テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

テレビ報道を考える!! 日本大学 藝術学部 放送学科 「放送特殊研究V」ブログ

開設:2006-05-25 (通年 4単位 3年以上 選択 江古田校舎 放送学科専門科目)

日本大学藝術学部放送学科「放送特殊研究V」(担当講師/坂本 衛)のブログ。2012年度の授業テーマは「[実践!]ネットは放送を殺すか?──ネットを理解することで、放送をより深く知ろう」。

コメントを書き込むことができない者は 2009-12-27

●何人かが書き込むことができているので、基本的に書き込むことができるはず。

●時間をおいて、何度も繰り返してみる。自分のプロバイダ、FC2(このブログ)のサーバー、その他途中の経路に一時的な不具合やトラフィックがある可能性がある。

●異なるパソコン(たとえば家にあるデスクトップとノートPC)で試す。PCの設定のせいかもしれない。

●異なる環境にあるパソコン(たとえば自分の、大学の、友だちの、ネットカフェのパソコン、あるいはいつもと異なる場所からネット接続した自分のノートPCなど)で試す。ネット接続に関する設定のせいかもしれない。

●以上をすべてやってみて、それでもダメな者は、

(1)次のページを熟読のうえ、
(2)書き込みたい内容(テキスト)をメールに書いて、
(3)坂本に送信してください。

参照すべきページ:電子メールのマナー(件名 返信 宛名 CC・BCC ファイル添付 改行など作法・ビジネス常識)

単位をくれるなら書かなくていいやと思うやつ 2009-12-26

●日大放送特殊研究Vの受講生は、単位はくれるのかというメールを寄こすヒマがあれば、さっさとコメントをつけなさい。授業で言ったとおり、その心配はいらない。単位はつけた。ただし、単位をくれるなら書かなくていいやと思うやつは、天罰が下ることを覚悟しなさい

●なぜか、ということを教えておこう。たとえば就職のとき、企業は最終選考段階で、入社させたいと思うやつの名前をGoogleに入れて調べるということを、すでにやっている。アメリカでもGoogleやMySpaceやFacebookでやっている。オバマが子どもたちに「書き込みはくれぐれも慎重に」とメッセージを出したほどだ。放送特殊研究Vブログは、授業の初めに全員に実名コメントを書かせたから、その後に書き込みをせずサボったやつが誰かは、企業側にわかるわけ。その結果、最終選考で落とされるかもしれないが、そのとき悔やんでも、もう遅い。それは坂本のせいではなく、自分が悪い。天罰とはそういうことです

●そうと知っていれば、この授業は取らなかったって? 取ってくれって頼んでないぜ。それどころか、シラバスに「映画学科など他学科も含めて、授業を取らない学生も、映像を見て構わない」という意味のことを書いたはず

●わかった? 大学内限定のブログでちまちまうじうじやっているシーラカンス教授(1月か2月にアスコムから出る茂木健一郎+田原総一朗の[もちろん仮タイトル→]『ええっ!? マジで? 脳って、そういうことだったのかよ!』みたいな対談本を御参照。まとめは坂本)連中とは、最初からやっていることが違うの。深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処《どこ》にも光はないわけよ。わかったら、さっさと書き込め!

【すべてを疑え!! MAMO's Site  日録メモ風の更新情報 12-26より】

4年生は、さっさとブログにコメントを書け! 2009-12-20

●放送特殊研究Vの受講生のうち4年生は、さっさとブログにコメントを書け!

もちろん一般の方も書き込むことができます。

レニ・ルーフェンシュタール『民族の祭典』や市川崑『東京オリンピック』なんかの再現部分や類似点の記述は、Wikiあたりよりは格段に詳細。田原総一朗『ドキュメンタリー青春「おれはガンじゃない! 片腕の俳優 高橋英二の1年半」』に至っては、ネット上の記述はこのブログだけでしょう。TBS「ハノイ 田英夫の証言」を戦後日本のテレビ報道が示した最良の映像の一つと評価しつつ、北ベトナムの宣伝映像が入っているのはマズいよなと書くのも、このブログくらいのものだと思うけれども

【すべてを疑え!! MAMO's Site  日録メモ風の更新情報 12-20より】

受講生はコメントよろしく。とくに4年は急げ!! 2009-12-18

●日大の補講はなし。

放送特殊研究Vの受講生のうち4年生は、成績をつけ単位をやらなければいかんので、年内12月31日をメドに、ブログにコメントを書き込むように。

20日までと言ったけど、こちらの準備が整わないので延ばす。

書き漏らしは1月中にやっつけて。

3年生も1月いっぱいで。

明日までに、坂本記事の書き込みとコメントができない不具合の調整を終える見込みです。

●コメントを書き込むことができない者は、坂本にメールせよ!

