テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

開設:2006-05-25 (通年 4単位 3年以上 選択 江古田校舎 放送学科専門科目)

日本大学藝術学部放送学科「放送特殊研究V」(担当講師/坂本 衛)のブログ。2017年度のテーマは「放送・報道における日本語表現の研究」です。

ドキュメンタリー青春「おれはガンじゃない! 片腕の俳優 高橋英二の1年半」(田原総一朗、1970年) 2008-10-24

●ドキュメンタリー青春「おれはガンじゃない! 片腕の俳優 高橋英二の1年半」

●東京12チャンネル(現・テレビ東京)で、1970年3月6日放送

●ディレクター/田原総一朗

●約25分

●概要

役者・高橋英二は、片腕をガンに冒された。手術で片腕を切り落とす前日の、高橋の独白から、ドキュメンタリーは始まる。そこから、全身を癌に冒されて高橋英二が息絶えるまでの1年半が、“高橋本人の語り”(何じゃそれ!)によって構成され、描かれていく超異色・衝撃ドキュメンタリー。こんなもん、よくテレビで流したもんだと、きっと驚くはず。映画・演劇学科も含めて必見の映像!

●田原総一朗談(2008年10月23日夜、田原が電話してきたので、ついでに聞いておいた)

田原「高橋英二が『演技とは、演技とは、演技とは……』と身もだえしするシーンの後、週刊現代が、高橋はガンではない、偽のガン患者だと書いた。すると活字というのは恐いね。高橋が、自分は偽のガン患者だ、自分は本当はガンではないのだと思い始めた。そして、田原と一緒にいると、自分はガンにさせられてしまうと思って、僕から逃げ出した。だから、しばらく撮影が中断した。それから5か月。高橋の芝居仲間の榎本陽介(後、TBS「調査情報」、故人)が、もう高橋が危ない、今日か明日かの命だと、僕のところへやってきた。亡くなる2日前、二人で病院に見舞いにいった。そこで、高橋は歌を歌った。テープで音だけ録り、撮影はしなかった。この歌を最期のシーンに入れてくれと高橋英二はいった。それが霊柩車のシーンだよ」

田原「実は、撮影したが、使っていないシーンがある。高橋が亡くなって、彼のお母さんが、彼を抱きしめるシーンを撮った。しかし、死体を抱いているからね。テレビでは使えないと思って使わなかった」

田原「原一男は、これに衝撃を受けて、僕のテレビのアシスタントをしばらくやった」

坂本「作り手が、被写体の生にずけずけ踏み込んでいって、その生き方や行動に関与し、いわば共同作業でドキュメンタリーを撮る。作り手と対象の『共犯』関係を取り結ぶと、田原さんや原一男もいう。そういうドキュメンタリーが、いまはないでしょう。対象と距離を置いて、対象に影響を与えないように、客観的に撮るというか」

田原「そうだね。ない。テレビでできないよね。高橋英二、おもしろいでしょ」

坂本「おもしろい。こういうドキュメンタリー、田原さん、何本も持っているんですか。20本とか持っている?」

田原「そんなにないよ。何本か。だってもとはフィルムで、会社に内緒で自分で持ち出して、自分でVTRにしてもらったんだから」

坂本「じゃ、ほかのも貸してください。上映会やりましょう」

田原「わかった」

コメント

難しかった

見ました。
これ、みなさんがどう受け取られたのか気になる作品ですね。

私ですが、正直面白くもなんともない。見てて辛いだけ。
霊柩車のシーン、あれ、わざと演じてるのかと思ってしまったけど。死んだフリ。
でも本当に死んでたんだね。

この映像を通して何が伝わったか。
「死の前に立ち塞がる人間の苦しみ」っていうわけでもなさそう。

真実のドキュメンタリーとは…

今のテレビでは放送NGであろうこの作品。
気色悪かったけど、斬新だったので興味はわいた。

作品視聴後の先生の話が印象的だった。「やらせと真実の境界線はなんなのか…ドキュメンタリーは真実なのか…?」

話を聞いていて、ドキュメンタリーの在り方について考えさせられた。
ドキュメンタリー番組の醍醐味というのは、”シナリオにはない、ドラマよりもドラマチックなハプニングが発生すること”ではないかと私は思う。

