テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

開設:2006-05-25 (通年 4単位 3年以上 選択 江古田校舎 放送学科専門科目)

日本大学藝術学部放送学科「放送特殊研究V」(担当講師/坂本 衛)のブログ。2017年度のテーマは「放送・報道における日本語表現の研究」です。

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学徒出陣(戦時下の映像その2) 2010-04-25

【4月23日に見せた映像その2】
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『学徒出陣』
1943(昭和18)年 15分 文部省
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●戦前の日本の映像で、どうしても受講生諸君に見せておきたいものを一つだけと言われれば、これを挙げる。現在の大学生に言いたいのは、たった一言「67年前でなくて、よかったね」。67年前であれば、男子学生は「生ら、もとより生還を期せず」と宣言して征った。女子学生は雨の中を見送った。私の父母、君らの祖父母は、この映像の学生たちと同世代で、この中の一人だったとしても何の不思議もない(実際、知り合いに行進した男子学生も見送りの女学生もいる)。だから、まったく他人事《ひとごと》ではない映像だ、ということに尽きる。

●みんな凛凛しく、実によい顔をしているのに、心撃たれる。顔を映す水たまり、行進するゲートル(巻き脚絆《きゃはん》)アップ、泥はねが高く飛んだ後ろ姿などをとらえたカメラも俊逸。アップになった顔は、みんなイケメンだ。観衆は動員された女学生や小中学生などだが、縦何列かが拍手していなかったのに気づいた? 引率教員がそう命じなかったのかも。

●特別に壮行会を開いてやるからありがたく思えという文部省のお上意識(露骨なナレーション)、「おめでとう」と祝って若者を戦地に送り出した首相・文部大臣(挨拶)その他の責任も、忘れずチェック。いつの時代も、首相や大臣の挨拶は実につまらん。

●勇壮というか悲壮な行進曲は、『抜刀隊』という明治初期の軍楽。その歌詞は以下。「古今無双の英雄」とは西郷隆盛のこと。抜刀隊は西南戦争時、田原《たばる》坂の戦いで臨時に編成された決死隊。

我は官軍我(わが)敵は、天地容れざる朝敵ぞ
敵の大將たる者は、古今無双の英雄で
之に從う兵(つわもの)は、共に慓悍(ひょうかん)決死の士
鬼神(きしん)に恥(はじ)ぬ勇あるも、天の許さぬ反逆を
起こしし者は昔より、榮えし例(ためし)あらざるぞ
敵の亡ぶる夫迄(それまで)は、進めや進め諸共に
玉散る剣(つるぎ)抜き聯(連)れて、死ぬる覺悟で進むべし

●学徒出陣とは?

以下、平凡社「世界大百科事典」
学徒出陣 がくとしゅつじん (執筆:粟屋 憲太郎)の項から引用。

太平洋戦争時に大学・高専在学生の徴兵適齢 (20 歳) 以上の者のうち,理科系,教員養成系以外の者の徴兵延期制度を撤廃して入隊させた措置。(中略)
従来,大学,高専の学生・生徒には徴兵猶予の特典があったが, 1941 年 10 月,大学,専門学校などの修学年限を 3 ヵ月短縮し,同年の卒業生を対象に 12 月臨時徴兵検査を実施し,繰上げ卒業により合格者を 42 年 2 月入隊させた。さらに 42 年には予科,高等学校を加えて修学年限を 6 ヵ月短縮し, 9 月卒業,10 月入隊の措置がとられた。ついで戦局悪化による下級将校の不足に対処するため, 43 年 10 月 2 日,在学徴集延期臨時特例が公布され,理工科系および教員養成学校を除く文科系高等教育諸学校在学生に対する徴兵延期撤廃の措置がとられた (なお,植民地の朝鮮でも同年 10 月学徒兵制を実施)。同時に〈昭和 18 年度臨時徴兵検査規則〉が公布され, 10,11 月に検査を実施し,丙種合格 (開放性結核患者を除く) までを 12 月に入隊させることになった。第 1 回学徒兵入隊を前にして,東京では 43 年 10 月 21 日,文部省学校報国団本部主催による出陣学徒壮行会が明治神宮外苑競技場で開かれ,東条英機首相,岡部長景文相出席のもと関東地方入隊学生を中心に 7 万人が集まった。このほか各地で壮行会が開かれたが,翌年の第 2 次〈出陣〉以降は壮行会さえ行われなかった。(後略)

