアルカイダ等(と言うよりサダム・フセイン)の潜伏する地域というだけで米国国民が支持熱狂したのからわかるように、はけ口が必要だと思っていたからです。

また、実験というのは軍事面でです。
私は主にこの点において開戦を支持していました。正直国際世論だとか開戦理由の正当性とかは必要ないとも思っていました。
イラク戦争で“実戦テスト”されたいわゆる“ハイテク兵器”により、戦争に動員した兵士は湾岸戦争のそれの半分以下で済んでいますし、市街地戦闘という新しい戦争の形における少数部隊の運用テストにもなりました。

ただ、戦争が長期化・泥沼化した今では賛成できませんが。
スマートな戦争が見れると期待していたので、残念です。

坂本先生との議論 2

「The Cove」について。
私が言いたい「手法が問題」と言うのは即ち、今後の映像作品にトウサツなどといった手法が当然にまかり通ってしまうのは問題だということです。
自分でも上手く表現できなくて歯痒いのですが・・・
先週先生がおっしゃった「バカ番組ならやってもいい、報道ではダメ」という言葉がニュアンスとしては近いと思います。
なのでとりあえず先生も提案なさった上映会に参加したいですね。
そういった意味で非常に良い話が聴けました。ありがとうございました。
私の知っている情報ではこの間のようなつまらない意見にしかなれないのが歯痒かったです。

たまったもんじゃない。

> はけ口が必要だと思っていたから

ええっ!? そんなんで他国の民間人を10万人とか、ブチ殺してもいいんか? そりゃアメリカ人は、スカッとして気持ちいいかもしれんが、殺されたほうはたまったもんじゃない。なんでアメリカ人のはけ口だけ心配して、イラク民衆の迷惑を考えない? しかもフセインとアルカイダは関係がなく、アメリカは間違ったヤツに拳を振り下ろしたんだぜ。

> “実戦テスト”

アメリカの実戦テストを無条件に支持するてのは、また、どういうわけだ? 広島・長崎はまさに“ハイテク兵器”による実戦テストだが(動員兵士の死者が減るというのは原爆投下を正当化するアメリカの言い分)、結構なことだと思うか? 一瞬で数万~10万人規模の民間人(赤ん坊や子どもや老人を含む非戦闘員)をブチ殺したんだから、アウシュビッツ並みの残虐非道とは思わない?

それとも、テロリスト側の実験も無条件で支持する? わずか十数名の犠牲で3000人のアメリカ人をブチ殺して、非常に「効率的」な戦争行為だった。ビンラディンが「ありゃ実験さ」と言えば、支持するか?

トウサツにつき(長文失礼)

> 私が言いたい「手法が問題」と言うのは即ち、今後の映像作品にトウサツなどといった手法が当然にまかり通ってしまうのは問題だということ(中村 光輝)

中村光輝によると、このブログは「盗む」という字に続けて「撮る」の字を書くと、スパム判定されるんだと。

私の考えを言えば、映像の世界に「トウサツは一切ダメである」という”絶対的な”ルールはない。報道にもそれはない。ないだけではなく、そんな絶対的ルールを設定してはいけない。

このブログうざい

長文すぎて、スパム判定が出た。分割しようとしたら、過去の投稿と内容が重複だの、時間を空けて投稿せよだのと、このブログうざい。続きは授業で。

ショック

この授業を受けていると自分の知識のなさに呆れる。
なにも知らない、勉強していない自分に苛立ってします。
イラク戦争のことは、本当にショックだった。
この事実を知れてよかったと思います。
日本が戦争で負けた事実はあるが、日本はこのままでいいはずがない。しかし今政府はどうにもできないから、今の状況になっているんだと思います。
私たち若い世代が真実を学び、変えていく必要があると思います。

いいこと悪いこと

私はこの日の授業で「The Cove」を日本で上映すべきか否かという議論にとても疑問を持ちました。

私自身は「すべきともそうでないとも判断しかねます。」と授業中に発言しました。それはなぜかというと、自分自身この映画を観たことがないし、いるか漁の実態についても詳しく知らないからです。
おそらく私以外のほとんどの人もこの映画を観たことがなかったと思います。それなのに、皆上映すべきかすべきでないかを自分の中で決めどちらかに手を挙げたり意見を言ったりしていました。

私は初め、どちらかというと「The Cove」は許可なく撮られた映像を使われていてよくないものだという印象がありました。しかし先生の「この映画は反日のためにつくられたものではない」というような話を聞いて、考えが大きく変わったりもしました。