しかし、制作者側はハプニングをおとなしく待っていられるだろうか…?事が何も進まなかったら、自分のなかで「作品がこうなってああなったらおもしろい!」と、どこかで期待しはじめるのではないだろうか。
そして、時に、誘導尋問のようにして制作者は対象者を演出しはじめる。
結局、制作者側は何かしらの味付けをする。番組は完成し、世の中に流れていく…。

今のドキュメンタリー番組は、この作品とは違って、確かに客観的に撮られている。
しかし、そのように見えているだけで、実際どうかは視聴者には分からない…。番組がおもしろければそれで万事OKなのかもしれないけれど…。

カメラを向ける限り、正真正銘のドキュメンタリーは制作不可能なのではないかと感じたりした。

気持ち悪かったです

一般的なドキュメンタリーでは、そこに出てくる人物や物を通して何かメッセージを伝えると言う趣旨のものが多いが、この作品にはあまりそういったものは感じられなかった。この点は鈴木さんと同意見です。

おそらく、作品のテーマ性どうこうより、先生が授業でおっしゃっていた"やらせと演出の境界線"や"制作者と出演者の共犯関係"などドキュメンタリーを制作する姿勢や方法について問題提起している作品だと理解した。

視聴した後に一番に思ったことは、とにかく『気持ち悪い』
しかもなんというか「うわっ!キモッ」というあっさりとした気持ち悪さではなく、「う~わ…キモちわるぅ」というネットリした気持ち悪さが残った。このネットリした気持ち悪さは何か?

この作品は非常にドラマ的である。出演者が自分で書いた『シナリオ』があり、ディレクターの『演出』が入り、出演者が『自分と言う役』を演じている。しかし、そこで起きたこと、カメラに収められた素材は全て"現実"である。シナリオは出演者の人生そのものだし、役は自分自身なので、どんな場合であっても降りることが出来ない。だから、片腕も手術で切り落とすし、最期には本当に亡くなっている。この"現実の素材""リアルな素材"というのがネットリとした気持ち悪さの原因であり、ドラマもドキュメンタリーも素材を切り取り、並べるという点は同じでも、この感覚はドラマには出せないものだと思う。そういう意味ではドキュメンタリー作品として見ていて面白かった。

しかし、ドキュメンタリーにおける"事実"や"真実"とは何か?という部分については、さらに良く分からなくなった。



見ていませんが・・

この作品を上映した授業に出席してないので、
ここに書いていいものか迷いましたが、先週分の出席の条件に沿って、書かせていただきます。間違っていたらごめんなさい。

上の皆さんのコメントを見る限り、またエグい作品なんだろうなと思います。(…)

でも、先生の紹介文中の

>田原「実は、撮影したが、使っていないシーンがある。高橋が亡くなって、彼のお母さんが、彼を抱きしめるシーンを撮った。しかし、死体を抱いているからね。テレビでは使えないと思って使わなかった」

というところを読んで、

エグい作品なのにそこは切ったのか~

と少し不思議に思いました。
ドラマとかではよく目にする、言ってみれば『ドラマチック』な場面ですよね。フィクション・ノンフィクション問わず、視聴者が求めているのはドラマ性なのに、そんなおいしいシーンを切ったのは、製作者のモラルなのか、放送倫理に反するのか…、なぜなんでしょうか。


ところで完全にトピズレですが、
オバマさんが次期アメリカ大統領になりましたね。
おそらく当選決定後のスピーチで彼が、「黒人も白人も、アジアンもヒスパニックも、ゲイもストレートも…」と何の躊躇も無く叫んでいたのをみて、なんだか歴史が変わった瞬間に立ち会ったような興奮を感じました。ハーヴェイ・ミルクも絶対に喜んでるだろうなあ…と思いました。

 

