テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

開設:2006-05-25 (通年 4単位 3年以上 選択 江古田校舎 放送学科専門科目)

日本大学藝術学部放送学科「放送特殊研究V」(担当講師/坂本 衛)のブログ。2017年度のテーマは「放送・報道における日本語表現の研究」です。

学徒出陣/生きた慰問袋 090508 2009-05-08

 戦前の日本の映像で、どうしても受講生諸君に見せておきたいものを一つだけと言われれば、これを挙げる。典型的な国策映画、1943年(昭和18年)の文部省映画「学徒出陣」である。ついでにもう一編、戦争中にはこんなものもあったのよということで、中央映画社「生きた慰問袋」も見せておく。

 現在の大学生に言いたいのは、たった一言「66年前でなくて、よかったね」。66年前であれば、男子学生はこうして征ったし、女子学生はこうして雨の中を見送った。私の父母、君らの祖父母は、この映像の学生たちと同世代で、この中の一人だったとしても何の不思議もない。だから、まったく他人事《ひとごと》ではない映像だ、ということに尽きる。

 なお、特別に壮行会を開いてやるからありがたく思えという文部省のお上意識(露骨なナレーション)、「おめでとう」と祝って若者を戦地に送り出した首相・文部大臣(挨拶)その他の責任も、忘れずにチェックのこと。
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●学徒出陣

●文部省、1943年

●15分

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●学徒出陣とは?

以下、平凡社「世界大百科事典」
学徒出陣 がくとしゅつじん (執筆:粟屋 憲太郎)の項から引用。

太平洋戦争時に大学・高専在学生の徴兵適齢 (20 歳) 以上の者のうち,理科系,教員養成系以外の者の徴兵延期制度を撤廃して入隊させた措置。(中略)
従来,大学,高専の学生・生徒には徴兵猶予の特典があったが, 1941 年 10 月,大学,専門学校などの修学年限を 3 ヵ月短縮し,同年の卒業生を対象に 12 月臨時徴兵検査を実施し,繰上げ卒業により合格者を 42 年 2 月入隊させた。さらに 42 年には予科,高等学校を加えて修学年限を 6 ヵ月短縮し, 9 月卒業,10 月入隊の措置がとられた。ついで戦局悪化による下級将校の不足に対処するため, 43 年 10 月 2 日,在学徴集延期臨時特例が公布され,理工科系および教員養成学校を除く文科系高等教育諸学校在学生に対する徴兵延期撤廃の措置がとられた (なお,植民地の朝鮮でも同年 10 月学徒兵制を実施)。同時に〈昭和 18 年度臨時徴兵検査規則〉が公布され, 10,11 月に検査を実施し,丙種合格 (開放性結核患者を除く) までを 12 月に入隊させることになった。第 1 回学徒兵入隊を前にして,東京では 43 年 10 月 21 日,文部省学校報国団本部主催による出陣学徒壮行会が明治神宮外苑競技場で開かれ,東条英機首相,岡部長景文相出席のもと関東地方入隊学生を中心に 7 万人が集まった。このほか各地で壮行会が開かれたが,翌年の第 2 次〈出陣〉以降は壮行会さえ行われなかった。(後略)

なお、上記項目の記述によれば、学徒兵の総数は 13 万人に及んだと推定。

●参考リンク

学徒出陣(Wikipedia)

You Tube その1

You Tube その2

※そのほかは、自分でグルグルしなさい。

コメント

DVD紹介「戦時下のスクリーン」

授業で放映した「学徒出陣」を収録するDVDを紹介しておく。なかで見たいものがあったら、リクエストしなさい。

なお、2009年度の坂本コメントにはトリップ「#qY3igUXo」がつく。これがついていれば、坂本本人の書き込みね。

タイトル:
「戦時下のスクリーン─発掘された國策映画─」

ジャケット惹句《じゃっく》:
国家が支配するスクリーンに
国家に奉仕する映像メディアが提供した国家発のプロパガンダ
「国策映画」に見る戦争の時代の日本と日本人の姿

