テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

開設:2006-05-25 (通年 4単位 3年以上 選択 江古田校舎 放送学科専門科目)

日本大学藝術学部放送学科「放送特殊研究V」(担当講師/坂本 衛)のブログ。2017年度のテーマは「放送・報道における日本語表現の研究」です。

岐阜・中二女子自殺 学校側の対応 2006-10-30

月曜日担当の村瀬です。

今日、10/30の『報道ステーション』のトップニュースは、
ソフトバンク孫社長が「緊急釈明会見」をしたことについて。

そして二番目のニュース。岐阜県瑞浪市の中学二年の女子生徒が、
遺書を残して自殺した事件の続報でした。
今回の記事はこの事件に注目します。


当初、学校側はいじめの存在をある程度認めていたにも関わらず、
今日になって「無かった」と主張を一変させたようです。
『報道ステーション』では主に、学校側の人間による記者会見の模様を伝えていました。

そして最後に、そこの中学に通う女子生徒二人を、
顔だけは映さずにインタビューしている映像が流れたのですが、
「現に自分もいじめられているのに、学校側がいじめというものを認める姿勢を持たないのが恐ろしい」
という内容を一方の子が喋っていました。
(二人とも体操着でした。二人を間近で撮っているので背景がほとんど映らず場所はどこか判断できませんが、子供達の声が騒がしく・・・校内のグラウンド?)

例によって、取材に行き過ぎがないか不安はありますが、
記者が生徒の生の声を拾うことが出来るのは、
事件について大きくプラスに働くと思います。


そして僕はいっそのこと、生徒達に顔出しでインタビューに応じてもらえれば、それを「新たないじめに関する証言」として、この事件にはもっと深く切り込めると考えたのですが・・・この行為には問題があるでしょうか?


《番組データ》
番組名:報道ステーション
放送局:テレビ朝日(ANN)
放送時間:21:54~23:10
キャスター:古舘伊知郎、河野明子


【村瀬 一路】

コメント

この種の自殺問題。メディアは過剰報道をやめ、世間も過剰反応をやめ、一歩立ち止まる必要があると考えています。命の重みが、これほどまでに軽くなってしまった背景には、人間社会が抱える社会的ひずみがあり、現存する社会構造の欠陥が必ず関係していて、ただ単に矛先を学校に向けるだけでは、問題は解決しないですよね。。。
http://blog.livedoor.jp/tarotohachinosu/

やむを得ません

村瀬さん。瑞浪市など中央線沿線は、岐阜県では濃尾平野と並んで通勤・通学で名古屋志向が強いところながら、山間部ということもあり、噂がすぐに広がりやすいところです。
 もしそういう狭い社会で顔出しのニュースが報じられれば、それを見た地元視聴者(保護者たちも教師たちも)からいろいろ後ろ指さされることが想定されます。残念ながらそういう雑音を無視できません。
 ただ取材クルーは本名と連絡先を控えているかもしれないですね。そうすると何かあった場合は掘り下げることができます。

コメントありがとうございます

>たけさん
僕は、それでもまずは学校からだと考えます。
例えば今回の事件、自殺した女子生徒が家でも日常的ないじめを受けていて・・・
だと、また話は違ってくるでしょうが。

>かじかさん
お久しぶりです。久々に記事を書きましたよ。

やはり顔出しだと一気に広がってしまいますか。
しかし、何かあった場合にやっと掘り下げていたのでは遅い気がするのです。何か・・・もう少し何か、出来る事は無いのでしょうか。歯がゆいです。

事件の起きた学校で、
再度いじめで深刻な問題が起こらない事を祈るばかり・・・

危険なのか・・・

顔だしで一般の人間にインタビューをするというのは、村瀬さんのいうように、事件に深く切り込める新たな証言となるとは思いますが、それはやはり顔だしで証言するほどの勇気ある人間がいればこそ有効になることだと思います。