やはり、観もしないで「これはいい、悪い」というのを決めつけてしまうようなこと自体があってはいけないのではないかと思いました。
上映中止騒動があったのも根本的にはそういった部分に理由があるのではないかと感じました。

放送局の縮小or武装化のすすめ

メディアってなにかってことを考えたとき思うのは、
今のメディアは別に事実と視聴者を仲介なんかしていないってことだ。
今のメディアはメディアに入ってきた事実を別の事実としてプロダクトしている。つまり、「事実」をメディアが生み出している構図となってしまっている。
なんでこれが起こるのかってことを考えた時に、
これには当然、放送局に圧力をかけるものがあるから、
あるいは、そういうことにして、
放送している側が放送したものの責任を、
後々に放棄できる保険をかけている、
ちょうど、戦中に偏った報道をしたのを、
時勢や、軍の圧力のせいにしたがるように。
こんな2つの考え方があるように思う。
だけど実際、これらの束縛や甘えから開放されるには、
テレビ局の縮小化、数減らしが必要なように思うのだ。
ようするに、民放が多すぎると思う。
どこの国を見たって日本の民放の数は多い部類に入るし、
多い事がかえって、スポンサーやら視聴率の意向に操作される結果となって、弊害になっている。
民放の数を今の半分にして、他国のように、
あとはケーブルテレビにしてしまえば、
いちいち、他からの圧力を感じることなく、
堂々と報道やら放送やら出来るんじゃないだろうか。
もう、それでだめなら、
アメリカの某組織みたいに
私設軍隊を保有して、自衛隊にも仲間を送り込んでおいて、
有事の際には放送局を守るために駆けつけて、
国やアングラな方々との戦闘もじさないなんてシステムを構築して、いわゆる抑止力を持った放送局みたいになるしかないんじゃないだろうか。二極化は止まらないだろうし、私設軍隊もてるくらいの企業は出るんじゃなかろうか。
たとえ、その企業に都合のいい事が流されるとしても、
今の国やスポンサーにへつらったような報道を見るよりはましかもしれないなんて思ってしまう。
まあ、前者の方が現実的なのは確かだけど、
そんな風に感じるほど、
今のメディアに期待もしていないし、絶望している。

マスメディアについて書こうと思ったけど

中村光輝さんは最先端兵器の試し撃ち、実験のためなら超大国アメリカ様はそれをどこでやっていただいても構いませんと言ってるのだろうか。

「スマートな戦争が見れると期待していたので、残念です。」

とてもゲーム的感覚。「戦争に期待する」という気持ちにかけらの共感も持ちません。マスメディアをどんなに批判しても、「僕は画面の向こう側の戦争しか知りません」と豪語しているようなもので説得力に欠けるのでは、と思います。

これを語るに、良し悪しなんて必要でしょうか?

まずは坂本先生のコメントから
>>そんなんで他国の民間人を10万人とか、ブチ殺してもいいんか?
結果的に肯定することになるので敢えて回りくどい言い訳はしませんが、世論を動かすアメリカ流のやり方として“有り”で“効果的”だと思っています。

>>広島・長崎はまさに“ハイテク兵器”による実戦テストだが、結構なことだと思うか?
はい。

>>アウシュビッツ並みの残虐非道とは思わない?
そもそもアウシュビッツの大量虐殺を非道だと思っていません。むしろその“道”なんて必要だとも思っていません。
ユダヤ人の大量虐殺や人体実験によって今の医学が成り立っていることも評価すべき、私はアウシュビッツ、ユダヤ人虐殺はそちらの方が注目されるべきだと思っています。


>>わずか十数名の犠牲で3000人のアメリカ人をブチ殺して、非常に「効率的」な戦争行為だった。
まさにその通りだと思いますし、当時は大いに関心させられました。


これらにおいて私は“良いか悪いか”や倫理や道徳を考えるのは不適切だと思っています。
戦争は政治駆け引きであり外交です。
坂本先生がよく授業中におっしゃっていますが、外交は時として、当然に戦争に至ります、世界中どの国も戦争行為の結果として成り立っています。
それらの国は最終的に「良いことをした」「悪いことをした」で裁かれていますか?違います。戦争に勝ったか負けたか、極論になるかも知れませんが、どちらが多く、効率的に人を殺せたかです。

では質問。

ふーん。戦争はやりたいヤツが勝手にやればよく、やる以上はできるだけブチ殺して勝てばよい。10万人より100万人殺したほうがよく、善悪など一切関係ないというわけね。

では質問。中村光輝は、たとえば北朝鮮が日本に核ミサイルを撃ち込みたければ、勝手にやればよく、その場合はできるだけ多くの日本人が死んだほうがよいという考え方なわけだ。すると、その被害が自分や、自分の身内や友だちに及んだときは、どう考える? もちろんたいへん結構なことだと思って、喜んで死んでいくのか?

