テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

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開設:2006-05-25 (通年 4単位 3年以上 選択 江古田校舎 放送学科専門科目)

日本大学藝術学部放送学科「放送特殊研究V」(担当講師/坂本 衛)のブログ。2017年度のテーマは「放送・報道における日本語表現の研究」です。

意志の勝利/Triumph Des Willens 2008-06-06

●意志の勝利/Triumph Des Willens

●1935年

●監督:レニ・リーフェンシュタール

●105分

●ドイツの古都ニュルンベルクで1934年9月に開催された「国民社会主義ドイツ労働者党」(ナチス)の全国党大会を記録したドキュメンタリー映画。

●授業では、導入部(ヒトラーがニュルンベルグへ到着まで)と、ヒトラーユーゲント集会(少年たちの鼓笛演奏、ヒトラーの演説、集会後のパレード)を見せた。以下は全編。

Leni Riefenstahl "Triumph des Willens"(英語字幕版)

●参考
「意志の勝利」(Wikipedia日本語版)

●ナチス党首のヒトラーは1933年1月に内閣を組織(首相)。33年8月に総統(=大元帥、首相+大統領)に就任し、第三帝国(ヒトラーのナチズム体制。ヒトラーは962年~神聖ローマ帝国、1871年~ドイツ帝国に次ぐものと見なした)を確立した。その直後のヒトラーの大宣伝ドキュメンタリー。もっとも成功した政治宣伝(プロパガンダ)映像の一つといえる。ドイツでは現在、この映画の一般上映は禁じられている。そのような危険な映像であることを踏まえて、見るように。

●坂本メモ

【導入部】
・レニは空、雲、太陽が好き。人は空が好き
・降臨、降誕のイメージ(「高貴なるもの」の表象)、鷲は舞い降りた
・ハイテク(高度な技術)の象徴。ヒトラーは、選挙戦に飛行機を駆使した世界最初の政治家の一人
・非常に気をもたせる。長い。オリンピアの冒頭もそうだった
・あり得ない映像(ヒトラーの肩越しに沿道・民衆・街並みを見る。併走車からか)
・子どもの顔・人々の顔のアップ、街のアクセント映像などを巧みにはさみ込む(モンタージュ)
・徹底して子どもたち、若者たちの「いい顔」を撮っていることに注意
・余計なナレーションをはさまない。見れば、説明抜き・理屈抜きに誰でもわかる映像
・大げさに高揚させる、ときに美しい音楽

【ユーゲント集会】
・あり得ない映像
・部分のアップ(ラッパ、人びとの顔、少年らの背伸び)
・効果的な音楽(期待を高める、気を持たせる、引っ張る)
・斜め映像(不安定な前がかり、つんのめり……意識のつんのめり)
・観衆(私たち)のアップとヒトラーのアップのモンタージュ(交互に、結局一体化)
・演説するヒトラーの周囲(半円状のレール上)をカメラが回る
(あり得ない映像、飽きない映像、ありえないアングル、ゆっくりじっくり「客観的に」 観察させる、飽きさせない、「ためつすがめつ眺めたが、これは本物だ! すごい!!」と思わせる効果)
・スタジアムのパンとほぼ同スピードであることに注意(同じ目で見る、つながっている、同じ客観性)
・沿道の正しい撮り方(前を撮ってはダメ)
・9分47秒間に約146カット。1分間に約15カット使っている。ちなみに、オデッサ階段の虐殺シーンが モンタージュの手本とされるエイゼンシテイン『戦艦ポチョムキン』は86分で1346カット。これは1分間に15.65カット。

コメント

とても綺麗な映画、
というのが第一印象でした。

飛行機からヒトラーが降りてくるシーンは、同じく映像でしか見たことのないビートルズ来日を連想してしまい、ヒトラーの国民的スターぶりを感じてしまいました。

それで何故「綺麗な映画」だと感じたのか、その理由を考えてみたところ、先生が記事でも書いている

・徹底して子どもたち、若者たちの「いい顔」を撮っていることに注意

が私の中では、大きな原因だと気づきました。

これは私の偏見なのですが、ヒトラーを崇拝している人々というと、オカルト宗教っぽい集団をイメージしていました。ですが、映画の中の人々は、まるでオリンピックを応援している様な生き生きとした表情でヒトラーを応援しているので、まるで自分も同じ気持ちで集会を聞いている感覚になったのです。テレビ番組で、赤ちゃんや動物が出てくると、その可愛さにほだされるのと同じ効果なんでしょうか。


しかし以上のことは、この映画の背景を知っていて観たから気づいたのであって、何にも知らずにこれを観たら、ヒトラー=独裁者というイメージが少し変わったかもしれません。

それほどこの映画はプロパガンダとして、成功した作品だと思います。現代でもドイツで上映が禁止されているのは納得出来るのですが、一番気になるのは誰がこの映像をyoutubeにアップしたかということです。
上映禁止のものをネット上に載せた人は、この映画に対して、少なからず愛着を持っていたのだと思います。それは現代でも、この映画の魅力につかれた人が居ることなのかと思うと、少し怖くなりました。
しかも監督のリーフェンシュタールは、「私は政治には全く興味はなかった。興味があったのは美だけ」とコメントしているので、単に監督が芸術作品としてつくった、プロパガンダ以外の映画があるなら観てみたいです。

