テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

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開設:2006-05-25 (通年 4単位 3年以上 選択 江古田校舎 放送学科専門科目)

日本大学藝術学部放送学科「放送特殊研究V」(担当講師/坂本 衛)のブログ。2012年度の授業テーマは「[実践!]ネットは放送を殺すか?──ネットを理解することで、放送をより深く知ろう」。

ゆきゆきて神軍(原一男監督)後半 2009-11-20

●以前に「撮られる者(カメラの対象)との共犯」ということを言ったね。これもその典型的な映像。

●日テレ電波少年が「アポナシ」って言葉を流通させた。でも、そんなのは昔からあるわけ。

●この映画に出てくる「岸壁の母」は、坂本が聞いた中でいちばん感動的な「岸壁の母」。昭和20年代の末頃、菊池章子(昭和22年の「星の流れに」で有名)が歌って大流行した。70年代以降は二葉百合子が浪曲調で歌い、いまでも懐メロ番組ではこの人が歌う(菊地章子は故人)。

●奥崎のキャラがものすごいので見過ごされがちだが、奥崎がたずねる日本兵たちも、それぞれ個性的でおもしろい。みんな普通の人だが、普通でない。人間の肉を食い、生死の境をさまよい、その過去を封印して戦後を長く生き、子どもを育て、家を持った。奥崎が責任追及するのは勝手だが、みなそれぞれ立派なものだね。きみらの爺さん婆さんや、きみらのひい爺さんひい婆さんも同じで、それぞれが立派なのよ。

●ニューギニア方面でこんなことがあったと示す映像は、日本には極めて少ない。その意味でも貴重な映像。ただし、日本人はなんて野蛮なの、とか間違えないように。「アンデスの聖餐」というのがあるが、極限状態ではヒトはヒトの肉を食いますよ。人間だけが残酷なんじゃない、チンパンジーだって同じ(余計な話だが、アメリカで脱走チンパンジーがヒトを襲って食った。アメリカではチンパン観が一変し、チンパンと遊ぼう式のテレビ番組が一斉に打ち切られ、本を書いてた研究者なんかがヤバいことになっているそう。友人のサル学者の話による)。

コメント

衝撃と真相

前後編通して、こちらに感想を書かせていただきます。


白人を白ブタ・現地民を黒ブタと呼び、また同じ日本兵をも口にしていた事実に衝撃を受けました。
画面から目を背けたくもなりました。
この映画を、全て真実だと受け入れるには抵抗があります。
私は奥崎氏に対し、興味と共に嫌悪感を抱きました。
画面に映し出されたことが事実だとするならば、私が今まで教えられてきた戦争の知識は、実に表面的なものであったとしか言い様がありません。

悲惨な時代だとは聞きましたが、想像を絶する過酷な時間を過ごしたからこそ、話したがらないのだと思います。
彼らにとったら、傷口に塩を塗り込まれるようなものですよね。

原一男監督が、当時どんな考えを持ってこの現場に立ち会ったのか知りたくなったので図書館で調べようと思います。

奥崎氏の映画ではない

奥崎氏が戦争当時の上司でもある人に向かっていく姿は非常に強烈的なものでした。そして奥崎氏の上司にあたる人々は事件の真相については固く口を閉ざし、話を必死に逸らそうとする姿は良くは見えませんでしたが、その人たちが背負う責任や後悔の気持ちは画面の至る所から滲み出ていました。
この映画は奥崎氏を追いかけていますが、私は奥崎氏の映画ではなく、上司にあたる人々の背負うものにスポットを当てた映画だと思います。そして、戦争という極めて非日常的な世界のなかでも日本の社会のような厳しい縦社会が日常的に存在していたのだと強く感じました。

正常なのか否なのか、評価が分かれる作品

「ゆきゆきて神軍」はあまりに危険な空気を醸し出していた印象で観た誰もが衝撃を受けるに違いないと感じました。
映画監督のマイケルムーアが「バイブル」にしているドキュメンタリー映画。戦時中に日本軍の中で起きた殺人事件を遺族とともに追求していく作品。劇中メインに出てくる奥崎謙三氏の怖さは半端ではありませんでした。
真相追求にエスカレートした奥崎氏が暴力を振るったり、本当に人を殺そうとするあたりを生々しく捉えた点が印象的で、この作者の暴力性が好きか、嫌いかはっきり分かれそうですね。