対象と制作者の関係

高橋英二は実際にガンに侵されていて、最後には本当に死んでしまいました。
しかし彼自信は途中で「俺は偽のガン患者で病気を演じているだけだ」と思いこみはじめます。
正直私もそう思ってしまう瞬間が何度かありました。
「本当はこの人は病気なんかではなく、ガンのフリをしているだけなのではないか…。」
そう見えてしまったのは、撮影対象(高橋氏)と制作者(田原氏)の共犯関係が所々に見えてしまったからかもしれません。
(もちろん視聴の前の作品解説によって多少の先入観が入ってしまったことは否めませんが…)

他の授業の話で申し訳ありませんが、ドキュメンタリーについて「ドキュメンタリーは対象と制作者の関係を表すものだ」と言う話を聞きました。
それはまさしくこの作品に繋がるものだと思います。
高橋氏と田原氏の関係、共犯といえどもどこかお互いを騙し合っているような不気味でアブノーマルな雰囲気が、あの作品の独特の雰囲気を作ったのではないでしょうか。

対象と制作者の関係を、ある意味で包み隠さず表してある作品であったと思います。
「真実をそのまま伝えること」がドキュメンタリーとするならば、この作品はドキュメンタリーと言えない部分もあるかもしれません。
しかし、「対象と制作者の関係」がドキュメンタリーを作るのであれば、これは完成されたドキュメンタリーなのかもしれない。
そんな風に色々な考えが交錯し解らなくなってしまうような難しい作品であったと思います。


【田中 空】

完全に客観的には見られなかったです。

私は芝居をやっていたということもあり高橋さんのモノローグに同意できる部分が多々ありました。
きっと自分が癌におかされていてそれをカメラで映されていたらドラマや映画の撮影でもしているのではと疑うと思います。
役になりきりすぎて現実と物語の区別がついていないのではと。

ドキュメンタリーの定義は人それぞれだとは思いますが、あそこまで映される側が『つくろう』としているものははじめてみました。
そしてこれからもなかなか見ることは出来ないだろうなと思います。

吉原愛実

確かに

皆さんの言うとおり、「気持ち悪い」と感じました。

しかし私にとって、その「気持ち悪い」の正体は、視覚的なことや物理的なことではなく、番組全体に漂う不可解な明るさでした。あっけらかんとした高橋英二、淡々とした演出、そして歌やBGM。どれをとっても、一見明るいけれど、その明るさは、後ろ向きというか、陰性というか…。うまく言葉にできません。
例えるなら、子供が笑いながら虫を殺すような、イノセントさと残酷さが混在するイメージです。
だからこそ、見終わった後に一種の後味の悪さを感じたのだと思います。

ドキュメンタリーを撮るには……

たった一つ、芯になるモノが必要だと、私は日々感じています。
それはその作品の主題であり、その作品が伝えたい事に他なりません。
私はこの作品を見て、この作品が伝えたいのは「役者・高橋英二」そのものであると感じました。
彼が生きた証とでも言いますか、彼自身の『生』そして『生命』そのものをこの作品で表現しようとしたのではないかと……。
行きゆきて神軍とは毛色が違いますが、これもまた激しい作品だと思います。

コレは私見の上に蛇足ですが、「生きる」という事は、実は突き詰めていくと気持ち悪い事なのではないか、と思いますね。

【藤田 博之】

死に際の人間の考える事

この映像の第一印象は、死に際の人間ってやることすごいなぁ、でした。
自分はもうすぐ死ぬかもしれないと思った人間は、その人の一番の才能を発揮して何かを残そうとするのだろうと思います。
この作品は記録映画ではなく、とっても面白いエンターテイメント作品だと思います。見終わった時「気持ち悪いけど面白かった」と思ったので。
高橋英二さんは、自分の本質はエンターテイメントだと悟り、田原総一郎の力を借りてそれを形にしたのだと思います。画に映る高橋英二の想い「何も残さず死なねえぞ」「妻よありがとう」「俺は役者だエンターテイナーだ」という熱い主張が伝わりました。短い作品ですが、高橋英二という人間の性格が理解できたと思います。田原総一郎の目を経由してですが。
被写体の高橋英二の考えが伝わったのだから、これはドキュメンタリーとして大成功なんだなと思いました。ドキュメンタリーとしてとても変わった手法をとられていますが、高橋英二の死に際を撮る時にのみ有効で、かつ最良の手法なんだと思います。