なお、上記項目の記述によれば、学徒兵の総数は 13 万人に及んだと推定。

●学徒出陣の彼らが、日本で特別悲惨な目にあった若者たちということでは全然ないから注意。当時の若者は、満20歳(1943年からは19歳)の時に受ける徴兵検査に合格すれば、兵役に就いた。余裕がなくなってきて、20歳をすぎても猶予されていた者たちの例外扱い・特別扱いをやめた、という話。

コメント

「靖国神社」「学徒出陣」、知っているのは言葉だけ

恥ずかしながら、靖国神社の歴史も学徒出陣に関しても、ほとんど知識がありませんでした。

私の祖先で、逆賊の者はいたのだろうか。
もし、いたとすれば、私は靖国神社へ参拝しません。
機会を見つけて参拝しようと思っていましたが、気持ちが変わりました。
靖国神社へ参拝する人達は皆、自分の祖先について考えた上で参拝しているのでしょうか。

出陣学徒壮行会の映像を見て、まず思ったこと。
「なんて淡々とした壮行会なんだろう」、そう私は思いました。
出陣する学生の行進、首相・文部大臣の挨拶、送辞、答辞……
中でも、首相と文部大臣の挨拶には人情というものが感じられず、原稿をただ読んでいるだけという印象が強かったように思います。
出陣する学生は皆、凛々しい顔でしっかり足踏みをして行進していましたが、私はその凛々しさの中に、どこか悲しみの表情を感じとりました。

平和な時代に生まれて本当に良かった、そう思える映像作品でした。

映像を見た意見

靖国問題と騒がれた小泉政権時代、私には靖国神社の知識は皆無でした。学徒出陣についても小中学生の教科書で習った程度。

そこで母親に聞いてみると身内で靖国に祀られている人はいないだろうという話でした。しかし、母親の父(私の祖父)は昭和2年生まれで戦時中に学生になっています。学校では「お国のために戦うのは栄誉である」と教育されて育ったため、戦争に行くことこそが使命であり、また喜ばしいことだと思っていたそうです。しかし色盲だった祖父は免除されてしまい、長い間罪の意識に苦しんだそうです。

「時代」といいう言葉で片づけることは出来ませんが、そのように教育を受けた学生たちは心から「戦争に行くことが名誉だ」と感じていたんだと思います。隊列を組んで行進する姿や万歳をする姿が精悍であり、それも一種の志なんだと感じました。今までは可哀そうだと思っていた意識を改めたいい機会でした。きっと今でもそういった教育が当たり前の世の中なら私も何の疑問も抱かずそれを名誉だと感じていたと思います。

「平和な時代に生まれてよかった」
そう思えるのはやはり平和が当たり前になった現代だからなんだろう、と思います。

今に感謝

僕は今20歳だ。

僕は今大学生だ。

そう、雨の中凛々しい姿で行進していた青年達となんら変わりはない。

ただ一つ違うのは・・・・生まれた時代、ただそれだけだ。


今の日本では、当たり前の様に高校に進学し、卒業したら大学・専門学校に進学する。
そして大学・専門学校で自分の好きなこと・興味のあることを勉強したり、夢だの恋だのを仲間達と語りあったりしている。