しかし実際は、アンケート調査で名前を伏せて答えてもらうように、匿名だからこそ核心にせまれるということが大きいのではないでしょうか。

仮に顔を出して取材できたとして、本人の許可があった場合、それはなんら問題ないように思えますが、それがもしも幼い子供などの未成年だった場合あとあと問題になりかねないような気もします。

私もまとめレス

まず、たけさん。あなたでしたか、「たろと蜂の巣」を主宰してるのは。私はドリームでの書き込みを拝見して連絡取ろうとしたんですがコメント欄もメールアドレスもなく困りました(トラックバックの方法知らないし)。一度連絡下さい。今回の書き込みについては個人的には同感ですが、村瀬さんの書かれた内容とはかけ離れてると思います。

 村瀬さん。私たちの学校時代(大学は学校ではないので省きます)を思い出してみてください。先生って何でも把握してましたか? そりゃ先生にバレたこともあるでしょうけど、全部が全部教師が把握してることじゃないでしょう。ま、教師は下手をすると親より接する時間が長いですからアンテナは常に張っておくべきでしょうけど、万能ではないですよ。それと、教師が本気でいじめを撲滅したいのかどうかという疑問は残りますよ(ということで私も自分のブログ貼ります)。

 鮎川さん、今の中学生が充分後々のことを考えた言動をしているかどうかといえば、私は甚だ疑問です。ただでさえ思春期は時として直情的になりがちですし。

いじめ問題

>鮎川さん
顔出しでいじめの告白ともなると、「本人の許可」くらいでは足りないだろうとは考えています。それこそ、相手の親や学校を巻き込んでの話になるでしょう。
難しい事態を招くでしょうが、いじめられている子が匿名で嘆く、というだけの現状に寂しさや悲しさを覚えました。

>かじかさん
ブログを拝読しましたが、内容に同意出来ます。

人をいじめた経験があり、自分がいじめられた経験もある俺としては、とてもじゃないけど教師がいじめ問題に対処しきれるとは考えられませんね。
教師が、いじめを撲滅したいか?生徒をいじめる教師だって居ますし、やはり疑問です。
そして生徒達にいじめの恐ろしさを説くのはさらに難しい。では僕が学校に求める事は何かというと、「いじめは何処にだってある」現実をまずは認めて欲しいのです。

今回の事件の報道を聞いていると、学校側は見てみぬフリか、はたまた本気でそう言っているのか、どちらにせよ恐ろしい態度をとっていると思います。
まだまだ、いじめ問題に取り組む姿勢すら出来ていない。もっと根本的な所、学校の体質から改善していかなければ、と考えています。

例によって「テレビ報道を考える」というブログの主旨から外れそうですから、この辺で。

頭をさげさせたがるメディア

なんか最近の報道を見ていると、教育委員会が問題を把握していない
ことに問題がある、なんてコメントがありますよね。

なんかおかしい。

教育委員会って管轄の生徒全員を把握してるのかってことです。

無理です。

テレビ報道をする側がどんどん問題を単純化したり、明確化するに
したがって、暴論ともいえるものまでがまことしやかに語られています。

でも、問題は難しい。

>もっと根本的な所、学校の体質から改善していかなければ、と考えています。(村瀬さん)

学校の体質のなにを改善すればいいのですか?学校がいじめはありましたといえば問題は解決すると思いますか?

もちろん村瀬さんがそういう議論をするつもりがないことは分かります。

ただ、私もみんなも、いじめ問題をどう解決していいのか分からない。

それは、みんないじめられたり、いじめたり、いじめの現場を見たりして、実態を知っているからでしょう。(現状を知っているとはいえませんが)