生きる

この作品をみて、ドキュメンタリーってなんだっけ?と自分の中で混乱が起きていることにまず気付きました。

『ドキュメンタリーは映像の中に自分(作り手)を映さなくてはいけない』と聞いたことがあるのですが、この作品は、映し出されている映像の強烈なインパクトによって作り手より、出演している人間の『生きる』ということの意味の錯綜しか見えないような気もしました。

個人の葛藤部分が多く映し出されていて、正直意味がわからない部分もありました……。

でもわかったことは、人間が生きること難しさ。

人間は長い一生を何か意味のあるものにしないと強い虚無感に苛まれる。

何かを背負いながら生きていくのが人間なんだ。

その意味の答えをこの作品の中に残そうと高橋は必死になったのではないか。

時には我々では理解できない行動で『生』のリアルさを感じようとしたのかもしれない。

少なからずこの作品は私の中に、生きることの残酷さと苦しみを残した。

でも私は人生に落胆したわけではない。
意味を持って生きていかなければいけないと自分に言い聞かすことができたのです。

気持ち悪い vs 斬新

野間 ゆかりさんの意見に共感します。確かに気持ち悪い面もありますが、私はなぜか斬新に感じられました。

まず、 高橋さんのお話の上手なこと。
やはり俳優さんとのこともあるからでしょうか、「今カメラまわっている?」と聞いてから、
まるで演劇の主人公みたいな口調で堂々としゃべります。
自分の腕を切るという状況で、あんなふうにしゃべれるなんて、
あの人本当に自分はガンじゃないと思っているのかな、
本当に全部劇だと思っているのかな、という素朴な疑問が湧いてきました。

海辺でまた一人演劇の主人公のように煩悩し転がる時や、
知らない(?)女性と温泉に入る場面では、やはり気持ち悪かったですね。
っていうか、なぜその女の人と一緒に旅行に行かせ温泉に入らせたのでしょうか。
恋人もいるのに?ということは除くとしても、単純にヌードのシーンが必要だったというわりには、グロテスク過ぎるしそこに何の意味があるのかが全くわかりません。
片腕の高橋 さんの背中を洗う全裸の女の人。
その意図は一体何ですか。誰かわかったら教えてください。

作品の全体を見て。
何十年も前の作品とのこともあってでしょうか、少しあらいと感じる部分もあったし、
感情的に激しくなったりもしますが、素材面から見ると、とても価値があると思います。
だって、10の9が気持ち悪いと言うんだから。
もし私が見ていなかったとしたら、一体どれほど気持ち悪いのか、見てみたいなという変な好奇心もありますし。

個人的には、気持ち悪い度3に斬新度7、ぐらいですかね。

面白かったです。
「全身小説家」の井上光晴さんを思い出しました。人の人生とはなんだろうかと思い、人生は虚構も真実であるとあの作品を見て感じたからです。高橋英二さんも、彼自身がドキュメンタリーであり、存在そのものがその全てなのだと思いました。
そして、ドキュメンタリーが冷静に引いた目で見ているというよりも、あそこまで心中のような踏み込んだ撮り方をしていたのはすごいと思います。
過激だなあと思いましたが、人間が持っている火種の部分を見せられたような気がしました。

驚異のドキュメント

「カメラを向ける限り正真正銘のドキュメンタリーはとれない」と、私も野間さんと同じように思っていました。

このドキュメントを見て感じたのは、ドキュメンタリーは、
制作者の意図・思惑以上に、カメラを向けられた対象の想いは、思っていたよりも視聴者に強く伝えることができるということでした。

もちろん今回の映像は、高橋の想いが田原に突き刺さったがゆえ、大変特殊な形でVTR化されているが、こんな映像テレビではどこでも見られない。

ではじっさいには正真正銘のドキュメンタリーがないのと同じではないかと思えるが、「こんなドキュメンタリーもあるのか」といった感想を持った。

最後のシーンでハッとさせられました。何にハッとしたのかは正直自分でもわかっていません。

どこからが演技だったのか、死んだのも本当は癌ではなかったかもしれない、カメラの捉えた何もかもを疑ってしまいました。最初はドラマ風が強くて白々しい感じもしていたのですが、どんどん引き込まれました。恋人(本妻っぽい女性)といるシーンが一番現実に近い部分なんじゃないかと思いました。