〔Disc A〕
(1)日出ずる國 昭和4年 文部省(19分)
(2)東亜の鎮め 陸軍記念日を祝ふ歌 昭和11年 朝日新聞社(10分)
(3)血染めのスケッチ 昭和12年 振進キネマ社(22分)
(4)軍馬物語 昭和13年 山口キネマ公司(14分)
(5)國策短編シリーズ 八拾億圓 昭和13年 聯合映画社(10分)
(6)英霊讃歌 昭和14年 ミヅナカ映画部(10分)
(7)靖國神社 昭和14年 謹製 皆川芳造(20分)
(8)出征兵士を送る歌 昭和15年 朝日新聞社(7分)
(9)艦隊航進譜 昭和15年 理研科學映画株式会社(8分)

〔Disc B〕
(10)内閣情報部撰定 愛國行進曲 昭和13年 鱗映社(11分)
(11)戦ふ女性 昭和14年 朝日映画社(22分)
(12)興亜大日本 昭和15年 国光教育映画社(19分)
(13)武器なき敵 昭和15年 理研科學映画株式会社(19分)
(14)生きた慰問袋 昭和17年 中央映画社(12分)
(15)北の健兵 昭和18年 藝術映画社(19分)
(16)學徒出陣 昭和18年 文部省映画(15分)

製作/発売元:株式会社 クリエーションファイブ
販売元/コニービデオ株式会社

水たまりに映った

学生の整然とした足並みが印象的でした。
あれはなにか意図があって映したのでしょうか?
文部省が作ったのだからそんなドラマ性などは考えていないと思うのですが・・・

出陣する学生たちの顔はとても男らしい顔をしていました。
それが自らの意思をもってそんな表情をしたのか、無理やりそんな顔をしているのかはわかりませんでした。

彼らはどんな思いで行進していたのでしょうか

マインドコントロール

書き込みをした筈だが私のパソコンから見られないのでもう一度書き込む。(もし私のコメントが重複していたら申し訳ありません)皆似たような服装や髪型をしていて個性が感じられない。天皇万歳と皆が口をそろえて言うのは、気持ち悪かった。自分の意志がないわけではないだろうが、それを表に出せないのは人間として扱われていない気がする。天皇は安全なところへ逃げて、市民を犠牲にしているのに…そんな天皇が神なのか?こんな時代の流れがあるからこそ、今の私たちがいるのであり、「酷い時代だ。今の時代は平和なんだ」と思えるのは過去があってのこそだと思う。不謹慎だが、行進の時、一人だけ手足を左右逆に出している人がいて少し笑ってしまった。それと同じように、授業中に居眠りとかしていたら目立つのだろうな

学徒出陣

昭和18年の学徒出陣の映像の後に、現代の自衛隊の行進の様子をyoutubeで見せていただきましたが、この二つの映像で違う点は、ほとんど無いように感じました。行進が似ているのは伝統かもしれませんが、僕には出陣する先がないだけで、とりあえず行進しました。という風に見えてしまいました。
学徒出陣の際は、歩いている学生は戦争には行きたくなくても、あれだけの規模で催されると僅かながらも気分が高揚してしまったと思います。
生きた慰問袋は、本当に言われたとおりに贈り物を入れたのでしょうか?

疑問ばかり

行進をしていた彼らは、嬉しいのか・嫌なのか・緊張しているのか、なんなのか私には正確に感じ取ることができませんでした。
ただ、行進を見守る家族や女子学生の笑顔が私にはとても印象的でした。彼女たちにしてみれば、行進している彼らは正義のヒーローで、今で言うアイドルのようなものだったのでしょうか。

私は慰問袋の存在をこの映像を観て初めて知ったのですが、
大内君のコメントにも合ったように、本当に贈り物を入れたのか疑問でした。でも、兵隊がヒーローであるならば、彼女たちはきっと贈り物を入れたと思います。
(贈り物の内容に関しては、映像にあったものではなく、もっと質素な物だったかもしれないですが。)

ところで「学徒出陣」も「生きた慰問袋」どちらもそうですが・・・この映像は作られた当時、誰がいつ観ていたのでしょうか?
まだテレビは普及していないはずですよね?ラジオで終戦を知らされるくらいですし。
誰のために作られたのでしょう?歴史を記録するためでしょうか。不思議です。

コメント欄は質問コーナーではない!

