テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

開設:2006-05-25 (通年 4単位 3年以上 選択 江古田校舎 放送学科専門科目)

日本大学藝術学部放送学科「放送特殊研究V」(担当講師/坂本 衛)のブログ。2017年度のテーマは「放送・報道における日本語表現の研究」です。

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秋田小学1年殺人事件の報道/プライバシー 2006-06-06

今日から一週間、ブログを担当する森 智徒勢です。よろしくお願いします。
一週間書き込みのテーマは『秋田小学1年殺人事件の報道』についてで、今日はプライバシーと推測・憶測が視聴者に与える影響を考えて見たいと思います。

みなさんご存知かとは思いますが、秋田県の小学1年米山豪憲君(7)が殺害された事件で「近所の女」が逮捕されました。この「近所の女」が、マスコミが終始注目していた水死女児の母親でした。
まずは、今朝の各局の報道を検証し、私なりに問題点を挙げて見ました。
(『日本テレビ系・スッキリ!!』『フジテレビ系・とくダネ!』『テレビ朝日系・スーパーモーニング』)

1.加害者の生い立ちを中心に報道→加害者のマイナスイメージの固定
この点は3番組とも同じ傾向でした。まず、加害者に離婚経験があり、また借金もあった。3年前から定職についておらず、以前はパチンコ店で働いていた。また『スーパーモーニング』では加害者が破産宣告をしようとしていたのではという近所の人の話も伝えています。『とくダネ!』では、加害者が水死した長女にご飯を作っていなかったという報道もしています。(同様の事が週刊誌にも掲載。)

この時点で、3番組とも加害者に負のイメージ『離婚・借金・無職』を与えています。
さらに『とくダネ!』の「加害者が水死した長女にご飯を作っていなかった」という報道は、豪憲君殺害だけでなく、長女の死亡原因に何らかの関係が有るのではないかと視聴者に暗に示しています。
これはあくまでも加害者の生い立ちや生活状況であり、現在までにハッキリしていない殺害の動機ではありません。が、このような加害者の負の生い立ちは、視聴者に「動機」がこの3点(離婚・借金・無職)に深く絡んでいると思わせやすい情報です。

2.近所の話→憶測・推測をさせ、情報が独り歩きし始める 
また『とくダネ!』では「共犯者がいたのではないか?」「水死した加害者の長女に保険金がかけられていたのではないか?」という情報が伝えられています。が、あくまでも「推測ですが」という前置きがされています。

よく話の流れや取材の状況から、番組内ではコメンテーターや司会者が推測を話すことがあります。しかしあくまでも推測は推測であり、事実ではありません。しかしテレビで報道された事は、推測であろうが憶測であろうが、視聴者は鵜呑みにしてしまうのが現実です。特にこの場合、長女の死亡理由にも疑問を与えるどころか、視聴者に「加害者が殺めたのではないか?」という見方を与えかねません。

上記のように、マスコミはまだハッキリしない動機を探そうと、加害者の生い立ちや粗を探し放送することが常套手段となっています。しかし、これが動機につながるのでしょうか?動機が明らかになっていない現在では、単なるプライバシーの侵害と言っても過言ではないと思います。

また、この放送が客観的な放送なのか気になり(NHKが客観的報道をしているのかどうかは別として)、NHKの『ニュースウオッチ9』も見てみましたが、被害者加害者の負として伝えられたのは『離婚をしてから長女と二人暮らしだったこと』と『3年前から定職についていない』ことでした。さらに加害者の負だけではなく、長女の死亡理由に疑問を持ち目撃情報を求めていた事や、警察に掛け合ったことなど『母親の顔』も伝えられていました。(他に大きな事件があったので、小さく伝えられていましたが・・・。)

警察発表をそのまま放送するだけなら報道など必要ないのかもしれませんが、まだ事実とわからないことを報道する必要がどこまであるのか?「憶測・推測」と前置きすれば何でも話すことが許されてしまうのか。テレビや週刊誌の情報を鵜呑みにしやすい視聴者や読者に対して、すべてを伝える事が得策だとは私は思いません。

初日から長くなってしまいました。

《番組データ》
番組名/スッキリ!! 日本テレビ系/月曜~金曜8:00~9:55放映/司会 加藤浩次・テリー伊藤・阿部哲子/
番組名/とくダネ! フジテレビ系/月曜~金曜8:00~9:55放映/キャスター 小倉智昭・笠井信輔・佐々木恭子/
番組名/スーパーモーニング テレビ朝日系/月曜~金曜7:30~9:55放映/司会 渡辺宜嗣・野村真季・鳥越俊太郎/
番組名/ニュースウォッチ9 NHK/月曜~金曜21:00~放映/司会 柳澤秀夫・伊東敏恵・青山祐子・平井信行/

【森 智徒勢】

コメント

憶測・推測の嵐

「逮捕」と聞くと、これまで抑制していた憶測・推測を一挙に噴出させ、たいていはやりすぎるというのが、日本のテレビ報道の常であるように思えます。

昨晩、一瞬だけ見たテレビ朝日系「TVのチカラ」は、局サイトによれば、「秋田 小1児童殺害事件
独占スクープ激白映像!秋田小1児童殺害事件…容疑者は“彩香ちゃんの母”
独占3時間インタビューで“最大の謎”犯行動機に迫る…容疑者は逮捕前、番組にSOS依頼。
49日におよぶ総力取材の全て…スタッフとの往復メール、さらに任意同行直前にスタッフに残したメッセージとは…」
といった内容。報道番組ではありませんが、出席者の間で、医師「(女児は)自宅風呂場で殺害されたと思う」出席女性「では、豪憲君に目撃されて」というような会話があった。明らかに言い過ぎで、医師は一般論としてしか語るべきではない場面でしょう。

元刑事だかなんだかが各局に登場し、それぞれむちゃくちゃなことをいってますね。そりゃ、ハズレになったとき訴えられたらマズイよ、という揣摩憶測も散見される。三浦事件にも松本サリン事件にも、相変わらず学んでいないという印象。

推定無罪

どうも、部外者01です、よろしく

マスコミが動機を探すといった目的で根掘り葉掘りするのは、日本において推定無罪が浸透していないからだと考えます。また、日本の裁判では被告人の「動機」のほか「性格」までも事実認定されるために、身の上話などのメタ情報を知る(知らしめる)ことが悪くないといった風潮があるのでしょう。

私はこれはどちらも問題だと思います。推定無罪の原則は捜査機関や報道機関を直接規律する論理ではないとされていますが、今現在日本でされている犯罪報道は大抵やりすぎの域にあると考えます。森さんが感じたように、容疑者の負のイメージが動機に繋がったと暗に示していれば、十分やりすぎでしょう。推定無罪が守られないと松本サリン事件の河野氏に対してのような報道被害を生むことにもなります。

それから裁判において被告の「性格」などを事実として認定するのもおかしな話です。裁判所は「証拠」に基づいて事実の有無を判断すれば良いのであり、判決文に人の性格まで書いて社会的に決め付けていいものではありません。社会的に決め付けるとは「あいつはどういうやつだと公言して良い」ということで、それがOKならマスコミは出歯亀根性をむき出しにして探し回るでしょう。売れますからね人の噂話は。