霊柩車の走るバックで本人の歌声が流れます。最後のシーンです。彼が死んだのだけは紛れもない事実。生々しい歌声の中、霊柩車には彼が乗っている。生きているものが死んだ。生と死が生々しく 不気味に絡み合うシーンで私は、気持ち悪いとか怖いとかではない不思議な気持ちになりました。これが暴力なのかなぁと思いました。複雑な決してさわやかではなく後に残る感覚。カメラは暴力である、と言っていたけれど、最後のシーンは視聴者に向けられた大きな暴力だと思いました。高橋さんに向けられる視聴者の目も暴力に違いないと思います。その仕返しかもしれません。ケンカですね、これは。

高橋さんは意外とポップな人でした。「行き行きて神軍」の時も書きましたが、世の中にはすごい人がいる。
【中野 美貴子】

これは・・・

正直に言うと、衝撃ばかりが残ってあまりおもしろかったという感想は残っていません。ほかの人たちが言うように気持ち悪かったという感想も持ちましたが、それは映像云々ではなく高橋英二の人間性というか製作者側の意図の生臭さというか・・・。うまく表現できませんが何かゾッとする感じです。

カメラが回っている時点でドキュメンタリー作品というのはありのままの真実ではないということは私の個人的な考えで、それならいっそのこと坂本先生のおっしゃる取材対象との共犯関係をによってその映像の中でしか表現することのできない取材対象を映し出すことも立派なドキュメンタリーたりうるんだなぁと思いました。こんな手法もあるのか、という感じ。今まで私が抱えてきたドキュメンタリーのイメージとは一線を画するものでしたが、かといってこの作品がドキュメンタリーとは呼べないかというと決してそうではないと思います。

確かに今の時代のドキュメンタリー作品は客観的にできるだけ「作品」であることを視聴者に感じさせないように作り手が心がけているようなものが多いと思います。だからこそ私の中で勝手にドキュメンタリーってそういうもんだっていうイメージができたわけです。それだけにこの作品は衝撃的でした。この作品がどうというわけではなく、こういったスタンスのドキュメンタリー作品がもっとあってもいいと思う。

ただ、この作品に関しては本当に、良くテレビでやったもんだ、と思います。

田原氏の作品をリクエスト

初めまして。
色々あって、仕事探しに苦労している就職難破船と申します(苦笑)
貴校の受講生ではありませんが、「ドキュメンタリー青春」で検索しましたところ、ここにヒットし、拝読致しました。

先日、TBSの「クメピポ」を視聴し、ゲストの田原氏の仕事を振り返る中で「ドキュメンタリー青春」を知りました。
少ししか触れません(触れられなかった??)でしたが、人間の業というか、「性」が露悪的に浮き彫りにされ、混沌とした刺激的な映像に、なんとかして見られないかと思った訳です。

2008年10月ですから、最近貴校で上映されたのですね。どうか、田原氏との会話にありますように、その他の作品の上映をご一考下さい。

大々的なイベントとして開催しても、かなりの反響があるのではないでしょうか。
清潔すぎる最近のテレビ(私見ですが)に飽きている人は、少なくないでしょうから。

長々とすいません、ご検討下されば幸いです。
それでは失礼します。

就職難破船さん、検討します。

コメントありがとうございます。

もろもろ忙しく当面はどうしようもないですが、上映会を検討します。

うまくお仕事見つかりますよう祈っております。

返信有り難うございます

坂本様

早速の返信、有り難うございます。
こんなふざけたHNどうかと思ったですが、読んで下さり嬉しいです。

私も、ここのサイトをこまめにチェックして、チャンスを逃さないようにします。
きっと反響ありますよ。あの映像はきちんと保管・公開されるべき貴重な作品です。

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