でも、メディアは誰が悪いとか、これがおかしいとか言わなきゃ視聴者は納得しない。

難しい。

結局は視聴者のリテラシーをあげないと、と私は思うのですが、
どうなんでしょうか。私も正直わからないですが。

お答えしておきます

>学校の体質のなにを改善すればいいのですか?
隠蔽体質、いじめの存在を認めようとしない姿勢。

いじめ問題をどう解決していこうか、という時に、
いじめは無いなどと宣う学校は少なくない。

事件のあった岐阜県瑞浪市の某中学など正にそれで、問題に取り組める段階にまだ至ってません。これこそ大問題です。
学校がいじめの存在を認めた上で、初めて問題解決への第一歩が、ようやく開かれると考えます。
その後のことは確かに難しいですね。俺も幾つかの案をもっている程度に過ぎません。しかし現状では、後より前のことを考えたほうが話が早いと思うのですよ。

メディアが、今回の学校の態度をもっと積極的に非難してくれればいいと僕は思っています。

教育委員会とは何か

内部部外者さん。戦後は、小中学校の教育は市町村の教育委員会の責任で行うことになってるんです。ちなみに高校は、設置者が都道府県であれば都道府県の教育委員会が責任を持ちます。
 断っておきますが、責任が「文部(科学)省」ではない点が戦前と違うところです。戦前は教育は国の意向でやってました。それが、型通りにしか教えられない、型にはまった子どもしか育たない、挙げ句の果ては戦争にまで協力してしまったということで、同じく国の下部組織であった都道府県や市町村と共に、戦後は独立した組織となったのです。教育委員会なんて、はじめのうちは公募で選挙やって決めてたくらいですから。(こういう根本的なことを、学校もマスコミも触れない。)
 だから、教育委員会が責任を負う範囲で何かが起きれば、教育委員会の責任を問うのはある意味では当然なんです。「胴元」ですから。
 むろん、教育委員会を責めることで一件落着であるはずはありません。責めるというのは本来、「なぜ学校がありのままを報告できるようにできなかったのか」「今後どういう方針であたるのか」に絞られますし、同じ問いは学校にも向けられて然るべきでしょう。
 しかしながらよくいわれるように、教育委員会は住民が教育について関わる場ではなく、教師をはじめ教育関係の要職にあった人の名誉職的存在に成り下がっており、時に委員と学校の要職者との顔を立てることが優先されてしまいます。一方で、子どもたち自身が実感できるほど命が大切にされている感が、学校にもその外の世界にもありません。その意味で、学校と教育委員会とは共犯者といえましょう。やたら威圧的になる記者にかわって、私たち自身こそ学校や教育委員会がどれだけ変わるか注視する必要があるのではないでしょうか。

反論ではありませんが、私の意見

>教育委員会が責任を負う範囲で何かが起きれば、教育委員会の責任を問うのはある意味では当然(かじかさん)

ではいじめ問題はその”何か”にあてはまるんでしょうか?