相澤みのりさん

> あれはなにか意図があって映したのでしょうか?
> 彼らはどんな思いで行進していたのでしょうか

誰に対して質問しているの? 坂本に対してだったら、「それをあなたたちに考えさせるために映像を見せた」としか、言いようがない。まず、あなたの考え(こうじゃないかな、という推定)をお書きなさい。それに対してコメントするので。


武井美緒さん

> 皆似たような服装や髪型をしていて個性が感じられない。
質問その1。甲子園の入場行進映像を見ても、そのように思いますか? どこが、どう違うと思う?

> 市民を犠牲にしている
質問その2。あなたのおじいさん・おばあさん、あるいはひいおじいさん・おばあさんは、その「市民」だったの? 100%犠牲者側だった? あなたのひいおじいさん・おばあさんが、彼ら学徒を積極的に送り出す側だった可能性が大きいわけだが(日本人のほぼ全員がそうだったから)、このことについてはどう思う?


小林美保さん

> 彼らは正義のヒーローで、今で言うアイドルのようなものだったのでしょうか。

誰に対して質問しているの? 坂本に対してだったら、「それをあなたたちに考えさせるために映像を見せた」としか、言いようがない。まず、あなたの考え(こうじゃないかな、という推定)をお書きなさい。それに対してコメントするので。

> この映像は作られた当時、誰がいつ観ていたのでしょうか?

ん? これは国策「映画」なんだけどねえ。日本大学芸術学部の授業では、「映画とは、映画館と呼ばれる建物の中で、白いスクリーンに投影することによって、観客として入場した大勢の日本人たちに見せるために製作するものである」とか、解説しなきゃダメか?

慰問袋の中身は?(議論を発展させるコメントの例)

坂本の母親(昭和3年、静岡生まれ)に、慰問袋をどうしていたのか電話で聞いた(6月6日)。

●小学校(静岡市、城内西尋常小学校の中~高学年。10~12歳くらい)のときは、よく慰問袋を作った。

●木綿の手ぬぐい(現在のタオルとほぼ同サイズ。当時は、いわゆるバスタオル以外の小さいタオルというのはなく、全部手ぬぐい)を二つ折りにして両サイドを縫い、袋にする。

●袋の口は縫わない。「兵隊さんに届くまでの途中で、軍が開けてチェックするかもしれない」と子どもでも知っていた。だから、すぐ開けられるように口の部分をひもで縛って封をした。

●ある程度いっぱいになっていないと具合が悪い。そこで、身の回りにあるもので便利そうなもの、兵隊さんが喜びそうなものを入れた。

●食べ物では、せんべい、羊羹《ようかん》。どちらも日持ちする。関東軍参謀が赴任する(満州に行く)とき、土産に虎屋の羊羹をもっていく、半年やそこら日持ちがすると、自分は子どものとき知っていた。静岡だから、茶も茶袋に入ったものを入れた。飴玉はあったが、チョコレートやクッキーなどは、当時は一般的ではない。だから入れない。

●食べ物以外では、木綿のてぬぐい、石けん、鉛筆、封筒、便せん、メモ帳(白い冊子)、雑誌など。折り紙で何かを折ったりしたのも入れた。子どもが作った慰問袋には入っていないが、大人が作るものには煙草やいまでいうソーイングセット(お針子セット)などが入っていた。鉛筆などは自分の小遣いで買ったり親に買ってもらった学用品のなかから入れた。

