テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

開設:2006-05-25 (通年 4単位 3年以上 選択 江古田校舎 放送学科専門科目)

日本大学藝術学部放送学科「放送特殊研究V」(担当講師/坂本 衛)のブログ。2017年度のテーマは「放送・報道における日本語表現の研究」です。

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地域とテレビ 2011-10-28

●地域とテレビ

●日本のテレビ(地上放送)は、基本的に地域ごとのテレビ(ローカルテレビ)である。

・放送免許が地域(全国32のテレビ放送エリア)ごとになっている。

・「関東広域圏」……茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県を合わせた全体。
・「中京広域圏」……岐阜県、愛知県、三重県を合わせた全体。
・「近畿広域圏」……滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県を合わせた全体。
・以上三大広域圏以外に、北海道、福岡県、「岡山県と香川県」、岩手県、宮城県、山形県、福島県、新潟県、石川県、長野県、静岡県、広島県、愛媛県、長崎県、熊本県、鹿児島県、青森県、秋田県、富山県、山口県、高知県、大分県、沖縄県、「鳥取県と島根県」、福井県、山梨県、宮崎県、徳島県、佐賀県(以上が32エリア)。

●「地域ごとのテレビ」となったわけ

(1)地上放送局の「物理的な」特性
地上テレビに最初に使った電波は「VHF/超短波」(山・建物の裏への回り込みが微弱。電離層で反射されず。到達範囲は主に同一の平野や盆地部など)。この電波の「物理的な」特性によって、地上放送局の性格がある程度決まってしまう。たとえばテレビ電波が小電力で日本全国津々浦々まで届くような性質であれば、今日のかたちのネットワーク系列は存在しなかったはず。

(2)地上放送局の「制度的な」特性
上記(1)の制約に加えて、その他さまざまな諸条件(たとえば地域の視聴者数、地域の資本力、政治・行政機関や既存メディアの集中度など)を勘案して下された免許条件によって「制度的な」制約を受けた。

1952年(昭和27年)7月31日に電波監理委員会が出した「テレビ免許の方針と措置」

<方針>(全文)
(1)テレビ事業は独占事業であってはならない。
(2)テレビ放送局の置局については、さしむき、東京は二局ないし三局、その他の都市においては一局または二局を適当と認め、日本放送協会の放送局と民営の放送局との併存を原則とする。
(3)テレビ放送はさしむき東京において実施するものとし、その成果を中継回線の完成を待って逐次地方としに及ぼすことを適当と考える。

<措置>(ほとんど略)
○日本テレビ放送網=予備免許を与える。

→「非独占」(複数置局)、「地方(の中心都市)単位」、「NHK・民放の併存」、「東京から地方へ」といった基本方針が、その後も大きく変わることなく継続。
→だから、すべての地上放送局は基本的にローカル放送局となった(放送エリアは関東広域、中京広域、近畿広域および都道府県域で、そのように周波数利用計画が立てられ免許が下された)。

●その後の現実(民放テレビの歴史はネットワークの歴史)

1953年 日テレ開局
1954年 ラジオ東京(現TBS)開局
1956年 大阪テレビ(現朝日放送)・中部日本放送開局→上の2局から番組受け
1958年~59年 田中角栄郵政相の一括大量免許(TBS系と日テレ系)
1968年 郵政省「1県1置局」転換、U開放・大量免許→4系列化の進行
1975年 「腸捻転解消」(仲介・仕込みは角栄の首相時代)
1986年 郵政省「4チャンネルプラン」(4局置局政策)
※例外は、基幹地区ネットのテレ東系列、独立U局、クロスネット局など。

●地上放送局(テレビ)の現状

・地上放送局は地域ごとの免許、非独占・マスコミ集中排除といった理想を掲げてスタートしたが、その後の歴史(必ずしも理想通りには行かない現実)の中で、放送局間の極端な格差が生まれた。
・この格差は、単なる「規模の大小」の違いではなく「構造」の違い。キー局と地方局を地上放送局として「一括り」にはできない。地上放送局は、おおむね下の3つ(数字はテキトー)に分かれる。

東京キー局……売上高3000~2000億円以上、社員数1000人以上、自社制作率10割
大阪準キー局……800~600億円、数百人以下、4割
地方局……100~50億円以下、100人~数十人以下、2割以下

●そこに地デジ、衛星、ネットetc.