イギリスを例に見てみると、こういったやり方は厳しく制限されています
(最高裁判所HP内某ドキュメント)←すいません、長いアドレスを貼るとレイアウトが崩れてしまうようなので、下の私の名前横URLのところからジャンプしてください。
"イギリスでは,進行中の事件に関して,手続の公正な進行を妨害し,あるいは,陪審員または裁判官に対して予断,偏見を与える実質的な危険を生じさせるような報道をすれば,裁判所侮辱として処罰されることになる。例えば,裁判の確定前に被疑者や被告人の前科,前歴や悪性格について報道することや,公判前にされた自白を暴露すること,有罪,無罪等について論評することなどは,いずれもこの裁判所侮辱に当たるとされる。"
http://www.law.tohoku.ac.jp/kenkyuukai/thg/21-4.html (東北法学会会報21号5-8頁)
"検察側は,被告人に前科前歴があっても,事実審理の間は,原則として陪審にこれを知らせることは許されないし,前科前歴以外の身上経歴事項も,被告人が訴因に掲げられた犯罪を犯したか否かを判断する上で必要ない事項は,暴露できない。どのような家庭に生まれ育ったかとか,学歴とか職歴あるいは結婚・離婚歴なども,有罪と決まるまでは,通常,法廷に顕出できない。"

私は「だからイギリスの裁判制度のほうが優れていて、全部真似しろ」とは言いません。ですが、現状を見る限りここから考えなくてはいけないことがあるのは確かだと思います。
例えば、(引用はしませんでしたが)最高裁の文書内でもあるように、オンブズマンを設置したらどうでしょうか。もちろん最初から報道を規制するといった話にはしないで、席に付かせるのが大事です。(それとも既にそういった機関はあるのかな?だとしたら殆ど機能しているようには見えませんが…)

裁判員制度が始まったら…

部外者01さんの指摘に重要な要素が含まれていると思います。

日本もついに「裁判員」制度を導入するわけです。今回の事件も同制度下では(起訴されたとして)秋田地裁での一審は「裁判員」が加わることになります。なのに,現在のような「予断と偏見を与える」報道を繰り返して良い訳がありません。

新たな立法措置がとられるのが嫌ならば(一種の報道規制ですからね),週刊誌・夕刊紙・月刊誌を含めてすべてのメディアを網羅した「自主規制ガイドライン」を作るしか道はないのでしょう。

昨日出まくっていた元・刑事,元・検事などのコメンテイターは本当に必要なんだろうか。彼らが今回の捜査情報を詳細に把握していないならば,憶測で物を語っているだけです。ただし,視聴者はその肩書きに惑わされたりします。

「動機」なんて,おそらく真犯人でさえ明確には語れないものでしょう。過去の事件の検察の冒頭陳述を読んでも,推測に基づくストーリーに仕立ててあるケースが多いのです。それなのに,メディアは「動機」を推測したがります(平塚5遺体遺棄事件も同様)。「『なぜこんな事件が起きたのか』と視聴者が知りたがっている」と説明したりするのですが,ホントでしょうか。

はじめまして。私が「長野県で新潟波」を指摘した者です。
 私は既に諦めに近い感情を持っています。怪しい=罪人、と短絡的に決め付ける人が大多数で、警察もマスコミもそういう尻馬に乗っかることしか考えてない(特に上司にあたる人は)。これはマスコミうんぬんの問題じゃなくて国民性ですよ。難しいこと考えなくてもアイツがやったんだろ、で終わっちゃう。少数派とか確率の低いものとかは最初から切り捨て。そうやって多勢に従うのが民主主義だと思ってる。
 でもマスコミ研究をやる人の間で、そういう傾向と結びつけて研究してる人ってどれくらいいるんでしょうか。むしろマスコミ固有の問題として研究する傾向があるんじゃないかなあ。これも立派な先入観なんですけどね。

かじかさんへ

良くないことと思っていて、意見を持っているのならば諦めるというのは適当な選択ではないと思います。諦めるのは認めてしまうのと同じことです。

怪しい人が罪人と思ってしまうのは日本だけの問題ではなくて、イギリスでわざわざ規制しているのはあちらの人もやはり、そういった決め付けをしてしまう人が多かったからでしょう。
多数に従いたがるとか、必要以上に知りたがるというのは人間共通の性であって、それ自体を否定するのは無意味です。
でも、人間は理性でそれらをコントロールすることができます。性欲を持っているのは仕方のないことだからどこでも発散して良い、ということにはなりませんし、多くの人がそれを望んでいますよね?
同様に、犯罪報道の問題に関しても、皆でルールを考えて示してやれば、今現在の状況を改善できるということ思うのです。どうでしょうか?

赤尾さんへ

事件が起きた際、その理由や動機を知りたいと
思うのは報道関係者だけじゃなく、人の性ではないでしょうか。

残虐な事件を起こした得体の知れない人物を、
何とか『理解』できる次元にまで引き寄せたい。
視聴者も暗にそれは望んでいると思いますよ。
でないと、不安になるばかりですから。だからマスコミが視聴者の
インスピレーションを刺激してやることは重要だと思います。

ただ、今のマスコミがやってることは、勇み足だと思いますね。
「今回の犯人はこんな人物だ」と早急に決めつけ、
偶像に基づいた番組構成を行う。大多数の視聴者は
その出来に満足し、偶像を自分なりに分析して終わってしまう。

危険な構図だとは思いますが・・・。
局ごとに容疑者の扱いを変えれば(=予断と偏見の種類と量を増やせば)大分良くなりませんか?
様々な見方を伝えることで、結果として視聴者の偏見を減らす。
これで問題を幾らか解決出来ると僕は考えていますが、
いかがでしょうか?

村瀬さんへ

横から口を挟んでごめんなさいね。
でもちょっと言いたいことがあります。

視聴者が犯罪を起こした理由を知りたがるのは村瀬さんのおっしゃるとおりだと思います。人は得体の知れないもの、例えば暗闇を恐れ、そこにライトを当てようとするでしょう。中に潜んでいるものが自分には理解できないものだったとしても、暗闇のまま放置しておくよりはいい…そういう心情はわかります。

それはされおき、局ごとに容疑者の扱いを変えれば良いというのは、推定無罪を無視しているという点で原状と何も変わらないと思います。容疑者の扱いを変える…例えばA社は有罪だと報道し、B社は無罪だと報道する…いずれにしても憶測や推測で、確たる証拠もなしに人のことを決めているわけでしょう。これはマスコミや見ているほうが有罪派・無罪派・中間派などにわかれて言い争うというだけで、推定無罪が浸透するどころか、ますます勝手なことを言って良いという流れになってしまう危険があります。なので私は賛成しかねます。やはり予断や偏見を与えるような報道は極力するべきではないと考えます。

私も局ごとに事件の取り扱いを変えたほうが良いと思うこともありますが、それは一般論に限るべきでしょう。今回の事件では被害者は付近の土地勘のある者の可能性が高いと最初から言われていましたが、こういうものまで問題のある報道と言うつもりはありません。

難しい報道の仕方

みなさん、コメントありがとうございます。

みなさんが書かれた様に、事件の真相・真理を知りたいと思うのは人間の性だと思います。私もここでは報道に対し批判的な要素を書いておきながら、本屋に行って週刊誌をめくってしまう事もしばしばです。
しかし、それは人間性なのだから仕方がないと諦めてしまうのは勿体無いと思います。というより、諦めてはいけないと思います。

だからと言って、視聴者に沢山の情報を与えれば良いというものではないと思います。なぜなら大多数の視聴者は、まだ考える力が弱いからです。今この場で論議している私たちは、報道についてのいろいろな事例や考え方を知っています。私も4年間大学に通って初めて知った事もたくさんあります。しかし視聴者には、私たちが持っている知識や”疑問に思う”という行動が身についていないと思います。そんな状態でマスコミが視聴者に考えを促すのはとても無意味だと思います。