教育委員会についてはある程度の知識を持っているつもりですが、
この問題が教育委員会の関与すべき事柄とは思えません。

しいて言うなら、村瀬さんの言うようにいじめの存在を認めない
学校に対する管理責任を問うなら正論です。

教育委員会がすべてのいじめを把握し、改善を指導するなんてこと
が可能かどうか。

形式上は可能だと思います。書類書いて、上に上げればいい。

でも実際問題として、それは機能しないし、していなかった。

いじめはケースごとに問題が異なります。互いに顔も知らないような
人間が、問題を解決できるとは思いません。

こんなことを言っては非難されるかもしれませんが、いじめられる側に問題があることだってあります。

私の学校にはいじめられ役を演じている奴がいました。わざと嫌のことを言って相手を怒らせ、いじめを誘い、いじめられていると先生に報告する。

先生の見えるところでは、奴はいじめられているだけだから、先生もそうかなあなんて思ってしまう。

片面しか見えない。それはある意味当たり前です。先生だって人間だから。

こんなケースを教育委員会が把握して、さてどうしましょうって話になると思います。

私はクラスのことはクラス内で、学校のことは学校内で完了させてほしい。

教育委員会より閉鎖的な学校で

内部部外者さん。もしある企業のある支店で社会をゆるがすような不祥事が発生した場合、支店レベルでにぎり潰したのか支店の管理職も知らなかったのか、会社のトップはおろか本社にすら知らされていなかったとしたら、「私たちが知らないことでしたので」とトップは逃げ切れると思えますか? いいえ、そんなことはないですよね。トップは管理責任を問われますから。風通しが悪いのであれば、なぜ風通しの悪さを改善しなかったのかがトップに問われるわけです。
 教育委員会でも同じことがいえましょう。その市町村の教育を監督し、必要なら(例えば私学がやらないのであれば)自ら学校を作ってでも教育の機会を保障するのが教育委員会です。もし学校に問題があっても報告が来ないのであれば、来ないような風通しの悪さを問われるのが当たり前でしょう。学校に学校の裁量権が必要だとは思いますが、学校だけで教育システムが完結する仕組みには、今のところなっていないのが事実です。
 もちろん、何度も繰り返しますが、教育委員会「だけ」を責めたところで何の解決にもなりませんし、むしろ学校の責任が大きく問われるのは当たり前です。しかしだからといって、教育委員会に責任が「ない」といえるかといえば、上の段落からいってそうでもないでしょう。もし内部部外者さんのおっしゃるようにしたければ、学校を教育委員会から完全に切り離すシステムを再構築することです。
 これも繰り返しになりますが、教育委員会は名誉職と化しているのが実情だというのは私も認めます。しかし、戦後に教育だけがなぜ市町村の他の行政から切り離されて委員会として存在したと思いますか? 学校が教師と子どもと親だけの機関と化していること、都道府県や国からの関与を防ぐことから、「国民が国民に直接責任を負って行う」という教育の目的を果たすためですよ。むしろ教育委員会をそうした正常の姿に戻すことこそ重要であり、「現状で機能してないから教育委員会はいらない」と主張するのはあまりにも暴論すぎると思います。それとも教育委員会以上に閉鎖的な学校を肯定するのですか?
 私だったら、むしろ「自分たちさえよければいい」社会を変える道を選択しますね。回りくどいようですが、そうしないと根本的な解決にはいつまで経っても到達しません。

最後に。。。

ブログ趣旨と異なる議論を展開してしまっているので、私も最後に
コメントさせていただきたく思います。

かじかさんが言われたように、トップの責任については非常に
同意いたします。ライブドア問題のときに、堀江前社長が「自分は
知らなかった」から罪はないんだといってましたが、
そんなバカな論理はなく、トップしかも上場企業の社長の責任は
問われて当然でしょう。学校についても責任者が校長で、胴元が
教育委員会であるならば、責任を問うのも道理にかなうと思います。

ただ、かじかさんのコメントにもありますが、教育委員会の形骸化
は目にあまるし、根本的な解決策が打ち出せていない現状に憂う
気持ちも同感します。

閉鎖的な学校を肯定などしようとはおもいませんが、ではどうすれば
正常に戻るのか、どうすれば、どうすれば、ばかり思い、極論を
だしてしまう自分がいるのも事実です。

長々と失礼しました。

▼ コメントをどうぞ!! すぐ上(既存コメントの末尾)に追加します。

表紙(最新ページ)へ

月めくり

≪≪ 2017-05 ≫≫
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

年月別の記事

内容別の記事

3.11巨大地震発生から

最近の記事10

最近のコメント10

主宰者から

日本大学藝術学部放送学科

●このブログは、日本大学藝術学部(日芸またはNGと略)放送学科の授業の一環として設置しています。学外の方も自由に閲覧やコメントしていただけます。学生らの活動を厳しく、ただし温かく見守っていただければ幸いです。学生には「ブログ炎上も授業のうち」といってあります。

●ブログ開設は2006年ですが、1999年からマスコミ演習、マスコミII、放送特殊研究Vといった授業を担当しており、2005年以前のレジュメなど古いものも置いてあります。(坂本 衛)