しかし、こんな風に日々を送れていることは当たり前のことではないんだと、今回映像を見て思った。

彼等をはじめ、多くの若者達が自分たちの将来と命を捨て戦ってくれたからこそ、先進国日本、平和な日本が今存在するんだろう。

今こうして日芸で好きなことを勉強出来ていることを当たり前と思わず、これからもっと今に感謝して勉強していこうと思う。

広島だから

私は放送学科3年生です。
出身は広島県です。
将来はマスコミ関係を志望しています。

先日授業で見た映像は大変興味深いものがありました。
学徒が出陣する内容は、年齢も自分と近いので非常に関心があります。
というのも、GW中、広島の実家へ帰省していました。
広島から少し離れたところにある「江田島」というところに、海軍兵学校があります。
今回の帰省では初めて、そこへ行ってきました。
そこには神風特攻隊として出陣して散って行った若桜の「遺言」が沢山残されています。
18歳~25歳ぐらいの、まさに私たちと同年代の若者が、はかなくも一瞬にしてあの時代に飲み込まれていったこと。
非常に辛く感じ、展示を眺めながら思わず涙がでてきてしまいました。
達筆で、純粋な文章と、奥の人に感謝する心・・・
今の私たちには無いものをたくさんもっていたんじゃないかと思います。
その手紙の中に、「靖国神社にまつられることを誇りに思う・・・」といった内容の文章があり、先日見た靖国神社のVTRを思い出しました。

何を思い、彼等彼女等はいたのか

私の感想としましては、両靖国や学徒出陣に対してある程度知識があった上で見たからかも知れませんが、VTR共に一種“壮快”に感じました。
特に、これはカラオケや入学式等の式典で歌ったり聴いたりするときもそうですが、国家や軍歌が流れると背筋がピンとなるような気持ちです。

何を以て「平和」とするか。
そもそも皆さんは今の時代が「平和」だとか書かれていますが、私が思うに現代の「平和」より、あの時代の方が「平和」だと思います。
私自身、有事となれば命を投げ出す覚悟の上で生きていますし、そもそも日芸の放送学科で学んでいるのも最終的には「私が理想と考える国家」になるべくきっかけの一端になればと思って、国民への影響力の大きい“放送”という分野を専攻し、自分のできることは何かと考え、学んでいます。

当時の彼等彼女等がこのような考えの元に生きていたか分かりませんし、別にどうだっていいのいですが、少なくとも現代よりは遙かに(生活レベルがどうこうではなく)「生きやすい」国、世界だったのではないかと思い、羨ましくもありました。

できることなら、私もあの時代に生きあの中にいたかったとすら。

学徒出陣を見て

 中学生・高校生の日本史の授業で、学徒出陣のことを習ったときは、かわいそうだな・・・としか思いませんでした。しかし、今回映像を見ることができ、みんなの凛々しい姿、誇らしい顔を見て、高校生の時には思わなかった、かっこいいという印象を受けました。自分に任されたことを誇りをもってやろうと思える彼らは、本当にすごくかっこよく見えました。
 
 今の時代に生まれ、1日1日をただなんとなく過ごしていた私は、なんてもったいないことをして生きていたのかと思います。私が誇りをもってできることって何かなって考えても、なかなか浮かびません。自分の将来はまだまだあるなんて思わずに、毎日を一生懸命過ごしていかなければなと、改めて思いました。
 
 平和で、なんでも好きなことができるこの時代に感謝しながら過ごしていきたいとおもいます。

国策映画

 「学徒出陣」を見た時、とても印象的だったのがこの映像の演出だった。そこで注目したのは"足元のクロースアップ"、"水溜りに写り込む顔"などちゃんと鑑賞者を意識して制作されていたということ。

 そもそも国策映画とは自国の戦争に対する国民の大義や思想をコントロールするプロパガンダツールのうちの一つ。 
 
 今回日本の国策映画を初めて見て気づいたことは、どの国も国策映画をとおして大きく映像表現を成長させたということ。
 
 ソ連のエイゼンシュタインは国策映画をとおし、カットを多用した「モンタージュ法」というものを生み出した。これはメリエスに次ぐ革新的な技術である。
 日本では国策映画の内容の単調さに嫌気がさした黒澤明がより娯楽性を重視した「姿三四郎」(1943年)などが発表された。