※前のパスワードを忘れた。以下、このコメントについているトリップが坂本トリップ。

断ずるに足る情報は揃う?

「The Cove」の日本上映賛成側に手を上げました。
が、当然大手を振って賛成できるわけもなく、概要を聞いて
賛成と感じただけです。

上の有馬さんと同じく、この映画を見ていないからです。
トウサツがあったということは分かりましたが、どのように行われ、
どのようなシーン繋ぎでそのシーンに至るか等、ディテールを含めた
情報が欠乏している為、アウトラインを見聞きして判断せざるを
得ませんでした。

報道も性質上、細部に渡る情報が掘り下げて放送されることは
ありませんし、枝葉の事情を知れません。
何事もそうですか、貧困な情報下で、自信を持って賛否を断ずるのは
いささか危険ではありませんか。
自身の意見を述べるのは良いと思いますが、ブログコメントのいくつかは
得も知れぬ自信が見え隠れしている気がしてなりません。
実名を出しているし、意見し議論する場なのだから、確たる主張を
しなければ仕方ないのかもしれませんが、自身の意見を顧みることを
忘れるのは慢心だと感じます。ブログのコメに対する各個レスの
付き方を見ると、顧みてない節があるように思える所もあります。
(ただの遅レスかもしれませんが)

「The Cove」の話に戻りますが、前田有一さんという方のレビュー
サイトで映画の上映を巡る変遷とその内容を掻い摘むことができました。
自分では知り得なかったことも分かり、参考になりましたので、
URLを記載しておきます。
http://movie.maeda-y.com/movie/01477.htm

「The Cove」の話

小林将大が紹介するリンク先の前田有一氏の記事に、次の一節がある。

〈今回真っ先に上映を決めた映画館・第七藝術劇場の支配人が、うっかり「『靖国 YASUKUNI』(ザ・コーヴ同様、抗議活動による上映中止が続出した問題作)の時は一番客が入った」と思わずもらしたのを、私はしっかりと聞いた。〉

これは6月21日(月)午後5時半から霞ヶ関の弁護士会館で開かれた集会での話。坂本もしっかり聞いていた。で、俺の感想を言えば、確かに「上映禁止に反対!」という人には、商売上、右翼との対決を盛り上げたい人もいる。「右翼が言論の自由を封殺しようとしている」とステレオタイプ化したい人がいるわけ。俺は全然違っていて、右翼だろうが左翼だろうが原則「上映禁止に反対!」なんだけどさ。ホントに──たとえば中国みたいに、「The Cove」の上映ができず、言論の自由が危機に瀕しているわけでは全然ない。上映できないなら、ネットで流せよ、その自由はあるだろって話になるのでね。

トウサツも、定義をハッキリさせないと。「管理者に無許可である場所に入って撮影した」場合が全部トウサツで、それは上映禁止にすべきなら、映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』の上映はできないわけよ。中国政府の許可を取っていないので。で、フツーの右翼なら『セブン・イヤーズ……』は上映せよ、ダメという中国政府はケシカラン、という。だから右翼は、「これはトウサツ映画だ。だから上映禁止にせよ」とは言えないわけ。トウサツ映画を恣意的にいい・悪いといっているだけじゃん、と言われるから。

で、突き詰めていくと、結局「ようするに気に食わんから上映するな」っていっているだけのヤツが異常に多い。それはダメだ、認められん、好き嫌い関係なく上映しろというのが、坂本の意見。

メディアの在り方

メディアが起こった事を正確に伝える事はとても重要な事だ。
だが、そんな事はメディアがすべき最低条件なのではと思います。
日本のメディアは最低条件の事しかしていない。
それならば、複数メディアがある必要がないのでは。。。
各メディアが独自の色をだし、その中から見極めていくと言ったのが理想の形なのではないか。
今のメディアは理想の形とは遠いものだ。

コミュニケーションと理解

何かの本で読みましたが、「メッセージを伝えることには、意味を変えずに伝達することと、意味を解釈して自分の理解を伝えることがある。しかし本当に意味を変えずに伝達することは、実際にはできない。人それぞれ異なる理解や解釈があって、たとえそれが誤った解釈でも、多様な理解が混ざり合うことから新しい価値が生まれる」という内容でした。その考えにはとても共感できました。
中村くんも言っていますが、確かに人間を介している限り、伝えることに、純粋に無色透明であることはできないし、それを肯定的に新しいことに向けていくことも、社会の仕組みのように感じました。

メディアは無色透明であるべきか?

