テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

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開設:2006-05-25 (通年 4単位 3年以上 選択 江古田校舎 放送学科専門科目)

日本大学藝術学部放送学科「放送特殊研究V」(担当講師/坂本 衛)のブログ。2017年度のテーマは「放送・報道における日本語表現の研究」です。

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超大雑把な歴史の勉強と、満州進出関係の映像 090518 2009-05-29

●超大雑把な歴史のお勉強!

授業では、太平洋戦争(1941年12月8日~45年8月15日。第2次世界大戦の一部であり、日中戦争の一部。戦争中の日本における呼び名は「大東亜戦争」。これは「支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す」と説明されたが、開戦以降の中国地域での戦争を含めるとの意味)中の映像を見せている。しかし、なぜ日本がそのような局面に至ったかを、受講生諸君がどのくらい理解しているか、いささか心許ない。そこで、超駆け足で歴史的な背景を解説しておく。

以下は板書した西暦年の再掲。自分で本でも読まない限り、もう2度と学ぶ機会はないだろう。この機会に覚えて、一生忘れるな!

■1837年 大塩平八郎の乱
 
大塩平八郎は元大坂東町奉行所与力で陽明学者。幕府・役人と大商人の腐敗、農民圧政を批判し反乱。幕府の腐敗、諸矛盾が拡大した典型例。【イヤミな大塩平八郎と覚える。イイ奴だったけど】


■1840年頃(1839~42) アヘン戦争

イギリスが清(中国)にアヘンを売りつけるため起こした恥ずべき最低の侵略戦争。イギリスは、東インド会社を使い英印中の「三角貿易」(イギリスからインドへ英工業製品を、インドから中国へインドアヘンを、中国からイギリスへ中国茶を輸出)を維持・拡大、植民地を足がかりに儲けようとした。イギリスが勝ち、中国での権益を拡大。これに乗じて米仏ら列強も権益拡大。

→アジアの大国・清が西欧列強に好き放題メッタクソにやられたことは、日本に甚大な影響。深刻な危機感をもたらした。たとえば水野忠邦の天保の改革、薩長など江戸から遠い諸藩の改革(雄藩へ)、佐久間象山・吉田松陰らの幕末の思想など。


■1867年 大政奉還・王政復古【やむなく大政奉還と覚える】


■1868年 明治維新

徳川幕府は倒れ、明治新政府が誕生。明治時代始まる。富国強兵、殖産興業。


■1889年 大日本帝国憲法【人は拍手明治憲法と覚える】

憲法をまとめるまでに20年以上かかった。近代国家の体《てい》をなすまでに、それだけ時間がかかったということ。西郷隆盛を自決に追い込んだ西南戦争(士族の大規模反乱の最後)は明治10年。それまで鹿児島は半ば独立国のような存在だったと考えていい。明治政府によってすんなり日本が一つにまとまったというのは大嘘。


■1894年 日清戦争【憲法の5年後から、10年おきに戦争した。一生覚えておけ!】

別に清が日本に攻めてきたわけじゃない。朝鮮半島を取り囲む大国は日中露。まず日本と中国(清)で朝鮮半島を取りっこし、日本が勝った。主戦場はソウル、平壌、黄海。つまり、日本と清との戦争は、黄海を除き朝鮮半島で戦われた。日本陸軍には北京攻略論もあった。このとき台湾も取った。清の遼東半島も取ったが、これは露仏独の三国干渉で返還。


■1904年 日露戦争

次に日本とロシアで朝鮮半島を取りっこし、日本が勝った。主戦場は旅順・大連(ロシアが清から租借《そしゃく=領土の一部を借りる》)、南山、遼陽、奉天、日本海。つまり、日本とロシアの戦争は、日本海を除き中国大陸で戦われた。列強による中国分割競争が進むなか、満州(中国東北部)の取りっこでもあった。


■1910年 日韓併合

日本が朝鮮半島(当時は大韓帝国)を植民地化。


■1914年 第1次世界大戦

ヨーロッパでドイツとその他列強が戦争。日本は火事場泥棒的にアジア・太平洋に進出(対華21か条要求やミクロネシア領有)。大戦中の1917年、ロシア革命勃発。


■1919年 ヴェルサイユ条約

英仏中心のヨーロッパ秩序(ヴェルサイユ体制)。大戦の責任をほとんどドイツ側だけに押しつけ、莫大な賠償を要求。アメリカは国際連盟を提案するも、議会が孤立主義を強め調印せず。