亡くなった吉沢氏と野村氏、御本人含め、遺族のために、真実を明らかに真実を話しなければならないと、元上司を訪ねる奥崎氏。でも、私は、奥崎氏が遺族のためとしながら、徐々に、自分自身のためにやっているような感覚を持った。それは、奥崎氏が古清水氏の息子を拳銃で撃ったというラストのシーンを見たときに確かな感覚となった。

私は奥崎氏が訪ねる元兵士達、一人一人の姿が鮮明に目に焼きついた。奥崎氏の追及に答える際、口ごもる姿に、元兵士の話せない…という、気持ちを感じ取った。また、奥崎氏の追求を「知らない」と無視することもできただろうに、「話してはいけない」と苦悩したり、一言づつでも話し始めたりするのは、忘れたくても、決して忘れられない自分の過去に対する自責の念からだろうと思う。
ヒトを食わなければならい過去があった事実を、「証言」という形で残した映像。

登場人物の存在感が強烈

亡くなった吉沢氏と野村氏、御本人含め、遺族のために、真実を明らかに真実を話しなければならないと、元上司を訪ねる奥崎氏。でも、私は、その行動が遺族のためとしながら、徐々に、自分自身のためになっているような感覚を持った。それは、奥崎氏が古清水氏の息子を拳銃で撃ったというラストのシーンを見たときに確かな感覚となった。

私は奥崎氏が訪ねる元兵士達、一人一人の姿が鮮明に目に焼きついた。奥崎氏の追及に答える際、口ごもる姿に、元兵士の話せない…という、気持ちがひしひしと感じ取れた。また、奥崎氏の追求を「知らない」と無視することもできただろうに、「話してはいけない」と苦悩したり、一言づつでも話し始めたりするのは、忘れたくても、決して忘れられない自分の過去に対する自責の念からだろうと思う。
映像として残酷なシーンはないのに、恐怖を感じた。ヒトを食わなければならい過去があった事実を、「証言」という形で残した映像。貴重である。

野火という作品を思い出しました

休んでしまって映像をみていないのですが、生きるために何をするか、どこまで人は出来るのかを考えてました。

野火という作品を読んだとき「死にそうでも仲間を食べたりしない。人間のすることじゃない」と思いましたが、人間のすること、とは何だろうか、というのは疑問に思いました。

「こうあるべき」というリミットをどこに儲けて、生死のどちらをとるか、という選択は、今の餓えを知らない人々には判らないもの。
給料日前でご飯が食べられないのとは訳が違う。

人も動物、だと感じましたし、私も野火の時と考え方を改めてさせられました

奥崎の目的

授業で見た映像の中で一番衝撃的だった作品。

作品の始めは、仲間の死の真相を確かめるという奥崎の姿勢に共感していたし、警察官に「言いたいことがあるなら自分の意見を言ってみろ」と食ってかかる奥崎の言葉が自分が言われているような気持ちになり、自分の意見を持ち絶対に曲げないという信念にあこがれに近いものを感じた。

しかし、元上官を暴力で打ち負かし「俺は日本で一番上官を殴った男だ」などと言っているところなどから、これは仲間二人の死の真相を確かめるというという本来の目的が、戦争が終わって権力を失った元上官達に対する復讐に変わっていっているように感じた。

作り物ではない暴力が映し出され、それがきっかけか数人が教室を出て行ったのが印象的だった。

奥崎さんの

奥崎さんの作品というのはこれまでみたことがありませんでしたが、「恐ろしいものを見た」とはまさにこういうこと言うのだと思いました。昔、(海軍予科練生だった)祖父から「精神注入棒」の話を聞いたことを思い出しました。

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●このブログは、日本大学藝術学部(日芸またはNGと略)放送学科の授業の一環として設置しています。もちろん学外の方も自由に閲覧やコメントしていただけます。学生らの活動を厳しく、ただし温かく見守っていただければ幸いです。学生には「ブログ炎上も授業のうち」といってあります。

●ブログ開設は2006年ですが、1999年からマスコミ演習、マスコミII、放送特殊研究Vといった授業を担当しており、2005年以前のレジュメなど古いものも置いてあります。(坂本 衛)