今日の朝日新聞の朝刊で、今回の事件の報道規制について書かれていましたが、物足りないものです。イギリスの裁判制度も読まさせていただき、とても素晴しいものだと思いました。しかし、法で縛る前に私たち自身で何とかするべきだと思います。
まずは客観報道について考える。そしたら、元警察だの元検事だのは要らなくなると思います。テレビで毎日のように出てる元警察官を見ていると、「あぁ、またか」と言いたくなります。

報道番組の演出

重複する記述があるかもしれません、すいません。

視聴者は事件にドラマチックな展開を期待しているように思います。ドラマチックなんていうと言葉は綺麗ですが、とても残酷な考え方です。
事件が起こると森さんの言うようにやりすぎなくらいの報道が始まります。事件の内容は勿論、被害者加害者の生い立ちに、普段の生活や性格、現場の証言にと、親切にあれこれ情報を与えてくれます。そうすると、視聴者はそれらの情報を基に、まるで刑事ドラマの謎を解くように、事件についてあれやこれやと推測を立てる。マスコミもそれを煽るように、もっともらしい、そしてより劇的な展開を予想しては皆でそれを楽しんでいる。
もちろん、”楽しんでいる”なんて感覚を自覚している人はすごく少ないでしょう。だけど、ほとんどの人が犯人が逮捕され、事件が一応ひと段落するとその事件のことなど忘れて、また別の事件についてあれこれ議論している。
これって、事件をゲームかドラマかそんな風に見ているからじゃないでしょうか。結末が見えればそれで満足で、時には真実がどうかよりも、面白い展開が優先され報道されている。最近のニュースを見ているとどうしてもそんな印象を受けてしまいます。

報道のあるべき姿なんてことは私には語れませんが、今の報道番組の演出は事実をありのまま伝えるどころか、捻じ曲げる一歩手前まできていると思います。これは、報道の問題でもあるけど視聴者の側にも問題ありますよね。この悪循環、断ち切れないものなのでしょうか・・・

現実、真実、主観、客観。

 ニュース報道は信じられる情報だと思っていました。すばやさと、映像と音で伝える分かりやすさがそう思った根拠です。

 しかし最近、「ニュース報道は真実そのものである」という強引な説得のようなものを感じます。いくら情報の発信者が真実だと主張しても、その発信者の現実の中だけの真実かもしれません。例えば、ある報道番組が流すニュースは、「その番組内だけでの現実」であって真実ではありません。きっと、そのニュースを流した人間は誰一人として真実を知らないでしょう。しかし報道はそれを認めようとはしない。そんな事をしたら、報道番組の存在の意味すらなくなってしまいます。どんな小さな情報でも血眼になって集め、それを一つの真実とまとめ放送しています。これは客観というより主観に近いような気がします。そして視聴者は、その情報が真実であると誤って認識してしまう。

 山本さんも仰ったように、最近どうもニュースがドラマ仕立てに放送されているように見えてしまいます。ニュース報道の客観性はどこまで信じられるのか。しかし、視聴者自身がそれを求めてないようにも思えます。視聴者が欲しているのは“他人の情報、不幸、ゴシップ”そぅ思えてしまうのです。一つのニュース報道に人々が関心を持つのはおよそ1ヶ月程度。しかし、現実問題、その事件や事故は数ヶ月で解決するものばかりではありません。下手したら解決に何十年もかかってしまいます。けれど視聴者は、ドラマを見てるような感覚で犯人を推測したり、周りの人間と情報を交換し合ったりしています。

 私たちが向き合っているのは、ドラマのような誰かが演じる虚構の世界ではなく、実際に人間の生死が左右されている現実の世界なのだという事を忘れてはいけない、と改めて思いました。

報道に良面はちゃんとあるのに...

部外者01さん、コメントありがとうございます。
推定無罪は容疑者の人権を考える上で非常に重要ですね。
改めて考えさせられました。

マスコミが犯人探しの推理ゲームまがいをやるのは論外だと思います。視聴者がそれに乗って楽しむのもおかしい。

ただ、マスコミが報道・分析をして、初めて見えてくることもあると思うのです。
専門家を招いての論議や追跡調査で、犯人すら知り得ない事件の背景が浮かび上がる事だってある。
それが、視聴者たちの考えるきっかけにもなるでしょうし。

マスコミの一番の問題は、
事件の全容が見える前から勝手に動き出すこと
なのだと感じました。

報道の良い面

村瀬君のコメントを読んで、「報道の良い面って考えた事があったかな?」と、ふと思いました。
確かに悪い面を議論し続けていますが、それにはもっと良い面を認めることも必要なのでしょう。ただ、じゃあ、報道って一体何?と言われると困ってしまいますが・・・。

なぜ報道したいのか?と問われたら、「真実が知りたいから」とマスコミの人は言うでしょう。それならば、真実を知りたい=客観的報道とは結びつかない。しかし報道には視聴者を一方だけから物事を見せてはいけない。とても難しいところだと思います。

つくられた報道?

私達は日頃からテレビなどのニュース報道から得た情報で世の中の動きを把握し、その情報から物事を判断し自ら世界観を創り上げているように思います。多分私もその一人です。

この情報が全てではない、誰もが頭では分かっていても
それらの情報をもとに事件について意識し考えるのでは
ないでしょうか。

マスコミの一番の問題は、
事件の全容が見える前から勝手に動き出すこと
なのだと感じました。
>村瀬さんの意見に同感です。

今日、「朝日新潮」のこの事件についての見出しが
「犯人は分かっている!」でした。
あまりに強烈で驚いてしまいました。
この週刊誌は6月1日号であり、まだ真相が公になる
前です。これでは犯人を名指ししているようなものですよね。

まさにマスコミが先走って情報を創り出しているように
感じてしまいました。ただ目を引く為に、まだ確証を得た訳で
もない、はっきりしない事をあたかも真実のように
書いてしまうのは、当事者の気持ちを考えると
受け入れ難い行為だと思います。

このような勝手な報道にも左右されない、嘘か誠か
識別するものの見方を培わなければならない、と思いました。

度を越えた報道?

部外者01さん>予断や偏見を与えるような報道は極力するべきではないと考えます。


高谷さん>視聴者が欲しているのは“他人の情報、不幸、ゴシップ”そぅ思えてしまうのです。

私もそう思います。最近に限らないかもしれませんが、報道は、おおげさというか、例えばこの秋田小学1年殺人事件のように、容疑者に偏見を持って報道されているのではないかと思います。容疑者の育ってきた環境、人間関係など紹介されますが、この中には事件とは関係ないものがたくさんあると思います。
容疑者になったことで極悪人、報道番組では容疑者に対して都合の悪いことばかりを報道しているような気がします。



                      高畑 匠子

恐らく・・・

「犯罪者には何をやっても許される」的な考えが、
マスコミにあるのだと思います。
これは視聴者も少なからず抱いている考えではないでしょうか。ゴシップの対象として好都合なわけで。

>報道番組では容疑者に対して都合の悪いことばかりを
>報道しているような気がします。
現実では、疑いを向けられた人物が本当にクロであるケースのほうが多いから、
とりあえずそんな有様でも罷り通っているのでしょうね。

少し本題とはずれますが

この事件を扱う番組や週刊誌で、容疑者のことを「鈴香容疑者」と呼んでいることに酷く違和感を覚えるのは私だけでしょうか?
4月に亡くなった容疑者の娘・彩香さんと区別をつける意味で苗字を使わないのであれば納得できるのですが、どうもそれだけではない気がしてしまうのです。
通学中、電車の中吊り広告(週刊文春)を見て驚きました。
http://www.zassi.net/bin/PosDetFrame.asp?ID=135
この売れっ子アイドルのような名前の載せ方はいかがなものだろう、と。
容疑者である彼女を特定するためであれば「畠山容疑者」で十分だし、あえて「鈴香」に小さな字で「容疑者」と書くことにどのような意味があるのでしょう?
わかる気もするのですが、明確な意図が知りたいです。
みなさんどう思いますか?

