テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

開設:2006-05-25 (通年 4単位 3年以上 選択 江古田校舎 放送学科専門科目)

日本大学藝術学部放送学科「放送特殊研究V」(担当講師/坂本 衛)のブログ。2012年度の授業テーマは「[実践!]ネットは放送を殺すか?──ネットを理解することで、放送をより深く知ろう」。

受講生へ(【超重要】成績の件) 2011-01-28

【超重要】成績の件

注:このページの記載内容は、2010-12-04付けの内容と基本的に同じ(受講生は12月に読んでいなければおかしい)。タイトルや投稿日の日付けは2011年1月28日になっているが、サイトアップしたのは1月26日午前10時40分。

●放送特殊研究Vの成績は、授業への出席回数、授業での発言(回数と内容)、当ブログへのコメント(回数と内容)を総合的に判断してつけます。

●2010年11月13日の〈報道活動部門ギャラクシー賞受賞「報道活動」を見て、制作者と語る会〉への出席は成績をつける際の必須条件です(欠席事由を書面にて申し出た者のみ考慮する)。条件を満たす者の氏名は、2010年11月19日付けの記事に記載。そこに名前のない者で、どうしても単位が必要な者は、坂本に連絡しなさい。

●著しく出席回数が少ない者、および当ブログへのコメント回数が少ない者に、そのまま単位を与えてしまうと、まじめにやっている者の不満が大きい。なので、出席・コメント回数が少ない者には、以下の課題を与えます。この課題をクリアした者には、少なくとも単位がつきます。

【課題】……単位を与える最低の条件(全員共通)

【1】当ブログのコメント欄に、少なくとも15件のコメントを書き込むこと(授業冒頭の自己紹介コメントを含めて15件)。欠席して映像を見ていない者は、You Tubeその他で映像を探して見てからコメントする、映像以外の関連事項につきコメントする、などせよ。

【2】4年生は12月17日(金)の記事に、3年生は2011年1月28日(金)の記事(この記事)に、1年間の授業全体をふり返ってのコメントをつけること。その際、各自、自分が書き込んだコメントの件数を数えて、それが20件であればコメントの末尾に【20】というように、忘れずに書き込むこと。これが最低【15】でなければアウト!! 残念!! わかった?

【締め切り】

4年生……2010年12月19日夜24時(20日0時) ※20日昼までに成績を付け、21日16時までに教務課に提出しなければならないので。
3年生……2011年1月31日夜24時(2月1日0時) ※31日が教務課への提出締切日だが、1日に速達で出すので。

●卒業を予定する4年生は、とくに注意のこと。授業を取っているのに出席したのをあまり見たことがないという友だちには、ちゃんと伝えるように。

●坂本が今年度、当ブログに書いた記事の件数は35本だ(左の「月別の記事」のカッコ内の数字を足す)。その半数以下のコメントしか書き込まない受講生に単位を与えるのは、いくらなんでもヒドい、甘やかしすぎだという気もするが(日大のどの教授が、受講生の書くレポートの倍以上のボリュームがある文章を受講生向けに書くってんだ!?)、まあ、オマケしておく。

水俣─患者さんとその世界─(後半) 2011-01-21

【先週と今週はこれ↓】
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水俣─患者さんとその世界─
1971年(167分)
製作/高木隆太郎
監督/土本典昭
撮影/大津幸四郎
第1回世界環境映画祭グランプリ、マンハイム映画票デュキヤット賞、ベルン映画祭銀賞、ロカルノ映画祭第3位
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坂本による解説、つづき。

●『水俣─患者さんとその世界─』は土本典昭(つちもと のりあき、1928~2008年)の代表作。もう一本と言われれば、坂本は『ある機関助士』(1963年のデビュー作。国鉄のPR映画だが、カネを出させた国鉄の意図とはかけ離れた名作。最高のSL映画との呼び声も)を挙げるが、もっともこだわったのが水俣問題。『医学としての水俣病』三部作 (1975)はじめ20本近い映像作品を残した。

●土本典昭は、その目指す「未知のドキュメンタリー」を、「(1)歴史的な尺度での人間への信頼、(2)映画人としての独立。(3)そして何より、科学をもって四囲のデータをかため、その科学を表現としての芸術に高める」ことによってのみ到達できると定義。自らの映画づくりに、以上3点の条件を厳しく課した。土本は「いわゆる通常TV局の客観的報道なるもの、Aの意見、Bの意見をならべるといったものと画然と区別されるファクターは、右の3点のほかに、両者ともに正負にせよ関係を持続しぬく覚悟であろう」という。