【谷山浩子】

制作側として

「意志の勝利」はナチスのプロパガンダとなるべく求められ、そう使われた。そしてリーフェンシュタール監督はプロパガンダによるナチズムへの協力者として訴追される。しかし「私は政治には全く興味はなかった。興味があったのは美だけ」と彼女は主張した。
 
 彼女の言葉を信じるのであればこの作品は非常に優れた作品だと感じる。単に被写体がヒトラーとナチスだっただけだ。制作側からしたら被写体をより良く見せる事は当然の事であり、それらが正しく見える事は一つの成功を表す事になる。制作者の視点で観るとこの作品の素晴らしさが見えてくる。
 先生も述べている様に子どもたち、若者たちが総統を演出する上でいい形に切り撮られている。ヒトラーが乗る車を沿道から追いかける子供、右手を掲げヒトラーにサインでも求めるかの様に身を乗り出す人々、背伸びやジャンプをして一目だけでも拝もうとする子供。一つ一つの行動に感情が込められている。表面ではなく感情を撮っている様に感じられる。そういう映像は見ていて心に来るものがある。私の個人的な考えではあるが子供の表情で一番美しいのはアフリカ圏の子供達の笑顔だ、次ぎにアジア、ヨーロッパと続く。あの本当に飾らない無垢な表情がとても愛おしい。この作品に出てくる子供の顔はそんなアフリカの子達のように飾らず愛くるしいものがいくつもあった。しかし、それを観て心が和むのと同時にその表情がヒトラーや軍事パレードに対して向けられている事に恐怖を感じた。末端まで行き届いた戦時下の教育。それを表している画がいくつも切り撮られている。
 
 党大会終了演説では作品の編集における丁寧さが見えた。単なる記録映画ではカットしてしまいがちな演説前のヒトラーの虚空を見つめた沈黙、合間に見られるまるで「今のはフレーズはよかった」と思わんばかりの満足げな顔、スピーチの書類をみて「まだこんなにも言わなきゃいけないのか」と言いたげに片方の眉を上げ文書を読む表情等、偶然ではなく意識的に挟んでいる。あの力強い演説の中に見えるヒトラーの人間味を帯びた顔に意外性と今までに無い親近感を覚えた。ただ、戦時下において人の上に立つ総統は強大な力の保持者、絶対神的な立場でなければいけない。現に私が今まで観たヒトラーの姿は常に顔をこばわらせ両手を使ったオーバーアクションと力の籠った演説で独裁者の象徴だった。人間らしい一面を見せる事はプロパガンダとしては成立しにくい。
 やはりリーフェンシュタール監督は政治的な思惑など関係無しに単に自分の撮りたいもの撮っていただけに感じる。ただその中に妥協は無く純粋に且つ真に良い画、彼女の言う所の「美」を撮りたかった、創りたかっただけであろう。パレード・軍の行進の映像を真正面から受けたりRAD屋外集会の時、長さ30mほどの鈎十字の旗の脇にある柱に小さなゴンドラを取り付け上下に動かし縦の映像を入れる所など制作側のエゴを通したようにしか見えない。


 観ていてこの作品を創った人々を羨ましく思い、且つ嫉妬に似た感覚を覚えた。
 



 
 

どうかね。

《まるで自分も同じ気持ちで集会を聞いている感覚になった》

 と谷山浩子がいうのは、その通りだろう。ヒトラーだけじゃダメ。プロパガンダ映像というのは、見る者が一体視できる、観客が乗り移れるものを映し込んでおく必要がある。スポーツ中継で盛んに観客席のアップを入れるのも、同じ効果を狙っているといえる。カメラマンにその自覚があるかどうかは別としてね。

《上映禁止のものをネット上に載せた人は、この映画に対して、少なからず愛着を持っていたのだと思います。》

 と谷山はいうが、これは、そうとばかりもいえないのでは。

 ネットに主流の考え方は、「とにかくバラせ」「全部公開しちまえ」「危険な映像でも何でも、公開し誰もがアクセスでき、自由に論じることのできる状況を作っておくことが、もっとも危険から遠ざかる道なのだ」というものじゃないかね。

スポーツ中継は観ないので、あまり分からないのですが、観客席が映るのは試合場の生の臨場感をテレビでも伝えようとしているからだと思っていました!

にしても、プロパガンダだと分かっている上に、観客が共感する仕組みを説明されても、それでも「意志の勝利」を綺麗だと感じ、ヒトラーに好感を抱いてしまうこの感覚は、理屈じゃなくて正に感情を操られていると実感しています。恐るべし。


>危険な映像でも何でも、公開し誰もがアクセスでき、自由に論じることのできる状況を作っておくことが、

論じる…
私はネットを主に情報収集の為にしか用いないので、論じ合う為という使い方は考えていませんでした。(このブログでは論じ合っていますが!)


>もっとも危険から遠ざかる道なのだ

危険とは無知のままでいることでしょうか?
過去に上映禁止になるほどのプロパガンダ映像が存在したこと、その映像を用いてドイツ一の犯罪者が成功したこと、等を知らないままでいると、また同じ歴史が繰り返されるので、それを避けることが危険から遠ざかることなのでしょうか。

【谷山浩子】

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●ブログ開設は2006年ですが、1999年からマスコミ演習、マスコミII、放送特殊研究Vといった授業を担当しており、2005年以前のレジュメなど古いものも置いてあります。(坂本 衛)