うわ・・・

>電車の中吊り広告(週刊文春)
今日、実物を見ました。
見出しがどこまで本当なのかは存じませんが、
強烈に人間性を貶してますね。
もはや、叩く事に重点を置いている感があります。

「容疑者」という小さな字は、
報道する側が 自分たちで持ち出している免罪符のようなものでしょう。
これさえ付けておけば、どんな酷い事を書いてもとりあえず大丈夫、みたいな・・・

中吊りの恐さ

中吊り広告の表現は、いつ見ても大げさですよね。
山口乃絵さんが書いていた「犯人は分かっている!」もとても強烈ですが、荒川さんが載せたこの中吊り広告もとてもインパクトが有りますね。
しかも中身に関しては、容疑者の生い立ちや噂話だらけで、事件と何の関係が有るのか?と言いたくなってしまいます。

小さく「容疑者」と書いてあるのもそうですが、「○○か?」の「か?」も異常に小さい時がありますよね。オマケ感覚で書いてるのでしょうか・・・。

動機が知りたい欲望を抑える

「動機を知りたいのは人間のサガ」はその通りでしょう。しかし,不確かな供述などをもとに動機を推測して簡単に結論づけて,「あ~だからなんだ」と納得して,一つの事件に対する解釈が完結というのはもっと悲しいですね。「動機なき快楽殺人です」と説明されても,「怖いよね~」で終わりですかね?

動機を詮索し始めるよりも,警察の捜査は適切か・妥当かを検証するメディアであってほしいですけど。

9日の『朝ズバッ!』で,現地取材したリポーターが「『近所の人の話』の源をたどっていくと,ある特定の人物にいきつく」と語っていました。いわゆる「スピーカー」(噂の拡散者)ですね。みのもんたは慌てて話を変えていましたが,事件報道の現場ってそういうものでしょう。

週刊誌を規制しなくてもいいとはいいませんが,発行部数からみても,社会的影響力はテレビ・新聞に比べると相対的に低いですね。「週刊誌の中吊り」を見たくても見ることができない,という人が実は多数派ですし(大都市圏居住者の感覚だけで物事をとらえてはいけないということ)。

軽い分析はNG

>不確かな供述などをもとに動機を推測して簡単に結論づけて(中略)
>一つの事件に対する解釈が完結というのはもっと悲しいですね。
もとにするものが確かであれば良いでしょう。
もしそこまで曖昧なデータを基にしなければならないなら、それは残念ながら分析にまで至れないケースだと考えます。
また仮に核心まで迫れたとしても、解釈を「完結」できるほどの成果には至っていないと思います(至ることなど無いでしょう)。

しかし、どうせ分からないから詮索など無意味だ とするのは暴論であって、可能な限りの分析を行う事は必須かと。
それは「納得・安心」する為ではなく、類似事件の発生をすこしでも防ぐ為の「学習」目的です。学習の末には、あるいは幾らかの安心も芽生えるでしょう。僕が理想としているのはこの辺りです。

マスコミこそ、視聴者にとっての教師(質問者)になれる存在だと僕は思っています。なかなか良い教師が居ないのが困るところですが、反面教師という言葉もありますしね。

>動機を詮索し始めるよりも,警察の捜査は適切か・妥当かを検証するメディアであってほしいですけど。
これは事件の分析よりも、警察捜査の是非を調べるほうが重要、という趣旨にとってよろしいでしょうか。
確かに正論ですね。そこがスタート点だと思います。

深い分析はOK

「動機の解明」が社会にとって有用であり必要不可欠だということは疑いの余地がありません。しかし,それを警察が垂れ流す断片的な供述,近所の人・知人の不確かな証言などを頼りに,犯罪心理学者だの元・刑事だの小説家だのが類推することで,「動機がわかったつもり」になることでその有用性は充足されるのかということです。

もちろん裁判になっても(供述が翻えることも珍しくないですが),公判に出てくるのは「裁判に勝つための事実に基づくストーリー」にすぎません。結局は,そういう長期戦を粘り強く踏ん張り,独自に取材活動を積み重ねる調査報道の結果として,「どうもこれが動機なのではないか」と導いてはじめて社会の財産になるのではないかと。例えば,林真須美容疑者の毒入りカレー事件にかんしては,「動機」が私にはいまだによくわかりません。

もちろん,これは理想論だとわかっています。「なぜ?」「どうして?」を早く知って安心したいのが多くの人々のニーズだと思います。テレビの報道もそれに答えているだけ,なのでしょう。

だったら,テレビも新聞も,雑誌メディアやノンフィクション作家などに「長期戦」をまかせず,長期間に及ぶ調査報道を手掛けてもらいたいものです。今回の場合だと,秋田のテレビ局,秋田魁新報などローカル・メディアに頑張ってもらいたいです。

静岡では(全国的に関心が薄れた),元静大生の二女性殺害事件(12日に判決),韮山のタリウム高校生(我ながらひどい呼称)などの懸案がありますが,地元メディアの報道姿勢はやはり散発的なものです。

マスコミに期待するのは間違いか...?

>「動機がわかったつもり」になることでその有用性は充足されるのかということです。
・・・されてはいないでしょうね。
半端な分析結果から理解した気になるのは、危険なことであると僕も思います。そして現実にはその程度の分析が多い事も、重々承知しています。

それでも、調べるという心意気だけは失っていけないと思いますね。最も悪いのは放置することだと僕は考えています。結果に満足せず、「調べ続ける」のが正しい姿勢かと。『和歌山 毒入りカレー事件』などまさにその対象でしょう。

>独自に取材活動を積み重ねる調査報道の結果として,
>「どうもこれが動機なのではないか」と導いてはじめて社会の財産になるのではないかと。
同意見です。毎回ここまで調べ上げることが必要ですね。「理想」となってしまうのでしょうが・・・

>テレビも新聞も,雑誌メディアやノンフィクション作家などに
>「長期戦」をまかせず,長期間に及ぶ調査報道を手掛けてもらいたいものです。
全面的に同意させて頂きます。
マスコミは多忙、しかも視聴者のニーズ?に応えるべく旬なニュースを粗探ししたりと、なかなか長期報道には至ってはくれません。僕はそれでも、世間への影響力の面でこのメディアに期待しているのですが・・・

赤尾さん、コメントありがとうございました。
自分の主張を見返すことができ、大変学ばされました。感謝します。

本人すらもわかっていない動機を……

ただ、動機なんて、本人にもわかっていないかもしれない。とくに少年事件では、殺人を犯した者の多くが「夢のようだ」「何をしたのか、よくわからない」「結果的に人を殺めたことは認める。殺すつもりがあったかといえば、たぶんなかったと思う。でも、ハッキリしない」というようなことをいう。家庭裁判所係官など専門家が、長期間本人からじっくり話を聞き、さまざまな手立てをつくして、なお、そういうケースが多い。それが、マスコミごときに、わかると思いますか。