●土本典昭に、水俣との関係を持続することを覚悟させたものは、65年にテレビ取材で水俣を訪れたとき、患者家族が土本にぶつけた「なして撮るか」「撮ったって少しも体がよくならんばい、この子は。人を見せ物にして」という言葉だったとされる。この言葉に衝撃を受けた土本は、水俣で家を借り、本格的な撮影を開始する。その最初のまとめが、この映画だ。

●「カメラが対象(被写体)によりそう」という言葉があるが、それとは違うね。カメラを担ぐ者の、そこに居着くことによる関係性の構築というか、どうしてもカメラを持ってそこにいたかった(で、彼らに会ったり、ともにいたかった)というか。以上の「関係性の構築」について、たとえば『ゆきゆきて、神軍』原一男の「関係性の構築」と比較して考えてみよう。そのあり方は大きく違うが、両者とも「関係性」について模索し、もがき苦しんでいることがわかるだろう。

●いずれにせよ一般的なテレビの報道は、なるべく「関係性の構築」をしないように、取材したり撮影したりする。その多くは「客観報道」という名の「傍観者報道」「ゆきずり報道」だと、坂本は考えている。それではダメだと思う者が、ドキュメンタリーを撮る。だが、東京キー局では報道しなければならない事象が多すぎ、日々時々刻々の「客観報道」を送り出すだけで精一杯。「ゆきずり」でない「居続け」をしているヒマがない。

●地方局も、人も時間もないが、地方局の「客観報道」の多くは東京発(たとえば国会とか内閣がどうしたという政治報道は、キー局のものをそのまま流す)。だから、地方発の「客観報道」(これもほぼ手一杯だけど)の合間に、たとえば毎週土日にディレクターがカメラマンを頼んで(あるいは頼まず自分でカメラを回して)被写体を訪ね、半年かけてドキュメンタリー1本撮るという余地があるわけだ。なお、以上は民放の話で、規模が大きく人・時間・カネに余裕があり、視聴率を気にしなくてよい(視聴率と収入額が連動しない)NHKは話が違う。NHKは本体で「居続け報道」ができる。

参考:↓読んでみるといい。

土本典昭の100年の海へ http://wcnt2009.blogspot.com/

《坂本が授業で言ったこと。時間がなく、昨年度以前の授業で言ったことも含む》

●最初は港の魚を食った猫が、狂ったように飛び跳ねたり、よろけたりして死んだ。小さいものが大きいものに食われる「食物連鎖」を知っているだろう。汚染物質は、汚染されているものを食ったものにだんだん溜まっていき、最後に食ったものに大量に蓄積する。それが猫や人間だった。

●神経症状が出るので、患者が(キチガイ、狂人、狂ったと)忌み嫌われ、ひどい差別を受けた。「病気がうつる」という話もあった。症状は比較的軽いが、患者であるという理由だけで離縁された女性が映画に出てくる。病気の影響がなかったら、あの人は田舎ではとびきりの美人だったんじゃないか。いちばんひどい患者差別は、当の水俣で起こるんだよ。水俣の周辺地区では、魚が水俣同様に売れなくなるという理由で、同じ症状の患者発生が隠匿された(冒頭エピソード)。たとえば東京のヤツは、自分たちとまったく関係ない話と思っていた。

●「なにが高度成長か」と絶叫する演説が出てくるが、そのとおりだと思う。後半、村むらを訪ねて日のあたらない患者を発掘し声を挙げよと説得する人が出てくるが、あの家並みを見ても、「あの頃の日本は貧しかったな」と実感する。日本がGDPで西ドイツを抜き世界第2位の経済大国になったのは1968年で、この映画はその後なのだ(ちなみに中国がGDPで日本を抜き世界第2位の経済大国になったのは2010年)。70年代まで患者発生が続いたこと、患者認定や補償裁判の経緯から、国・県による原因究明、対策、補償が話にならないほど遅れたことは疑いない。そういうデタラメな国、無責任な国、貧しい国が日本だ、ということを忘れるな。

●映画に出てくる胎児性の子ども(昭和34年生まれ、36年生まれ)は、坂本(33年生まれ)と同い年くらいだ。「これは自分が小学生のときのものだ」と見る私は、到底、他人事《ひとごと》とは思えない。ただ水俣湾に面した地域に生まれ、おっ母さんが港に上がる魚を食っただけで、目が見えず、まっすぐ歩けない。大昔の話ではない。私と同世代、諸君の両親と同世代で、いまだに苦しんでいる人がいる。そういう「事実」を視野に入れておけ。

●映画は静かな海の、漁師の小舟から始まる。タコを採ってるじいちゃんも出てくるね。若い患者の遊ぶ場面や、胎児性の女の子(たぶん坂本とそう変わらない歳だ)が、ほかの子どもが遊んでいたり生活感ただようなかで、なんというかひょろひょろと歩くシーン。直接、病気がどう原因企業がこうでと言わない、ああいうシーンが(私の場合は)目に焼きつく。監督・土本典昭も「これだ」と思い「おおっ」と感動しながら撮ったんじゃないかと思う。間違っても、単なる公害告発映画と考えないように。