●必ず「兵隊さん、頑張ってください」という趣旨の手紙を入れた。必ず自分の住所・氏名を書いた。

●町内会・隣組が集めに来たり、どこそこで受付しているということで、作った。いちばん作ったときで、毎月一つは作ったと思う。それは日支事変(支那事変、1937年=昭和12年)のころ。自分が作ったときは、きょうだいたち(三姉妹の姉と妹)も当然作った。もちろん母親(坂本の祖母)も作った。

●太平洋戦争が始まった翌年の昭和17年以降は、慰問袋をあまり作らなくなった。18年以降はほとんど作らなかったと思う。国民が日々食べ物さえ乏しくなってきたから、甘いものやせんべいを戦地に送るどころではない。また、各地で部隊の孤立・玉砕が始まった段階では、日本軍も慰問袋を届けるどころではなかったに違いない。だから慰問袋が盛んに作られたのは太平洋戦争が始まる前、主として中国戦線向けだった。

※以上のような話を、坂本が書くのではなく、受講生に調べて書いてもらいたい。そのためにブログを作ってあるわけだ。自分で調べりゃ忘れないだろ。

※私のおっ母さんが、警察官に横っ面を張り飛ばされつつ、どのように静岡大空襲を逃れ生き延びたか──学校や軍や政府の教えを信じなかったことが自分の命を救った顛末《てんまつ》を知りたい者は、以下のページの「6-09」の項をお読みなさい。

http://www.aa.alpha-net.ne.jp/mamos/whatsnew/wn05_2nd.html
(日録メモ風の更新情報 2005年4月~6月)

何を目的として制作されたのか

「学徒出陣」を見るたびに息をのんでしまうのが、スタンドを埋め尽くす女学生の前を学生が行進している画です。何を意図して作られた映像であれ、大勢の人びとで(秩序をもって)埋め尽くされている光景は、どこか美しさを感じてしまいます。

明治神宮外苑競技場は、もちろん現在の国立競技場の場所にあった建物ですが、当時はどれほどの規模の施設だったのかが気になり、ネットで当時の設計図(概観)を調べたことがあります。スタンドは競技場の片側のみに設けられ、スタンドの端は厳かな時計塔になっていました。おそらく映像に出てきた時計だと思われます。向かい側にはスタンド等の設備はなく、緩やかな斜面になっていたので、芝生になっていたのだと思います。当日は足元がひどい中で女学生は声援を送っていたはずです。

ところで、学徒出陣の壮行会は、東京以外でも全国各地で行われていたそうです。もしかしたら文部省は、そのような(東条らの声を直接聞けず、皇居へ直接行けない)地方の学生を鼓舞する目的でこの映画を製作したのかも、と思いました。

祖父に話を聞いてみました

・個性について
確かに先生の仰る通りです。甲子園もそうですし、校則が厳しかったりすると、髪型や服装も皆同じようになりますよね。考えが足りなかったです。それでも皆個性がないわけじゃないと思います。

・戦争の犠牲者について
祖父に話を聞いてみました。祖父はシベリアに衛生班として行ったそうです。身長が足りず前線には出して貰えず、仲間の傷の手当てをしていたそうです。だから生きているとも言えますが、イジメが凄く、男としてのプライドはボロボロになったと言っていました。トイレまで遠く、とても寒いので、一人でもその辺で用を足したりすると全員往復ビンタをされたそうです。あと毎日とうもろこししか食べられず、今だに見るのも嫌いだと言います。祖父の兄は障害があり、戦争に行かなかったのですが、狡いと罵られたとも聞きました。祖父から祖母の話も聞きました。外国人にレイプされるのを防ぐべく、槍で刺し殺す練習をさせられていたらしいです。話を聞きますと、生き残りはしたけれど、犠牲になったのかな、と思います。私は戦争を漠然としか捉えなく、上記では失礼なことを書いて申し訳ない気持ちになりました。酷いことだと思っては居たけれど、それで私の中では終わっていた気がします。ど