坂本先生へ

”マスコミごとき”とは・・・強烈な表現ですね。
そこまで書いてしまってもよいのですか?
僭越ながら、ちょっと心配になりました。

以下、本題です。
事件というものはひとたび起これば、警察をはじめとして、沢山の専門家の手にかかります。分析は自ずと、ある程度の範囲で行われると考えて良いでしょう。マスコミにはそれらをさらに分析してもらい(つまりは分析の分析です)、
専門家たちの主張を、視聴者に分かり易く伝えて欲しいのです。そこから、広く『学習』が始まってくると考えます。
・・・僕がマスコミに期待している事柄は、分析というより「纏め」と言ったほうが良さそうですね。すみません。
(マスコミだけが気付くようなことも、彼らが纏める上で無くはないと思いますが・・・)

僕がマスコミを買うのは、報道することに特化しているメディアだからでして。ゆえにマスコミが情報操作する事は恐ろしく思います。
僕の一連の意見は、マスコミが暴走していないのが前提なので、甘いかも知れないですね・・。

話は変わりますが、
本人すら分からないことを、他人のほうがかえって分かってしまう。僕はそんな可能性も充分あると思っています。

(何やら話の流れが・・)

あと、ひとつよろしいでしょうか。
僕自身が動機の考察を好む人間であることは否定しませんが、
それは『事件の背景』を構成する上での、一つの大きな軸だからです。

本当に考察したいのは背景のほうで・・・
動機ばかりには執着していません・・・本当です。

法則性

村瀬さんへ

「類似事件の発生をすこしでも防ぐ為の「学習」目的です。」(村瀬さん)
「「動機の解明」が社会にとって有用であり必要不可欠だということは疑いの余地がありません。」(赤尾さん)

この流れはもっともですし、そうなれば良いなとも思います。ただし、それは「類似の事件の背景や動機に法則性がある場合」ですよね?(法則性がなかったら学習にならないので)
今回の事件においてマスコミが流している悪性格は「離婚歴がある」「借金がある」「定職についていない」などらしいですが、じゃあそういった人は近所の子供を殺しやすい傾向にあるのか、ということです。

私の考える限り特別そんなことはないでしょう。「離婚歴があって借金があって定職についていない」日本人の殆どは社会にとって無害だと思います。また、仮に傾向があるのだとしても対象になる人が多すぎて、とても自分たちでどうにかできるものではありません。警察でもどうにもなりません。

これは統合失調症(昔の呼び方では精神分裂病)の患者のごく一部が猟奇的な犯罪を起こすために、患者は皆病院に閉じ込めておけ、という意見がまかり通るのと同じで、母集団の大多数が無害であることを無視した強引な理屈です。もしこのようなやり方が通ってしまうと、たまたま条件に当てはまってしまった人が、なにもしていないのに不当な差別をうけることにならないでしょうか。

つまり、わずかしかないサンプルをもって全体を語ることはできないし危険ということです。今回の殺人事件も例に漏れず、あまり発生しない類のものですから、そこを調べて全体に役立たせよう(学習しよう)というのは難しいと思います。

それでもなお、犯罪の背景を多数の視聴者に知らしめることが必要でしょうか?無用な誤解や恐怖心を与えてしまうだけとも思うのですが…。(もちろんこういったものを研究する機関も必要と考えますが、それが商売人であるマスコミで良いとは思いません。)

---追記---
ちょっと悪性格と背景がごっちゃになってしまったので補足。
仮に背景として「離婚によって精神的に追い詰められていた」とか「昔いじめられていた」などの状況が出てきたとしても、同じことです。犯罪の責任は犯罪者本人のみが背負うべきであって、いかなる理由があろうとも罪は罪です。外部の要因に責任を転嫁するべきではありません。背景として取り上げ、社会の共通的な問題点と主張するのは、逃げ口上を与えているだけでしょう。
それから今のマスコミのやり方は、背景を考えているわけではなく、話をこじつけているだけです(例:ゲーム脳)。結局科学的根拠のない話を背景などとして考えるのはマスコミに踊らされているだけで、社会的に有用でも何でもありません。この点にも注意が必要と思います。

法則性?

コメントありがとうございます。
部外者01さんは、秋田の事件をあまり発生しない類、と表現されましたが、それは何を根拠に判断されたのでしょうか?

僕に言わせれば、畠山容疑者が豪憲君殺害を認めた時点で(捜査がまだ充分で無い現状、全て鵜呑みには出来ませんが)、
『子供をもつ母親が犯した殺人』に分類出来ると思います。まず、稀なケースだとは思いません。

続いて。上記のケースを仮に『母の犯罪』としますが、類似したもの同士で法則性を探す必要はありません。ほぼ無いからです。

ただし、「母の犯罪A」の背景をマスコミがしっかりと伝えていれば、今後起こるかもしれない「母の犯罪B~」の抑止に繋がると思うのです。犯罪Aから、視聴者(特に全国の母親たち)が学んだ結果として。
事件AとB以下の類似性は希薄であって構わないわけです。

今回の事件を、特異な母親が起こした例外的なものとして扱うのはよくない。何を学ぶべきかというと、特に『背景』(動機等含む)でしょう。他の母親にとっても共通の何かが隠されているかもしれないですし。これについての「深い分析」は是非行って欲しいですね。

このように犯罪の背景まで(至れると良いですが)報道された末、今回の事件なら・・・離婚歴のある母親達に差別が向かうでしょうか? そうはならないと思います。類似した性格をもつ人物が必ずしも事件を起こすわけではないと、人々は分かっていますから、そこまでの大事にはならないでしょう。

マスコミが研究をする機関として相応しいかどうかは、正直分からなくなってきました・・・。


---追記に対して--- 僕も追記します。
>社会の共通的な問題点と主張するのは、逃げ口上を与えているだけでしょう。
だけと、限定する意味がちょっと分かりかねます。
事件を知った視聴者がなにか発見する良い機会だと思います。容疑者自身は、よくて反面教師にしかなれないでしょうが。

そして最終的には、またもマスコミを信じるかどうかの話になりますか。信用に足ると思われる部分だけ、上手く抜き取るしかないですね。視聴者は彼らと脳内で議論していくしかない。厄介ではありますが、現状では必須でしょう。

法則性2

希なケースの根拠は、私が高畑さんの最初の記事につけたコメントにあるとおり、日本において凶悪犯罪が減っている、というところにあります。殺人自体が日本では珍しい部類の犯罪と考えています。ここに疑問があるなら別ですが…。

"事件AとB以下の類似性は希薄であっても、「母の犯罪A」の背景をマスコミがしっかりと伝えていれば、今後起こるかもしれない「母の犯罪B~」の抑止に繋がると思うのです。犯罪Aから、視聴者(特に全国の母親たち)が学んだ結果として。"(ちょっと文をつなぎ変えました)

これは私の考え方とは全然違うところです。背景を考えさせたとしても、類似性・法則性がなく、ランダムに起こるものに対して抑止効果があるとは思えません。
それしか選択肢がないのであれば話は別ですが、幸いなことに日本は法治国家であり、罪を犯せば罰せられることになっています。もしも人が犯罪を思いとどまろうとすることがあるとすれば、犯罪を起こすと刑務所に入れられるなど、割に合わないと感じたときでしょう。今回の件にあてはめると「母親の犯罪」などと分類して考察するより「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処される」とアピールした方が犯罪抑止として共通の効力を持ち、有効だと思うわけです。これを一般予防効果といいます。
(ただし一般予防効果に疑問を唱える説があることも記しておきます)