《坂本が授業で言わなかった追加》

●水俣病患者の不幸は、イケイケドンドンの高度経済成長の犠牲になり、見捨てられ放置されたというだけではない。「公害とは階級問題である」と主張するようなバカどもに利用され、患者救済運動が反政府運動のようになりすぎた面がある(古い『現代用語の基礎知識』なんか読んでごらん。公害は階級問題だと書いてある。ソ連・中国・東欧諸国の公害問題をまったく説明できない妄想が、公然と語られていた)。あまり指摘されないが(何しろ救済運動側の責任大という主張だから)、そのことが問題をこじらせ、解決を遅らせたことは否定できない。検証が必要だ。

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2010年度の授業はこれでおしまい。お疲れ。3年の受講生は1月26日付けの記事を熟読のこと。

水俣─患者さんとその世界─(前半) 2011-01-14

【今週と来週はこれ↓】
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水俣─患者さんとその世界─
1971年(167分)
製作/高木隆太郎
監督/土本典昭
撮影/大津幸四郎
第1回世界環境映画祭グランプリ、マンハイム映画票デュキヤット賞、ベルン映画祭銀賞、ロカルノ映画祭第3位
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以下、水俣病の解説。平凡社「世界百科大事典」ほかを参考に、坂本が簡単にまとめた。

●水俣病とは?

工場排水に含まれた有機水銀(メチル水銀)が海や川の魚介類を汚染し、それを食べた人間が発症した有機水銀中毒で、日本を代表する公害病。熊本県水俣市で最初に発見され、この名がつく。水俣湾を中心とする水俣病は1956年ころから見られ、59年7月には熊本大学医学部水俣病研究班が新日本窒素肥料(チッソ)水俣工場の排水が汚染源と特定。日本政府の正式認定は68年9月。政府が正式に解決策を提示したのは95年12月。ほかに新潟水俣病 (阿賀野川有機水銀中毒)も知られる。

●水俣病の症状は?

症状は中枢神経系の障害が特徴的。初期の患者では手足のしびれ、脱力、歩行時動の揺、言葉不明瞭、手足痛などに始まり、痙攣《けいれん》、よだれ、ふるえ、さらに四肢麻痺《マヒ》、視力障害、意識混濁、精神錯乱がみられ、発病3か月以内に過半数が死亡。このような典型的なメチル水銀中毒の症状は、初めて詳細に報告したイギリスの医師ら名にちなみ「ハンター=ラッセル症候群」と呼ばれる。以上の典型的、急性で症状が重い患者のほか、患者の家族や近隣者にもさまざまな神経症状が認められ「潜在性水俣病」と呼ばれる(明らかになったのは70年以降)。母親が妊娠中に有機水銀に汚染された魚介類を食べた胎児が発症したものは「胎児性水俣病」と呼び、水俣で六十数例ある。症状は一般の脳性小児麻痺によく似ている。

●水俣病患者の数は?

患者発生は1950年代から70年代前半まで。なんらかの汚染を受けた住民は20万人以上との見方もある。96年1月時点で、公害健康被害補償法に基づく熊本・鹿児島両県の公害被害者認定審査会が正式に水俣病と認定したのは2260人(棄却1万4205人、審査未処理者1019人)。新潟の認定患者は690人(棄却1304人)。

●水俣病の責任問題、補償問題の経緯は?

1969年6月に患者29世帯がチッソを相手に総額約6億4000万円の損害賠償請求訴訟を起こし(一次訴訟)、73年3 月に患者勝訴の熊本地裁判決。その後、患者らの1年8か月の座り込み運動などをへて、73年7月に患者とチッソが「水俣病補償協定」締結。さらに認定を棄却された患者の二次訴訟、国・県の責任と水俣病認定を求めた三次訴訟と裁判闘争が続き、96年5月の和解では一定の神経症状のある1万4000人が一時金280万円と医療費・療養手当を受けることに。

●水俣湾に汚染がなく、安全と確認されたのはいつ?

熊本県と国は、チッソが36年間水俣湾にたれ流した水銀を含むヘドロを、500億円近い費用と14年の歳月をかけて埋め立て、1990年3月に工事完了。 水俣湾内の魚の水銀値が3年間安全基準以下であったとして、熊本県知事が安全宣言を出したのは実に、患者発生から40年近い1997年7月だった。

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●ブログ開設は2006年ですが、1999年からマスコミ演習、マスコミII、放送特殊研究Vといった授業を担当しており、2005年以前のレジュメなど古いものも置いてあります。(坂本 衛)