→ドイツに大きな不満。20年間の休戦。イタリアも不満。


■1922年 ワシントン条約

アメリカがアジア・太平洋の軍縮と新秩序(ワシントン体制)のためワシントン会議を提唱。21年~。西欧列強と日中が参加。アメリカは中国の門戸開放を狙う。

→日本の中国権益縮小、軍備制限など日本に不満。


■1931年  満州事変【いくさの1930年代。31年から2年ごとに何があったか、どう中国大陸を南下していったか押さえておけ】

柳条湖事件(陸軍が満鉄爆破を自作自演し、中国軍によるとして出兵)、一気に満鉄沿線を制圧。


■1933年 満州国樹立

日本の傀儡政権。この年、リットン調査団報告、これに不満の日本は国際連盟離脱。


■1935年 華北工作

満州(東北4省)を支配下に入れ、ついで華北5省に触手を伸ばす。


■1937年 蘆溝橋事件をきっかけに支那事変(日中全面戦争)

12月には南京占領(南京事件)、38年には武漢三鎮・広東占領と戦線拡大、泥沼化。


■1939年 ドイツがポーランドに侵攻し第2次世界大戦勃発。

40年、重慶爆撃。41年、インドシナ(現ベトナム)進駐。


■1941年12月8日 ハワイ真珠湾攻撃で太平洋戦争に突入。


※余計な世話だが、なんで朝鮮を舞台に日清戦争をやり、なんで中国を舞台に日露戦争をやったか? 考えてみれば不思議に思うかもしれないが、理屈は合っている。それは、戦った両軍とも、よその国をかっぱらうか支配しようという下心があって、その国に駐留(または占拠、一部占領)していたからだ。日英はシンガポールを舞台に戦い、日米はフィリピンを舞台に戦った。英米は、別に「正義の味方」としてアジアにいたわけではない。支配し、カネ儲けをやろうとして、出張ってきていた。

だから、日本も清(中国)も朝鮮に対しては侵略者、日本もロシアも清(中国)に対しては侵略者。もちろんイギリス、フランス、ドイツ、アメリカもアジアへの侵略者。んなことは、あったり前。日本は侵略国家じゃないとか、戦前の日本はコミンテルンにだまされていただけで何も悪くないなどと妄言を吐く、いい歳をした大人が少なくないようだから、書いておく。

この意味で中国は、先の戦争以前にアジアにおける一方的な被害者だったわけではない。気の毒なのは朝鮮の人びとで、彼らは周囲の大国にほとんど一方的にやられた。いま北朝鮮というトンデモ国家が朝鮮半島の北半分を占めているが、あの国は何もないところに突如出現したのではない。あのような国ができたことに、彼ら自身以外に責任のある国はどこか? 私は、最大の責任のある国は、朝鮮を植民地にしていた旧宗主国・支配国の日本だと思う。

むろん、ソ連、中国、アメリカにも相当な責任があるが、植民地経営に失敗し、責任をまっとうせずに放り出した罪は大きい。そのような植民地の犠牲のもとに、私たちの曾祖父母や祖父母や父母の時代の日本が存続した以上、私たちも「六十何年も昔のことなんて、知らない」とは言えまい。昔の映像を見ながら、そんなことも考えてみてほしい。

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●授業で見せた映像は、手持ちのDVD「昭和と戦争 第1巻 満蒙に賭けた夢~王道楽土は我らの手で~」。当時のニュース映画素材と現在の映像を織り交ぜた、とりとめのないDVDだが、まあ、だいたいこんな感じだったとつかめればよい。満州開拓というが、現地の農民が開墾した土地をかっぱらった例が多かったことは、知っておいて損はない。

コメント

歴史の背景

歴史についての知識が乏しいために、北朝と日本の関係の現状は、日本が被害者のように思っていましたが、必ずしも100%被害者とは言えずに、今の状況に至るには日本が過去にやったことが少なからず関係があるということがわかりました。
映像は、満州がまるで夢の土地だよと言っているように感じました。