"今回の事件を、特異な母親が起こした例外的なものとして扱うのはよくない。"

そんなふうには思っていませんよ。私はむしろ、犯罪はごく普通の人が(日本においてはきわめて低い確率で)起こしてしまうものと考えています(暴力団などを除く)。ですから、そこをいくら掘り下げたとしても一般的な答えしか返ってこないでしょう。
特異な存在だから例外を起こすわけではなく、多くの通常の中から少数の例外が発生してしまうのだとしたら、殆ど無限に存在する要因の中から共通点を探り当てて抑止に繋げるのはまず不可能と言っているのです。これが「犯罪を100%防ぐことが出来ない」理由であり「犯罪の責任は犯罪者本人のみが背負うべき」の根拠です。
もっとも研究することは必要だと思いますが、商売人であるマスコミに任せたとしたら、予算などの制約上いつまでも考えているわけにはいかず、結論を急ぐことになってしまうでしょう。そして、結論を焦って短絡的な説明に走ると、科学的な根拠もないのに何かを悪者扱いすることになってしまうのです。この点に関しては、村瀬さんのおっしゃるとおり、深い分析をして根拠が証明されれば、やっても構わないし、やるべきですが、それはマスコミの特性上かなり難しいと思うのです。

>社会の共通的な問題点と主張するのは、逃げ口上を与えているだけでしょう。
これは今書いた話と繋がっていて、「理由の有無に関わらず罪を犯せば罰せられる」で完結したとすれば、背景などを考えても、(あくまで現状ではですが)それはむしろ余計なことであって抑止には役立たないということです。マスコミが適当に刺激的なネタを拾って、根拠も無いのに何者かを攻撃することもありますし。(くどいようですが:ゲーム脳)

と、大体そんなことを感じて「法則性」というコメントをつけました。
ちなみにですが、日本で起こる犯罪にはすべて法則性がないと言っているわけではありませんよ。例えば万引きには法則性があると思います。

部外者01さんへ

コメントありがとうございます。
僕が報道に期待していることは、『一般予防効果』の強化ですね。今回初めてこの言葉を知り、とても勉強になります。

>「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処される」とアピールした方が犯罪抑止として共通の効力を持ち、有効だと思うわけです。
そ、そうかも知れないですね・・・。

表現が直接過ぎるのでそれをオブラートに包み、
学習の体裁も取らねば(視聴者は報道から「教わる」より「考える」べき)と思うので、『母の犯罪』として纏め それを伝えるべし、というのが僕の方針です。
見たくれを重視し、その実効果は薄いかもしれませんけど・・・。
これが、個人的に最善だと思う報道の仕方です。

>そんなふうには思っていませんよ。
失礼致しました。部外者01さんの考えを誤解していたようです。
今回のコメントを拝見しましたところ、ほぼ全面的に同意出来る内容でした。

マスコミが下手にネタを作る事例はよくあります。分析の結果、そんなものが生み出されるばかりなら、確かにやってもしょうがないです。僕は、もう少しはマシな分析結果が出ているはずだと期待していますが・・・。

ところで、僕は日本における殺人事件を珍しいとは思っていません。ただこれは統計的に見た判断ではなく、「ニュースでよく扱われる」という、英単語でいうところの”famous”な事件だからです。
話をお聞きしていて、自分の根拠にこそ問題があると思いました。失礼しました...。

「マスコミごとき」につき

> ”マスコミごとき”とは・・・強烈な表現ですね。
そこまで書いてしまってもよいのですか?

と村瀬一路さんはいう。全然いいんじゃないの。少年事件で、本人から長時間話を聞くことができるのは、家裁専門官や医師などごく限られた人で、彼らは通常マスコミの取材を一切受けない。彼らがわからないといっていることを、村瀬さんはなぜ少年に面会したこともないマスコミ記者がわかると思うわけ?

あるいは話は違うが、坂本サイト「日録メモ風の更新情報」06-10の項では、坂本が6年前から指摘していることを「今日わかった」と書いたメディアを名指しで批判している。「マスコミごとき」という言い方ごときに、何の問題があるんだ?

同じく06-12の項では、(ジーコ・ジャパンは)「0-2とか1-3とかいう情けない試合だけはしないでほしい」と書いて、起こりそうな事態への懸念を事前に表明している。「マスコミごとき」に、その分析力があったと思う? どの新聞テレビが試合前に「1-3で負けそうで心配」といった? こっちは40年前からサッカーをやり、以後今日まで見続けている。たいていのサッカー記者より、見た試合数が多いはず。 

ということで、心配してくれるのはありがたいが、心配無用よ。

マスコミは、「マスコミごときなんていう坂本ってヤツには、二度と話を聞くもんか」ってほどまでは、腐ってない。「マスコミごときとちゃんと書くこいつに、一度会って話を聞いてみるか」という記者は大勢いる。そういう記者しか私は相手にしません。

※最後から二つめの文、「正確に」→「ちゃんと」と後から訂正。

動機や背景を追求する意義

部外者01さん、いつもご丁寧なコメントで学生たちをお導きくださり、ありがとうございます。

ところで、部外者01さんがおっしゃる「類似性・法則性がなければ、抑止効果がないから、動機や背景を考えてもあまり意味がない」というのは、本当ですか?

ふつうは、「ある事件のその他事件との類似性・法則性の有無は、動機や背景を分析して初めてわかる」から、「動機や背景は必ず考えなければならない」のではありませんか?

こういう例はどうでしょう。

●警察発表によれば、東京で少年Aが少年Bをナイフで刺殺した。また、大阪で少年Cが少年Dをカッターで刺殺した。

●ある識者(たとえば元刑事)は次のように語った。「両者は類似の事件であり、少年Aも少年Cも同じような非行少年だ。このような少年の凶悪犯罪が立て続くのは問題である。少年の持ち物検査をしない学校が悪い」

●東京のあるマスコミが調べたら、少年Aは幼稚園時代から少年Bによる陰湿ないじめを受けていたことが判明した。大阪のあるマスコミが調べたら、少年Cは繁華街でたまたま出会った少年Dの羽振りがよいのでそのカネを奪おうと思ったと判明した。

●別の識者は次のように語った。「東京の事件は他のいじめ事件と類似しており、大阪の事件はそこらによくある強盗事件と類似している。東京の事件の教訓は、陰湿ないじめはやめよう、幼稚園でも小学校でも、それを放置するのはやめようということだ。大阪の事件の教訓は、繁華街でたまたま会った見知らぬ少年には気をつけようということである」

以上のようなことは、十分起こりえますね。ならば──

警察発表を鵜呑みにせず、動機や背景をキリキリ探っていくメディアがあっても、全然かまわないのでは? (「離婚し、借金があり、無職だから」というようなアホな動機・背景説明は返って有害というご意見には、まったく賛成ですが)

Aのような少年をなるべくなくすのに、「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処される」とアピールするのと、幼稚園、小学校、中学校でいじめを見逃さずそのつどオープンにみんなで話し合うのと、どちらが有効だと思われますか? (もちろん両方やればよいですが、私は、後者のほうがより有効だと思いますが)

坂本先生へ

僕ごときが心配することじゃなかったみたいです。
色々と感服させられました!