 どうやれば人の心を動かすことができるのか試行錯誤した国策映画、この「学徒出陣」で映し出された青年の凛々しい姿に、みな心をうたれたはず。
 
 映画史の初期は「プロパガンダ映画」の歴史であるということを改めて実感させられた。

学徒出陣のVTRを見ていると皆凛と行進していました。
私はそれを見ながらあることを考えていました。凛としている彼らの心の本音はどうなんだろうという考えです。恐怖心があるのではないのか、親と離れるのが寂しいのではないのか。
私だったら怖いし寂しいと思ったからです。

GWに私は広島に行き、特攻隊であった人たちの「遺書」を読ませていただきました。
そこにあったのは「誇り」でした…。
いくら命が一瞬でなくなるのがわかっていても、日本のためなら命をささげるという考えでした。

私の祖父も特攻隊でした。帰省した際祖父に気持ちを聞いたら、「何も考えなかった、当たり前のように希望した」といっていました。「今思えば不思議だったな」とも。

きっと学徒出陣に出ていた彼らも「誇り」をもっていたのだろうと思いました。
そしてそれが当たり前だったのだろう。

今私たちがあるのは、日本のために全力でぶつかっていってくれた彼らのおかげだと思いました。
そして彼らの分も精いっぱい過ごしていきたいと思います。

学徒出陣の感想

私たちより少し若いくらいの青年たちが神宮にて大行進をしていましたが、その人々と現在の我々とで一番の差は明確な「信念」を持ってるかどうか・・・だと思いました。
「実は戦争が嫌なんだ」とか思ってる青年は少なからず(?)いたかも知れません。
しかし国・天皇・家族を守ろうとするしっかりとした信念があったからこそ、表向き不満は漏らさずに前を向いて戦地へ赴いて行ったのだと思います。

今の私たちは何か「信念」を持っていますかね。
自分自身よく分からないです。
なんとなく学校に行き、なんとなくアルバイトをし・・・。
仮にいま日本が戦争をしても負けると思います。
兵力の差ではなくて気持ちの差で。
その気持ち(信念)の差を、映像から多少なり感じる事ができました。

靖国神社•学徒出陣

靖国神社と聞くと思い浮かぶのは靖国問題です。
靖国神社で参拝するという行為は個人の自由だと思います。
日本のために戦い命を落とした兵士に感謝の気持ちは少なからずあるからです。
しかし靖国神社にはA級戦犯が奉られているので、首相などが参拝するということは、中国を始めとしたアジアの国々から戦争を肯定をしているように捉えられてしまうのも仕方ないと思います。なので国の代表としての対応はもう少し考えた方が良いと思います。

学徒出陣という言葉は初めて聞きました。
私の祖父も徴収されたそうです。
当たり前のように自分と同世代の人達が戦争に行っていたと思うと信じられません。
当時は皆誇りを持って、国のために戦っていたのでしょう。
今なら、「さあ戦争に行ってくれ」と言われたらきっと誰も行かないし、親だって行かせやしないと思います。
そう考えると社会の風潮というのは人の心に大きな影響を与えているんだなと思います。

学徒出陣

靖国神社=靖国問題…
いつから、そしていつまで問題視されるのでしょうか。

この映像を見ていて、同じ国なのに違う国のことを見ているようで少し客観的というか他人事のように見ていた自分にハッとしました。
本当にちょっと昔の話なのに今では全く違う。
人のあり方もそうだと思います。
このころの方々はもっと自分を大事に大切にそして誇りに思っていたと思います。
いまや草食男子が持て囃される時代になっていまいました。情けない気持ちです。


