テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

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開設:2006-05-25 (通年 4単位 3年以上 選択 江古田校舎 放送学科専門科目)

日本大学藝術学部放送学科「放送特殊研究V」(担当講師/坂本 衛)のブログ。2017年度のテーマは「放送・報道における日本語表現の研究」です。

ドキュメンタリー青春「おれはガンじゃない! 片腕の俳優 高橋英二の1年半」 2009-09-25

●ドキュメンタリー青春「おれはガンじゃない! 片腕の俳優 高橋英二の1年半」

●東京12チャンネル(現・テレビ東京)で、1970年3月6日放送

●ディレクター/田原総一朗

●約25分

●概要

役者・高橋英二は、片腕をガンに冒された。手術で片腕を切り落とす前日の、高橋の独白から、ドキュメンタリーは始まる。そこから、全身を癌に冒されて高橋英二が息絶えるまでの1年半が、“高橋本人の語り”(何じゃそれ!)によって構成され、描かれていく超異色・衝撃ドキュメンタリー。こんなもん、よくテレビで流したもんだと、きっと驚くはず。映画・演劇学科も含めて必見の映像!

●田原総一朗談(2008年10月23日夜、田原が電話してきたので、ついでに聞いておいた)

田原「高橋英二が『演技とは、演技とは、演技とは……』と身もだえしするシーンの後、週刊現代が、高橋はガンではない、偽のガン患者だと書いた。すると活字というのは恐いね。高橋が、自分は偽のガン患者だ、自分は本当はガンではないのだと思い始めた。そして、田原と一緒にいると、自分はガンにさせられてしまうと思って、僕から逃げ出した。だから、しばらく撮影が中断した。それから5か月。高橋の芝居仲間の榎本陽介(後、TBS「調査情報」、故人)が、もう高橋が危ない、今日か明日かの命だと、僕のところへやってきた。亡くなる2日前、二人で病院に見舞いにいった。そこで、高橋は歌を歌った。テープで音だけ録り、撮影はしなかった。この歌を最期のシーンに入れてくれと高橋英二はいった。それが霊柩車のシーンだよ」

田原「実は、撮影したが、使っていないシーンがある。高橋が亡くなって、彼のお母さんが、彼を抱きしめるシーンを撮った。しかし、死体を抱いているからね。テレビでは使えないと思って使わなかった」

田原「原一男は、これに衝撃を受けて、僕のテレビのアシスタントをしばらくやった」

坂本「作り手が、被写体の生にずけずけ踏み込んでいって、その生き方や行動に関与し、いわば共同作業でドキュメンタリーを撮る。作り手と対象の『共犯』関係を取り結ぶと、田原さんや原一男もいう。そういうドキュメンタリーが、いまはないでしょう。対象と距離を置いて、対象に影響を与えないように、客観的に撮るというか」

田原「そうだね。ない。テレビでできないよね。高橋英二、おもしろいでしょ」

坂本「おもしろい。こういうドキュメンタリー、田原さん、何本も持っているんですか。20本とか持っている?」

田原「そんなにないよ。何本か。だってもとはフィルムで、会社に内緒で自分で持ち出して、自分でVTRにしてもらったんだから」

坂本「じゃ、ほかのも貸してください。上映会やりましょう」

田原「わかった」

●悪いけど、以上は、去年書いたことの流用ね。以下は、坂本サイト「日録メモ風の更新情報」記事。

09-25
●日大授業、後期の第1回。放送特殊研究Vではドキュメンタリー青春『おれはガンじゃない! 片腕の俳優 高橋英二の1年半』(1970年3月6日、東京12チャンネルで放送)を上映。ディレクターは田原総一朗。終わってこんな話
●田原総一朗って人は知っている? テレビ朝日『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』見たことない? その二つの番組でガンガン咆えて、人の話を遮ってばかりいるおっさん? そんな側面もあるが、40年近く前には、こんなテレビ番組を作っていた。ディレクターだが、16ミリのカメラ(フィルム)を肩に載せて回してもいた
●役者と人間、演技者とガン患者、ガンに侵されアルコール漬けになった腕と肉体としての腕、演技と素の自分、主人公とナレーター、制作(撮影・取材)者と演出者、演出とやらせ、脚本とアドリブ、ドキュメンタリーとドラマ、フィクションとノンフィクションというように、何事にも”二重性”があるわけだ。このドキュメンタリーは、そんな二重性をそのままに、とにかく対象に迫る。で、同じ一人や同じ事象のなかで境界線がハッキリしない、曖昧模糊とした二重性をただ提示することで、何か感じ、考えてくれと言っている。とくに結論などない。ただ、過激である。到底いまのテレビでは放映できない。これは、そんなドキュメンタリーともつかないドキュメンタリーの一例だ。腕を切り落とす手術の前日から、1年半後に死に霊柩車で焼き場に向かうまで、ナレーションがすべて本人の声であることに注意
●この頃の田原や、その後の原一男がよく使った言葉に”対象との共犯関係”というのがある。カメラを向ける主体と向けられる対象、取材者と被取材者なんてものが、こっち側とむこう側というようにハッキリ区別できるのか。被取材者はカメラを向けただけで、いつもと違う者になる。取材者もカメラが映す対象によって、どんどん変質していく。映像はそんな相互作用で作られていく。撮す者と撮される者の間に一種の共犯関係が成立している。客観なんてウソだ。テレビカメラは、その関係を生み出す暴力的装置ともいえる。そのことを認識しない映像作品てのは、これは違うだろう──てな考え方だ。これは、互いに共犯であることを強く自覚した典型的なドキュメンタリーともいえる

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●ブログ開設は2006年ですが、1999年からマスコミ演習、マスコミII、放送特殊研究Vといった授業を担当しており、2005年以前のレジュメなど古いものも置いてあります。(坂本 衛)