>家裁専門官や医師などごく限られた人で、彼らは通常マスコミの取材を一切受けない。
あと、この話は初めて知りました・・・。

取材したくても出来ない、のでしょうか。

こういう本を読むと吉

小林道雄の著作

http://www2.odn.ne.jp/henkutsu/books.html#taika

http://www2.odn.ne.jp/henkutsu/books.html#shinpan

「つながってなくちゃなんない症候群」という子どもの危機
〈インタビュー〉 小林道雄さんに聞く (雑誌『教育』2004年8月号)

http://www2.odn.ne.jp/henkutsu/sashi.html#ikoi

家庭裁判所調査官、保護監察官、元少年鑑別所所長、元少年院院長、家庭裁判所で少年事件を担当した経験をもつ裁判官などに、取材ができないわけじゃない。ただ、簡単ではないよ。ワイドショーの連中が、会ってくれる人を見つけ出すだけでも一苦労。何を聞けばよいか、事件を調べ、参考文献を何冊も読んで勉強するだけでも大変。で、何度も通い、10時間インタビューしても番組で使えるかどうかわからない。元刑事や元検事をスタジオに呼んで、くだらん推理をしゃべらせるほうが、ラクだろう?

あと、医師や弁護士もそうだが、通常彼らには守秘義務がある。ずいぶん通って、仲良しになり、酒も飲んだりして、ようやく古い昔話をしてくれたりする。その人が「今度はこういう人に会ってみたら。××事件を担当した人だ」かなんか、教えてくれたりするわけ。いきなり訪ねても、取材拒否がふつうさ。

Re:動機や背景を追求する意義

坂本先生、ご意見ありがとうございます

"ふつうは、「ある事件のその他事件との類似性・法則性の有無は、動機や背景を分析して初めてわかる」から、「動機や背景は必ず考えなければならない」のではありませんか?"

これは順序の話でしょうか。そうであるならば坂本先生のおっしゃるとおりです。私のミスでした、申し訳ありません。

ただ、複数の事件の間に類似性や法則性が無かったと証明されれば、それは防止策を取りようがないことを意味する、という点はご理解を頂けたと思っています。

これと、凶悪犯罪は増えていない(むしろ減少している)という話を繋げると、もう既にプライバシーを侵害してまで動機や背景を調べても良い、といった状況にはないと言えると思います。ですので、警察発表を鵜呑みにせずに動機や背景をキリキリ探っていくメディアの存在は否定しませんが、プライバシーの点だけは気をつけてやってもらいたいと考えています。

坂本先生へ

度々ありがとうございます。よく分かりました。
書籍まで紹介して下さって、とても参考になります。

『退化する子どもたち』が特に自分の興味をひく内容だったので、今度本屋で探してみます。

むろんプライバシー侵害は困るけど……

部外者01さん、受講生が私を「先生」付けで呼ぶのはともかくも、私は部外者01さんの先生ではないので、以後「さん」付けにてお願いします。

> もう既にプライバシーを侵害してまで動機や背景を調べても良い、といった状況にはないと言えると思います。

むろんプライバシー侵害は困ります。しかし、たとえば神戸の「酒鬼薔薇」事件のとき、うちは少年Aとあまり歳が違わない子どもが二人いるので、動機も背景も非常に気になりましたよ。

あれは相当程度異常な事件であり、うちの子どもはああはならないと確信はしていても、少年Aの両親には「どうやったらああいう子どもが育つとあなた方は思うか」と聞きたいと思った。Aが殺した子どもは帰らないが、Aを産み育てた親は、せめてそのことを正直に語るのが、死者への供養であり、社会に対する責任ではないかとね。

類似性も法則性もない極端で異常な事件でも、「親としてはこれこれがまずかったかもしれない」という情報が出れば、同じくらいの子を持つほかの親は、「なるほど。そのようなことは、うちでもやらないようにしよう」と反省できる。それが同様の事件の防止にまったく役立たないとは断言できないし、役立たないとしても何らかの参考にはなるでしょう。

たとえば、親がヒドい言葉でニートを繰り返し怒鳴り飛ばしていたところ、ブチ切れた子どもに殴り殺されたとすれば、いい年した大人を家に置いておくのがマズイかも、怒鳴り方も注意しなければ、などと考えるきっかけになる。それだけでも、事件の背景を報道する価値はあると思います。

むろん、いまのワイドショーがやっているような、くだらない推理ごっこや、あざとい映像争奪戦や、興味本位のプライバシー掘り下げが、必要であるとは思えませんけれどもね。

Re:むろんプライバシー侵害は困るけど……

坂本さん
(このブログの管理者・担当講師であるということを区別したかったので「先生」としていましたが、今後は「さん」にいたします。)

"「なるほど。そのようなことは、うちでもやらないようにしよう」と反省できる。それが同様の事件の防止にまったく役立たないとは断言できないし、役立たないとしても何らかの参考にはなるでしょう。"

これはどうでしょう…「役に立つ」「役に立たない」の他に「悪化する」という可能性もあるのでは。あくまでこの例ではですが、参考にして良いかどうかの確率は半々ではないですか?母親としてしたことは、もちろん酒鬼薔薇の人格形成に影響したでしょう。しかし、母親がまずかったと思っていることがまずい結果に繋がったかどうかはわからないのです。むしろ逆に、母親が「これはまずかった」と語ったことが、一時的にでも酒鬼薔薇が凶行に及ぶのを防いでいたかもしれない。そうすると、母親に対して行った取材は、全国の親にちょっとした安心感を与えるかもしれませんが、同時に間違った情報を与え、第二の「酒鬼薔薇」を作るきっかけを与えてしまうかもしれないと、こう思うわけです。なので、科学的に因果関係が証明されていないことを参考にさせようとするのは危険でもあると考えます。

だからといって母親を取材してそれを報道するなと言っているのではありませんよ。正直に語るのが、死者への供養であり、社会に対する責任だという意見には賛成です。
また前回の少年Aに対するいじめの話では、いじめをオープンに話し合おうという結論に至るのであればそれは良いことでしょう。いじめはそれ自体問題のあることですし。

それからちょっと話はそれますが、坂本さんは以前ご自身のサイトで次のようにおっしゃっていました。

"ポル・ポトの大虐殺は長く世界から無視されていた。仮に、当時その状況を何とか世界に伝えたいと考えた誰かが、虐殺の現場を撮影しようと何度も試みたが失敗し、仕方なく協力者が穴に埋められている映像をやらせで撮影して、そのビデオを命懸けで国外に持ち出したとする。私はこれは「やらせ」だからダメだとは断罪しません。そのビデオを見て各国の報道や政府が騒ぎ出し、ポル・ポト政権に圧力をかけ、100万人死ぬところ80万人ですんだとすれば、20万人の命を救ったのだから、それでよい。"

これ、結果的にポル・ポト政権が倒れるなどの効果で、死ぬはずだった20万人が救われたのなら、私も何も文句はありません。しかし、やらせだったことが早々に発覚し、本当は虐殺が行われているのに、世界が「なんだ行われていないんだ。抵抗勢力が負け惜しみでやらせを作っただけね」と誤認識してしまったら…?ポル・ポト政権はさらに長続きし、100万人ですんだところが120万人殺されてしまったかもしれない。そうしたら、この余分に殺された20万人に対して、報道はどう責任を負うのですか?あまりに危険な賭けではないでしょうか。

…とこのように、一方において危険な可能性の残るものを、良い面もあるとして報道するのは、ちょっと期待のし過ぎではないのかと思います。

半々なら取材し報道すれば

> 参考にして良いかどうかの確率は半々ではないですか?