人間が関わっている以上、無色透明ではいられないということには同意。
ただ、受け手に、ついている色を透明化して考えたり、さらに自分で色分けしたり付箋をつける事ができる能力が必須であると思う。
受け手に努力がないと、すべて鵜呑みにしてしまうのは危険だ。

The Cove

この映画の興味深いところは、ハリウッドのアクション映画のシナリオ構成を忠実にこなしているところである。全編が90分くらいの作品。最初の30分はどのような経緯でイルカを保護しようとなったのか、またどれくらい日本のイルカ漁がむごいかを説明。その次の30分にさしかかるとガラリと空気は変わる。映像での入り江のCGマップがでてきたり、信頼のおけるカメラマン、ダイバーなどの召集および各々の意気込みを語ったり、小型ヘリや隠しカメラなど機材を揃え、旅館で日本酒を飲みながらの作戦会議。準備が整ったところで最後の30分。我々は幾多の監視を乗り越えて問題の入り江に潜入し隠しカメラを設置できるのか!?

 しかし、私はこのアクション映画的な手法については否定しない。なぜなら、この作品には自分たちが扱った問題を多くの人にみてもらおうと努力する姿勢があるからだ。その結果、サンダンスで評価され、いざ日本での公開となったら規制されたという事態を巻き起こしたのだから。

 しかし、私たちは自分が食べるものをどうやって選択するべきなのだろうか。
  

レニ・リーフェンシュタールの評価

オリンピア「民族の祭典」を観てから監督レニ・リーフェンシュタールのことがとても気になった。ので個人的に『意思の勝利』を観てみた。

vこの作品はレニの作品のなかでもよく注目される。なぜならレニがナチス党と初めて協力した作品であるからだ。レニの自叙伝「回想」には”自分は非協力的であったがヒトラーがほぼ強引に監督を引き受けさせた”といったニュアンスの内容で書いてあるが、一方、スティーヴン・バックが記した書籍には”レニがヒトラーに上手く言い寄った結果によるもの”というふうな内容で記されている。後者のほうが真実味がある。んぜなら、当時のナチス政権に非協力的な人物がこのような大役をあてがわれる可能性は極めて低いからだ。 

 レニは作品の芸術的価値は申し分ないがナチス政権の拡大を助長したとされ、長年評価されなかった。今もレニの作品的価値とその行動は評価されるとき議論となる場合が多い。仮に彼女の意思とは関係なくアウシュビッツのような出来事が起こってしまったとしても、やはり関係性は否定できるのもではない。彼女は可能な限り早く関係性を認め、そしてそのすばらしい芸術性を活かして人種差別撤廃を訴えるべきではなかったのだろうか。アインシュタインが核問題に対して行ったように。

仮定の話、ですが・・・

>>すると、その被害が自分や、自分の身内や友だちに及んだときは、どう考える?

無責任な言い方で、しかも仮定の問題なので何とも言えませんが、「仕方ない」。もちろん当事者、喜んでとはいかないと思いますが、仮のその後の経過を見て本当に“戦勝”したならそれはすごいことだと関心すると思います。

国際世論でどうなるかわかりませんが。

そういったことが十分考えられ、ただやられるだけじゃいけないと思って私は予備自衛官補になったわけですし。

メディアは常に独立していなくては

メディアは無色透明でなければいけないと、最近神風特攻隊や戦争について勉強していてつくづく思います。
今更もしもの話をしてもしょうがないですが、もしも戦時中のメディアが政府の嘘の戦果や情報をしっかりと国民に伝えることが出来ていれば、日本国民はあそこまで戦争に湧くことはなく、何百万人もの命が失われることはなかったのではなかったのだと思います。

僕たちはメディアの情報を直接受け止めるだけでなく、受け取る側もしっかりと勉強して、疑う力もしっかり持つべきだと思いました。

メディアがあるべき姿

日本とアメリカの政府に関しての悪口は言わない。
十数万人がイラク戦争の犠牲になったということも、それほどおおきなニュースとして扱われなかった。
どこがメディアは無色透明でしょうか。これではただの洗脳だと思いますが・・・。

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●ブログ開設は2006年ですが、1999年からマスコミ演習、マスコミII、放送特殊研究Vといった授業を担当しており、2005年以前のレジュメなど古いものも置いてあります。(坂本 衛)
 

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