この時代に戻りたいとは思わないけど、このころの方々が心に持っている己を思う気持ち、仲間を思う気持ち。
少しでも残っていたならもしかしたら全く違う日本になっていたかもしれないと思うととても感慨深くなります。


今年も1年間よろしくお願いします。

学徒出陣

戦争こそ学業の庭である。

もしこんなことを今言われても、僕はすんなり受け入れられない。だが、戦時中の日本は、学徒出陣が行われる前から、戦争で敵地へ赴いて兵士として散ることは国の誇りである、というような、戦争を美化するような教育を受けていたが故に、すんなりと受け入れてしまったのだと思う。

自分たちはこんなにたくさんの人たちに激励されている、戦地へ赴くということはこんなにも名誉あることなんだ、自らの誇りを持って、行ってこよう。

そんなことを思っていたのだと思う。

今の人々で、自らの思いを誇りを持って貫き通している人は、そういないと思う。
愚直なまでに自らの信念を貫き通す心を持って生きて行くのは、誇らしいことだと思う。

その信念をどこに向けられるかが、これから大事になっていくんだと思った。
若き日本人の信念が、二度と戦争というものに向けられることのない、平和な世の中になってほしいと願う。

壮観な光景の意味

先生の仰ったように、ナレーションは聞いてもよく分からず、5割も
理解できませんでしたが、映像だけでも歴史的価値が十分にあるものと
感じました。

ヒキで会場が映った時、これでもかというくらいに人が並べたてられていた
光景が非常に印象的でした。思えば日本に限らず、人を整列・配置した
空間で何かを執り行うことで、そこにいる人々(特にその中で最も
上位とされる人物)が共通意識を持ったと思い込もうとする文化が
根付いているのではないかと感じました。

小・中・高校では朝礼や全校の会がある時は、必ず一カ所に集まり、
整列していました。これには諸々の理由はありますが、話し手側が
話した内容について、皆が聞き、理解したと直に感じたいということも
理由の一部分だと思います。

この壮行会も、お偉方も学生達も出陣することについて、全ての参加者が
お互いに納得しているという共通意識を半強制的に作る為の儀式のように思えました。士気を上げることも目的の一つだとは思いますが、
偶発的・意図的を問わず、上記のような狙いがあるとしたら、戦争の持つ
理不尽な性質の残酷さを感じざるを得ません。

学徒出陣・靖国神社

学徒出陣という言葉は、初めて聞きました。
靖国神社のことも、単語をきいたことがあるだけで、
何も知りませんでした。
恥ずかしい限りです。

映像を観ただけでは、最初は何も感じませんでした。
けれど、先生の話を聞いてから観ると、
また違った見方も出来、勉強になりました。
特に、行進しているときの、水たまりの反射を
撮っているシーンは、先生に言われてから
またよく観ると、映像として素敵だなと思いました。