在日朝鮮人地方参政権付与の問題

確かに「六十何年も昔のことなんて、知らない」と投げ出してはいけない問題点であると感じています。

しかし、最近の在日朝鮮人地方参政権付与の政策により、どうしても悪い印象を持ってしまう。
民主党もマスコミも巧みに隠蔽しているため、「事実」を知らないまま、置き去りにされている。
小沢一郎氏の売国奴ぶりは政治に興味がなくても、日本に住んでいる日本人なのですから分かります。

天皇陛下を政治利用。
民主党の反日度合い。

知らぬ間に、
毎日毎日、着々と日本が売られているような気がします。
外国人参政権が通ったら、日本は終了です。

日本の進むべき道が明確になっているわけでもなんでもない状況で移民政策をとる事は断固反対。
過去の事実を認識し、それらを踏まえた上でどうにかして歩み寄る事は出来ないのか、、
メディアや周囲の情報を鵜呑みにするだけでなく、主体的にそれらを選択し生きる必要性を感じました。

加害者の日本

>最大の責任のある国は、朝鮮を植民地にしていた旧宗主国・支配国の日本だと思う。

教科書や、テレビでは絶対聞かない言葉です。私は、そんなこと、少しも考えていませんでした。どちらかというと、日本は被害者の国という意識がありました。
日本が戦争において加害者だった事実は、今もこれからも、受動的にはなかなか知ることはできません。
自分から知ろうと行動しないといけないと思いました。



もう、満州しか望みがなかった

この政府の宣伝映画を見て、『楽土』と言われた満州での人生大逆転劇を夢見て渡った数多くの日本人の気持ちが分かるような気がしました。

当時は、第一次大戦後の不況から関東大震災、昭和恐慌へと負の流れが続く一方で、着実に肥大化する財閥へと怒りの矛先が向かっていった時代です。安田善次郎、原敬首相、団琢磨といった名だたる財界、政界の人たちが暗殺されていきました。農村では不作が重なり、欠食児童や身売りという言葉も出てきました。そんな中で、軍部が見出した“活路”が満州だったのですから、希望が見えない庶民にとっては憧れの場所だったのかもしれません。満州のイメージにしても、南満州株式会社が手掛けた多くの事業により、沿線には近代的な町並みが広がっていました。絵葉書や映画を通して、多くの庶民は好感を持っていたことと思います。そんな彼らが、この映画を見て満州に対していささかの疑問も持たず、満州に渡ったということがあっても、それは当然だと思います。さらに言うと、この映画を作った人たちも、本心で満州を希望の地であると信じていたのでしょう。

しかしながら、満州の現実は甘いものではありませんでした。莫大な収穫を見込んでいた広大な耕地も実は不毛の地であり、いたずらに開拓に血税を投入しただけでした。工業に関しても、当初は三井物産が満州買占めを本気で狙っていたり、日産の鮎川義介が大規模な投資を行いましたが、鉱物も質の悪いものしか採掘できず、輸入に頼っていた資源も戦争が近づくにつれて閉ざされていったのです。もちろん、知られているように、満州に渡った多くの邦人は苦労の連続に直面しました。

そのような史実を知りながらこの映画を見たので、いかに満州が「幻」で儚い場所であったのかを感じた一方で、その後にやってくる運命を知らない当時の人々が、満州に対して感じた思いを想像してみると、とてもやりきれない思いになりました。

ううむ

難しい問題ですよねぇ・・・。私も無知が極まって、「あの馬鹿野郎」位に思っていたのですが、歴史をしりながら正しい認識が出来ていなかったのだな、と反省しました。
満州を創った意図は正直、私にはどれも納得いのいく答えではありません。。。。余計なことなしに判断する力がほしいものです。

満州に

移り住もうとしていた人たちは、どんな思いで満州にむかっていったのでしょうか?日本じゃないのに「日本の土地」という概念がいまいちピンとこないです。

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●ブログ開設は2006年ですが、1999年からマスコミ演習、マスコミII、放送特殊研究Vといった授業を担当しており、2005年以前のレジュメなど古いものも置いてあります。(坂本 衛)
 

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