・カネがかかる地デジ・衛星は東京キー局主導。
 →キー局支配の強化。
・ネットは全国どころか全世界共通。そこで流れる映像に東京も地方も関係ない。
 →テレビがネットで流れれば(いまは流れていない)、地方局は潰れる。
・地方局の衰退(制作力、取材力の衰退)、統合再編が避けられない。
・いま、地域にとってのテレビの存在意議が問われている。

【坂本 衛】
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災害とテレビ(その2) 2011-10-21

●災害とテレビ

【学生D】

・3.11の瞬間は、白金台の実家で録画ビデオを見ていた。4時から聞きたいものがあったのでラジオもつけていた。揺れ始めたのでビデオを一時停止にして3階テラスに避難。天井が落ちてくることがないから、いつも地震のときは妹とそこに逃げることにしていた。立っていられないほどの揺れだった。母と姉は1階にいた。

・揺れが収まるとリビングへ。テレビが吹っ飛んでいた。ビデオの一時停止を解除し、NHKを見始めた。その後、1週間くらいはよくテレビを見ていた。ずっとNHKばかりで民放はほとんど見ていない。地震後4日ほどは、ちゃんと寝れなかった。揺れが怖かったから。

・NHKの災害報道は、遠いところの他人事のように感じた。放射能もどうってことないと思った。頻繁にあった緊急地震速報が、録画した画面と重なってイヤだった。死者・行方不明がだんだん増えていき何千人にもなったが、やはりピンとこないというか、実感がわかなかった。「映画みたい」という感じ。その後、津波シーンなどは、あまり放送されなくなった。

【坂本 衛】

災害とテレビ(その1) 2011-10-14

●災害とテレビ

・つい最近、住む場所によって程度の差はきわめて大きい(というより、被災者とそうでない者の体験はまったく断絶していると思ったほうがよい)ものの、私たちがそれなりにリアルに体験した3.11東日本大震災。この巨大災害とテレビの関係を考えることが、とりもなおさず「災害とテレビ」について検討することになるはず。

・坂本は、テレビの東日本大震災報道はダメであった、1995年1月の阪神・淡路大震災報道と比べても話にならないお粗末なものだったと考えている。これについては繰り返さない。坂本サイトを参照のこと。

・授業では学生諸君の体験を語り、その中でテレビをはじめとするメディアの役割を考えてほしい。

【学生A】
・当日は新宿にいた。屋外ディスプレイ(ヤマダ電機LABIの)で映像を確認し、何が起こったかある程度わかり、ものすごく安心できた。ホッとした。千葉コンビナート火災、NHKの報道など、夜8時頃。
・1セグは映らず、携帯(通話)も不通だったが、地震直後にネットの情報で宮城沖で地震発生とわかった。
・原発の水素爆発は、原発に無知であったので、自分に影響があるのかピンとこず。危機感も覚えなかった。
・原発の専門家がテレビに登場し、さまざまな発言をするのを聞いて、ヤバいかなと。ただし、それぞれ深刻度が違い、本当らしいことを言っているのは少数派と思った。鵜呑みにもしなかった。
・NHKの水野解説委員と山崎記者は信頼できそうに思った。あと広河隆一さんも。自分は『週刊現代』で伊集院静さんの連載をよく読んでいて、伊集院さんを信頼しており、彼が「だれそれは信頼できる」という人は信頼できると思う。そのような信頼性の裏づけのない人のことは、あまり信用していない。

【学生B】
・当日は自宅(東村山)におり、地震直後にテレビをつけた。1時間ほどは局内カメラや定点カメラのものを除けば映像はなく、気象庁の地震情報や電話取材による情報ばかりだったと思う。
・テレビをつけっぱなしにして、ザッピングしていた。そのうち津波映像(NHKヘリの空撮)が流れ、衝撃的だった。
・その後の原発報道は、緊張感をもって見た。テレビとネット(フリージャーナリスト)では論調が違っていた。何が本当か、混乱した。テレビ報道には、「ただちに影響なし」とする東電や政府に対する批判がなかった。
・ネット情報とは、上杉隆さんなどのツイッターやラジオ。避難の遅れを批判していた。結果的にはフリージャーナリストの言っていたことが正しかったと思う。それがわかってきたのは7~8月くらい。

【学生C】
・当日は外(地下)にいた。テレビは見られず、ツイッターでM8.9の大地震発生を知った。津波が何メーターと聞いてもピンとこなかった。自分のこと(たとえば食料や水の確保)でせいいっぱいだった。六本木のコンビニではほとんど売り切れ。
・深夜0時に店(バー)に入ることができ、そこで泊まれることになった。そこでテレビも見た。津波や火災の映像を見て、何が起こったかわかり、落ち着くことができた。
・ふだんからあまりテレビを見ないので、原発事故については上杉隆さんのツイッター、京大助教・小出裕章のホームページなどから情報を得ていた。
・あるフリージャーナリストのところでバイトをしていたが、原発問題で煽る一方で、あんまりいい加減なので、そこは辞めた。現地(福島)の支援者たちとも齟齬をきたしていた。原発事故で「さあ大チャンスだ、波に乗ってやろう」感が、すごくイヤだった。

以上、坂本がざっとメモを取った。誤りがあれば、コメント欄で訂正してくれ。

【坂本 衛】


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日本大学藝術学部放送学科

●このブログは、日本大学藝術学部(日芸またはNGと略)放送学科の授業の一環として設置しています。学外の方も自由に閲覧やコメントしていただけます。学生らの活動を厳しく、ただし温かく見守っていただければ幸いです。学生には「ブログ炎上も授業のうち」といってあります。

●ブログ開設は2006年ですが、1999年からマスコミ演習、マスコミII、放送特殊研究Vといった授業を担当しており、2005年以前のレジュメなど古いものも置いてあります。(坂本 衛)
 

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