今後、作り手になりたいと思っているので、
ただぼーっと映像を観ているのではなく、
1シーン1シーンの意味を考えながら
観ていかなくてはと思いました。

腐ったような眼差し

 学徒出陣というと音声でしか聞いた事がなく、映像を見たのは今回が初めてだった。音で聞いたときは、さぞ凛々しい眼差しの学徒が揃いそろって行進しているものと想像していたが、実際に絵面を見るとそれほどでもないなと感じた。
 彼等の大部分の眼差しには迷いや不安がありありと見える。そうでもなさそうな者は皆、新興宗教にすがる、ヒステリックな女のような眼つきをしている。あるいは、対人恐怖症に陥った者が時折人に向ける、奇怪な、真っ直ぐな眼差し。
 以前、紛争地帯の少年兵の写真群をどこかで見たが、あちらの方が凄まじかったように思う。もっとも、ご近所で殺した殺されたの環境で生まれ育ったものと、国家の洗脳政策があったとはいえ、それまで学徒で戦場に慣れ親しんでいないものでは差があるのは当然で、較べるまでもないかもしれないが……。ただ、個人的な意見としては、あんな腐ったような眼差しをした人間を、よくもまあ戦地に送り出せたな! わざわざ送んなくても! といった印象だ。
 おまけに、あの出兵するものへのはなむけの演説は何だろうか。あんなものを聞かされて死んでいくんじゃたまったものではないだろう。もう少しましな演説が聞きたいものだと思ったものも多分にいたんじゃないだろうか。俯いてるっぽい者の姿も何人か見かけた。
 あのような茶番劇がこの国にあったのかと思うと、半ば自嘲気味に笑いがこみ上げてしまう。そして、ある意味では今もこの国は変わらないな、とも思う。あれほど分かりやすく、洗脳されていないものの、今現在、私たちも「腐ったような眼差し」を抱えて生きているような気がするのだ。たやすくメディアに翻弄されて選挙投票を行う者がいるらしいし、「知る権利」とはいいながら、手を出すと抹殺されるような情報がこの国にもあるらしいし、大体、国内で放映禁止の映画があること自体、思想統制といえば思想統制で、洗脳されているようなものだ。
 人間は、それまでに手に入れた情報からしか思考できない生き物だ。それの統制や制御あるいは歪曲によって人は洗脳される。けれど、それが何故制限されていたり、歪曲されているのかを推測する事は、ジグソーパズルの最後に残った空間の形のように、可能だ。もっとも、何が事実でそうでないかを、物事を多面的にとらえて矛盾を導きだすことによって吟味しないと、国レベルの洗脳というのは国民がある程度の矛盾に気付くところまではシュミレーションしているわけだから、なかなか正解にはたどり着けないだろうが。
 けれど、その正解を求めるものが、昔も今も必要だ。立ち上がり、国家の驕りを撲滅するための存在。すなわち、メディアであり、全国民が。まやかしの自由の囚われになったものが、団結し、自らの鎖を千切らんと悶えなければ、この国はいつまでも変わらない。いつまでも、人々は「腐ったような眼差し」を抱えた国家の奴隷でしかないだろう。
 学徒出陣を見て思ったのは、そんな素朴な感想である。 

中村、秋田に質問あり

> 私が思うに現代の「平和」より、あの時代の方が「平和」だと思います。 (中村光輝)

なんで、そう思いますか? 当時は戦争中で毎日、人が死に、一瞬で10万規模の日本人が殺されることも二度あった。で、いまの日本にそれはない。平和=「戦争がなくて世が安穏であること」だから、現代のほうが平和であると、100人が100人考えて当然だね。そうではないと主張するからには、説明や根拠が必要だと思う。

> あんな腐ったような眼差しをした人間(秋田尭律)

本当にそう見えた? 私には、全然そうは見えない。純粋で凛凛しい目をした者が多かったと思う。甲子園の開会式で入場する選手たちの目と変わらないと思う。あれが腐っているなら、あなたの祖父・祖母世代は全員目が腐っていたことになると思うが、そんなことは言わないほうがいいんじゃないか。彼らが苦労したうえで、現在のあなたがおり、あなたの環境があるのだから。どう思う?

以後、これと同じトリップが付いたコメントが、坂本によるもの。付いていないのは、誰かの「なりすまし」と思って無視していい。

言語の定義

私は平和の定義が「戦争がなくて安穏であること」だと考えていないからです。なので敢えて括弧付けで表記しています。
そう書いたつもりでしたが、言葉足らずになってしまい申し訳ありません。

この考えに至った経緯は単一ではないの上、主観、様々な経験論、多少勉強した倫理学も含まれてると思いますので根拠の明示は非常に困難です。
少し内観してみたいと思います。