私の祖父は第二次世界大戦当時、日芸の音楽学科の学生で学徒出陣にも参加して満州に派遣されました。
そこで生死の境をさまよい不思議な体験をして日本に無事帰ってきたそうです。
この話をされた時私は高校二年生の思春期真っ只中だったので右から左へ聞き流してしまいました。
もしかしたら祖父も映っているかなと思いつつ映像を見ていたわけですが、若い頃の祖父を知らないので無理でした。
学徒出陣に関しては行進をしている当人達よりも、行進が終わった日の夜の家族を映したほうがリアルな感情を描けたのではないでしょうか?
そういった作品が見たいです。

戦争ものの映像を観ると、その時は衝撃を受けるのですが、よく考えると現実にあったものとしてとらえられてない自分がいることに気づきます。
映像にすると特に、リアルになればなるほど信じられない出来事のようです。事実なので、そう思うのはよくないことだと思いますが。
慰問袋なんて・・・と思っていましたが、嬉しそうな兵士の映像が、いい画のはずなのになまなましかったです。

以前は何度書き込んでも無理でした…

先生がたまに授業の冒頭でおっしゃるように、こうした過去は決して忘れてはならないと思います。我々の祖父母たちの時代があったからこそ、今の時代があるわけなので。私の祖父は学徒出陣ではないのですが出征しました。祖父の主戦場は満州とパプアニューギニアだったと聞いています。また戦地に赴く際に船に乗って行ったらしいのですが祖父の乗った船以外は全て撃沈されたという話も聞きました。祖父がいなければ僕という存在はなかったことになるのでこうした話を聞くとゾッとします。学徒出陣について気になり、「きけわだつみのこえ」という本を読んだのですが心震わされました。最期まで鋭敏な魂と明晰な知性を失うまいと努め、祖国と愛するものの未来を憂いながら死んでいった戦没学生たちの手記です。同世代とは思えませんでした。今を生きる人達全員が時々こうした過去を振り返らなければならないと思いました。

青年の横顔

一瞬映る青年の横顔を見て、不躾ですが「いい顔してるなぁ」と思いました。私はこんな顔したことないなぁと。
同時に、彼らは今、何を考えていてこんな顔をしているのだろうと考えましたが、分からず、戦争という感覚が自分の中にまったくないのたど思いました。

母に慰問袋を知っているか?と聞いたところ(母は戦後生まれ)、祖父から、話を聞いたことがあるとのこと。(祖父は亡くなりました。)
なぜ、祖父は母に慰問袋(を含め、戦争の)話をしたのかと聞くと、戦争はしちゃいけないことだって教えたかったんだと思う、と。

母の話より↓

慰問袋は兵隊さんの手元に届くまでに、必ず中身を確認される。袋の中に『生きて帰ってきてください』といった内容の手紙が入っていた場合、それらはすべて処分されるか、その部分だけ黒く塗られ消されていた。
それは、戦時中、生きて国に帰ってくることはいけないことであり、国のため、家族のために死ぬことが正とされていたからである。


祖父の話を聞きながら、当時、日本人は教育によって、国のために、家族のために命を捨てて戦うべきだと信じていた。平和な世界に暮らしている私が、学徒出陣で見た青年たちの凛々しい横顔の意味は生半可な気持ちじゃ理解できないと思いました。


雨の中

雨の中ということもあり、水溜りの中に移り込んでいた青年たちの顔が印象的でした。私は就活でヒイヒイ言っていますが、全く情けない限りです。

66年、たったそれだけ前なのに、これ程違うものかと。正直言って恐ろしい話です。
教育もあるのでしょうが現代でこんな事をしたなら、私含め多くの若者が逃げ出してしまうことでしょう。
良くも悪くも、愛国心は形を変えているのかな、と思いました。

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●ブログ開設は2006年ですが、1999年からマスコミ演習、マスコミII、放送特殊研究Vといった授業を担当しており、2005年以前のレジュメなど古いものも置いてあります。(坂本 衛)