半々なら取材し報道すればよい、というのが私の考えです。いいのか悪いのか、なんかわかんないねえというものは、報道して、みんなであれこれ考えればいい。その報道をやってもやらなくても同じなら、報道しないよりしたほうがよいと。

ハッキリこの報道は社会を、人びとを、人心を悪くすると明らかなもの以外は、流せばよい。効果がわからないものを禁止する理由は、ちょっと思いつきません。

ポル・ポトの大虐殺の仮想例は、「やらせ」はダメと教科書みたいなことをいっていてもクソの役にも立たない場合がありうる、という意味で書いたものです。

50万100万という人びとが殺されていくときには、「報道のルールも責任もへったくれもない」ので、抵抗勢力は何をやったっていい。ジャーナリストがポル・ポトの暗殺を謀ろうが、全然よろしいんじゃないですか。その暗殺に失敗して、無関係の者が100人1000人殺されたって、そんなのは結果論。そんな危険な賭けはするな、黙って殺されていろというつもりは、私は全然ありません。

というか、まともな報道が成立しておらず、ジャーナリストが虐殺に荷担するか、虐殺の被害者になるかという社会・時代の話をしても、日本の報道がどうすべきかを考える手がかりにはならないのでは。

半々なら

半々なら私は積極的に報道して良いとまではいえないと思います。話を元に戻しますが、私のスタンスは「長期的に見て日本では凶悪犯罪が減っている」です。減っているということは、社会的(背景)に何らかの問題(要因)があったとしてもそれもまた改善されつつあるということです(報道のおかげだと言われると元も子もありませんが)。
もちろん、いつの社会にも常に何かしらの問題はあるでしょう。そういった意味で、報道し人に考えさせることは必要と思います。しかし酒鬼薔薇の母親の例のように、報道の良い面「親の気休め」、悪い面「無根拠」であるとしたら、私にはどうも賛成しかねます。「気休め」なのは犯罪者が発生しない世の中などありえないと考えているからです。そしてプライバシーの問題もあります。犯罪者が発生しない社会にはならないが、現在減少中であるならば、プライバシーを侵してまで報道する必要はないと。この点はちょっと譲れません。
これは個人のバランス感覚でしょうか。私自身が望んでいないのと、今までのやり方が「~~~は良くない」など短絡的な説明に走る傾向にあったので、「はっきりしたこと以外は言うな」と感じているのかもしれません。

ポル・ポトの話を引き合いに出したのは、私がもし余分に殺された中の一人だったら「あいつはなんと余計な真似をしやがったのだ」と思うということです。そこまで報道に期待はしていないよ、と。それと、カンボジアの中で暗殺を企てるならばそれは構いませんが、映像を持ち出して見せる相手の国は「まとも」なわけですよね。ということは、見せる相手側の国のやり方(基本的にやらせはNG)に沿っていなければ、効果は薄いのではないかと思ったのです。
ただ、今回の問題には適した例では無かったですね。失礼しました。

プライバシー、そのほか

「長期的に見て日本では凶悪犯罪が減っている」(むろん私もそう考えています)なら、社会はだいたいいままでのようなことでいいじゃないか、ということになりますね。

そのような社会をもたらす方向で、たとえばテレビが大きくプラスに作用していることは疑いありません。報道も同様に、プラスに働いていることも疑い入れないと私は考えています。

ただ、全体としては減少している、さまざまな種類の犯罪の「質」が、それぞれ大きく変わってきたことも確か。社会はつねに変化しており、例を挙げればニートとかフリーターと呼ばれる人びと(それに相当する人びとのグループ)は明らかに昔より格段に増えている。そのことに応じて、昔は少なかったその一群に特有の犯罪なり問題が生まれていることは明らかです(ニートがみんな悪いとは言いませんよ)。で、それについて、研究者が人知れず研究してもよいが、マスコミが節度を持って報じてもよいでしょう。

部外者01さんは、どうも物事──たとえばテレビ・新聞・報道などに「正しい機能」を求めすぎておられるように思うのですが、どうでしょう。どんな機能を果たしているかよくわからないが、そのものが世の中にあっても、とくに邪魔とか不都合とかいうことがなければ、別にいいんじゃないですかね。

それから、プライバシーの尊重・保護の問題ですが、プライバシーの権利のはじまりは「一人でいさせてくれ権」「ほっといてくれ権」で、、今日では私生活にみだりに立ち入られない権利は基本的人権の一つとも見なされている。

しかし、殺人を犯して捕まった人物は、裁判所でプライバシーが徹底的に曝かれてしまうわけですね。国家の制度として、裁判は公開のものと定められており、誰でも自由に裁判を傍聴でき、犯罪者のプライバシー情報に接することができる。

つまり、プライバシーの権利は、公衆の正当な関心の対象 (公的存在)だったり、公共の利害・秩序(公的利益)に直接関係する場合などには合理的な範囲内で制約を受けて当然だ、と考えられています。裁判の公開も公的利益に適うとされているから、犯罪者のプライバシーは曝かれても仕方がないと。

この1週間ほど、秋田小1殺人の容疑者の女の自宅内部は、何千万という人びとの目にさらされ、プライバシー曝かれまくりなわけですが、これも視聴者大衆の正当な関心の対象だから、一応OKなわけです。

しかし私は、本当にくだらない報道が多いと思いますし、容疑者の女が裁判を起こしたら負けるだろうと思われる名誉毀損その他に当たりそうな発言を何度も見ました。そういうものは、視聴者が局に電話してやめさせる、私たちが批判する、制作者の教育を徹底する、女が裁判を起こすなど、さまざまなアプローチで減らしていく必要があると思います。

しかし、個別に問題のものを間引くのではなくて、全体をプライバシーの問題があるからやめちまえというのは、報道全体を萎縮させるマイナスのほうが大きいから、やめたほうがよいと思っています。

なるほど

大体理解しました

"部外者01さんは、どうも物事──たとえばテレビ・新聞・報道などに「正しい機能」を求めすぎておられるように思うのですが、どうでしょう。"

そうかもしれません。

"プライバシーの権利は、公衆の正当な関心の対象 (公的存在)だったり、公共の利害・秩序(公的利益)に直接関係する場合などには合理的な範囲内で制約を受けて当然だ、と考えられています。"

公衆の正当な関心の対象と言われるとそれもそうではないかと思いました。私個人としてはそこのバランス的にまだ納得できないのですが(申し訳ない)、大勢が望んでいるのなら仕方がないというのもわかってきました。(---追記---ただ、大勢は自分にそれが降りかかってきたときのことを想定していないのでは、とも感じています)

"個別に問題のものを間引くのではなくて、全体をプライバシーの問題があるからやめちまえというのは、報道全体を萎縮させるマイナスのほうが大きいから、やめたほうがよいと思っています。"

ここは納得しました。大きな功の面を潰してしまうのは得策ではありませんね。問題があれば個別に対応していくことで十分改善可能だと思いました。

いやはや何度もお相手していただきありがとうございました。
性懲りも無くまた出没すると思いますので、今後ともよろしくお願いします。

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日本大学藝術学部放送学科

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●ブログ開設は2006年ですが、1999年からマスコミ演習、マスコミII、放送特殊研究Vといった授業を担当しており、2005年以前のレジュメなど古いものも置いてあります。(坂本 衛)
 

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