腐敗

彼等の眼が腐っているように感じたのは事実ですし、ひょっとしたら、そう見てしまう自分の目が腐っているのかも知れません。
腐るといってもいろいろです。
醗酵もあれば腐敗もあります。
こと、貴腐ともなれば極上ワインとなりえるでしょう。
ただ、彼等の眼を、眼差しを見たとき、目的のない、彷徨ったような、どこを見るとも見ていないような、あるいは、見るものを不安にさせるような視線を見たとき、私は彼らの眼を、真実を見ていない、見ようとしていない、人間の卑しさのようなものを直感的に感じ取ったのです。
甲子園の球児、それも、真の球児ともっとも違う点は、その視線に先を感じられないところでしょう。
学徒出陣で行進していた人々の眼には先がない、漆黒の淵の闇が差していた気がしたのです。
それは、現代の世の中にいる、構われたいからリストカットを繰り返す人や、目立ちたいから犯罪行為を繰り返す人々と同じ眼差しです。
これを腐っていると表現したのはいささか、意を強めた結果となったかもしれませんが、人がそれを「絶望」と知らずに抱えた眼差しは、やはり健全なものとはなりえないのです。

言葉の定義。眼差しの腐敗

> 私は平和の定義が「戦争がなくて安穏であること」だと考えていないからです。なので敢えて括弧付けで表記しています。(中村 光輝)

何それ? じゃあ、「中村は『モモンガ』だ。同時に『カバン』である。ただし、私のモモンガの定義とカバンの定義は、世間の人びとが思ったり辞書に載ったりしているものとは違う。なので敢えて『』付きで表記した」とか言ってもいいわけだ。ホントか? で、それに何の意味があるわけ?

> そう見てしまう自分の目が腐っているのかも知れません。(秋田尭律)

うん、そうかもしれん。世のいろんな時代・国の若者たちが行進している映像をたくさん見て、どれの眼差しが腐っていると見えたか検証し、理由を考えてみるといい。どれがリストカットを繰り返す人々と同じか、もね。

きみらの何年か前の先輩の女の子が「手首を切った。先生に会いたい」と手紙を寄こしたから、読んだ翌日、病院に会いに行ったことがある。その経験からすれば「眼差し」は、どれとどれが同じなんて簡単に言い切れるほどわかりやすいものではないし、言い切れると思う者は人間理解が足りないだろうと思う。私は週一しか大学に行かない非常勤だが、その子が手首を切ったことを知っているのは、日大で私一人だけだったからね。

カメラマン

カメラマンが意図的に映した言われている水面に映る行進の様子。それだけもう一度見れればいいと思って視聴しました。

雨が降っている中、ニュース映画的な形式ばった構成、などなどの要素であれはどう撮ってもなかなか戦意高揚させる映像にはなりにくいのではないでしょうか。本当にカメラマンが意図してあのカットを入れたかは疑問です。

当時の暗い雰囲気が染み出してくるような、映像の力を再認識させてくれる映像でした。

学徒出陣

現在の日本と同じ国だとは思えませんでした。現実ではなく、作られた映像を見ているような気もしました。それは、私が生きている「今」があまりにも平和で平和慣れしてしまっているからだと思います。現在では聞きなれない「御国」という言葉や、銃を持って行進する青年たちにどきっとし、怖いとさえ思いました。

また、映像の中の「君が代」にすごく重みを感じました。この時代に生きた人たちには明確な信念があったと思います。では、今の私たちの「信念」って…?考えてみても答えが出ません。自分が何のために生きているのか分からなくなってきました。

でも、映像を見て、自分がこの平和な時代で生きられることに感謝し、精一杯目標に向かって生きたいと思いました。

ところで、目標ってなに?

そりゃよかった。ところで、林実季の目標ってなに?

心の底から

このような戦争映像をみていつも思うのは「この人たちはどこまで洗脳されていたんだろう」ということです。
今の私たちであれば、お国のために死をも覚悟して戦地に赴くなんてことは絶対にできないです。もし仮にそのような状況になったら、鬱だとか精神病だとかそんな風になるでしょう。
だから、この時代の人々がどれだけ本気で「お国のために」と思っていたのかとても気になります。行進中に拍手をしていなかった観衆がいたことは、先生の話を聞かなければ気づきませんでした。堂々とした姿の学生にも見送る人々にも、こんなのは嫌だと思っていた人がたくさんいたのではないか。この中で本気でおめでたいと思っている人がどれだけいたのか。戦争の話でそういうことはあまり触れられませんが、これは私たちが戦争と平和について考える際の大事なポイントだと思います。

改めて聞かれると

情けないことにドキッとしてしまいました…
私の今の目標は「自立」することです。
今は家に帰ればご飯はあるし、洗濯もしてもらっている…。何不自由なく、それが当たり前になっています。考えてみれば有難いことなのにそれが当たり前になっていて、これから社会人になる人間として甘えたままではいけないと思っています。これから自分で決断をしなければいけない場面が今まで以上にあると思います。しっかり自分を持てる人間になりたいです。

生まれた時代

今の環境があるのは過去にこういった苦労があるからなのだと再認識させられた。
映像を見る前は他人事だと思っている部分が正直ありました。
ですが、私が生まれるのが70年早かったらと考えると他人事だとは思えなかった。
生まれた時代が違うだけでこんなにも世界が違うのかと正直怖くなった。
70年前の学生や70年後の学生が今の私達を見たらどう思うのだろうか。。。

決められた人生

この映像を見て(というか思い出してですが・・・)
小学校の時副校長先生であり書道の先生だったおじいちゃん先生を思い出しました。
ある時私が「先生の子供の頃の夢はなんだったんですか?」と聞いた時、
「まぁ、夢って言ってもそん時は大きくなれば戦争に行かないといけなかったからなぁ」
と答えていたのを思い出しました。

そう考えると、今「将来何になりたい」または「将来どうしよう」といった未来に対する夢や希望なんて大人はもちろん、子供まで全くなかったんだなと思うと、なんだかゾッとしてきます。

今こうして将来に悩んだり、考えたり、つまづいたりできるのも幸せなことなんだなあと思いました。

日本語の含蓄

>>で、それに何の意味があるわけ?
確かにこういった場で使うべきではなかったかもしれません。

ただ、私はこういう使い方ができるから日本語が好きですし、「中村は『モモンガ』だ。同時に『カバン』である。」も、色々と想像できて非常に楽しいです。
そういう“遊び”を含ませた議論の方が、余裕があって面白いと思っています。

人がつくる『時代』

戦争を祖父からよく話を聞き、その都度その時代に生まれなくて良かったと思います。その人達が青春や命、様々なものを懸けたのに今の日本、私をみたら怒ってるんだろうなと胸が痛みました。

感謝の念

死ぬのが怖くない人間などいない。
それでも皆自分を鼓舞し、騙して戦場へ向かった。自分の家族と国を守るために。

この映像を見て、今後何があっても戦争を繰り返してはならないという想いと、日本を守るために自分自身を犠牲にして戦った方々に感謝の念を抱かずにはいられなかった。

戦争下で

もし、私が戦争のなか育てられたら、戦争に行くことができるのだろうか。
今、単位ほしさにみんなと先を争ってコメントを記入しているけれど、こんな感じで、ああみんなやってるしやらなきゃなぁと出陣するのだろうか。できない気がする。

水たまりに映った姿が印象的で、死ぬ決意をできるような根性のある若者がこんなにたくさん散ってしまうなんて、日本にとって本当に大きな損失だと思った。

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主宰者から

日本大学藝術学部放送学科

●このブログは、日本大学藝術学部(日芸またはNGと略)放送学科の授業の一環として設置しています。学外の方も自由に閲覧やコメントしていただけます。学生らの活動を厳しく、ただし温かく見守っていただければ幸いです。学生には「ブログ炎上も授業のうち」といってあります。

●ブログ開設は2006年ですが、1999年からマスコミ演習、マスコミII、放送特殊研究Vといった授業を担当しており、2005年以前のレジュメなど古いものも置いてあります。(坂本 衛)
 

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