鳥取方式による校庭芝生化普及キャンペーン報道(日本海テレビ) 2009-12-11

●鳥取方式による校庭芝生化普及キャンペーン報道(日本海テレビ)は、2008年度ギャラクシー報道部門の大賞受賞作

●坂本は放送批評懇談会のギャラクシー賞選奨事業委員会・報道活動部門委員会の委員長。
審査は、委員それぞれが応募作のDVDを見て、メモなんかを作って別の日の審査委員会に臨むわけだが、坂本は自宅で一目見たとき、これが2008年度の応募作でいちばんよい、これが大賞だと思った。

●これに触れた坂本の総評は以下(GALAC2009年7月号所収)。

各局の熱意と頑張りを
高く評価する


 テレビ・ラジオ報道の多くは、単一の番組として完結しない。系列局の総力報道、地域局の連携報道、複数番組での調査報道、番組内特集で伝えるスクープ報道、番組内コーナーで伝える報道、イベントやサイトと連動するキャンペーン報道などがそうだ。そこで、「番組」ではなく「活動」を対象に報道活動部門がスタートして、今回で七年目となる。
 二〇〇八年度(〇八年四月~〇九年三月)の応募数は二九と、前年度よりやや増えた。百年に一度とされる経済危機で、放送が私たちを取り巻く厳しい現実の意味を再確認する必要を痛感した結果ならば、結構なことだ。放送局や制作者のみなさんの間に賞に対する理解が広がっていることも、うれしく感じている。
 一年を通しての応募作の印象は、「テレビ・ラジオ報道は、とても頑張っており、立派なものだ」という一言に尽きる。委員が毎回口にし、私も同感するのは、「報道活動部門の応募作だけを見れば、テレビはくだらないとか一億総白痴化の元凶とかいう言説が、まったく的ハズレだと実感できる」ことである。
 〇八年度も前年度から引き続いてテーマの多様化が見られ、これは大歓迎したい。強いて分類すれば環境関連が三分の一を占めるが、地方局の使命や得意技を明確に自覚し、地域に密着した個性的な切り口を持つものが多い。リサイクル・子ども・食と環境など具体的な各論に踏み込んだもの、多角的な視点から問題を扱うものがほとんどで、バラエティに富む点も評価できる。
 地方行政の問題、経済危機や過酷な労働問題、子どもの問題を扱うものも目立った。また、言論・報道の自由、女性たちが参加する番組づくり、過去のドキュメンタリーの現場再訪・検証など、メディアや制作者自身のあり方を問う報道活動が見られたことも特筆してよい。
 大賞に輝く日本海テレビジョン放送「校庭芝生化キャンペーン」は、行政への批判や要求ではなく、行政に頼らない「対案」を紹介し応援する点がすばらしい。結果的に、肥大化・硬直化する行政の現状、緑の環境の大切さ、子育てや学校教育のあるべき姿、国際・世代交流の意義、草の根的な参加社会の重要性などを具体的に提示して、説得力がある。
 おどろおどろしい行政追及ものよりはるかに地味な作りだが、行政の手法とはケタ違いに安価で効果的な手法を示し、結果として痛烈な行政批判となる。この行き方に、全局が学んでほしいと願う。
 優秀賞の朝日放送「クエ偽装」は、粘り強い長期取材のたまものだ。当事者へのしつこいまでの取材こそが報道活動の基本だと力強く示したことを評価する。
 同じく優秀賞を得た札幌テレビ放送「そこにある地球温暖化」は、洞爺湖サミットで氾濫した総花的な環境報道とは対照的に、北海道ならではの身近な温暖化を丹念に追う。その狙いと手堅い作りを評価する。
 以下選奨のNHK「名ばかり管理職」キャンペーンは圧倒的に部厚い取材を重ね、豊富な番組枠を駆使して、管理職の名で働かされる若者たちの悲鳴を伝える。十二分に発揮されたNHKの底力を評価する。
 関西テレビ放送「食物アレルギー」キャンペーンは、誤解する人が多い難問を、アレルギーをもつ子の家庭に密着するなど丁寧に取材した点を評価する。納豆問題で味噌をつけた局が、同じ食の問題を扱う番組で借りを返すのは、よい反省の仕方だ。
 毎日放送「農水利権追及」は、大阪局が中央官庁の霞ヶ関利権に切り込んで、系列キー局の報道にも貢献した。他局が敬遠しがちな難しいテーマに挑む姿勢を評価する。
過剰なバラエティ色が鼻につくものもあったが、各局の報道活動は、局と地域に応じて個性的であり、強いヤル気が感じられた。みなさんの一層のご活躍を祈りたい。

●参考:日本海テレビ 福浜隆弘アナ日記

阪神・淡路大震災の関連映像 2009-12-04

●見せた阪神・淡路大震災報道は、大阪の読売テレビが教材などで役立ててもらうために作ったもの。あまり刺激的な映像はなかったね。

●坂本サイトに参考になりそうな話が書いてある。たとえば、

阪神大震災報道の記録<後編>NHK&東京キー局

阪神大震災報道の記録<前編>神戸局・大阪局

検証!阪神大震災テレビ報道戦争の現場

テレビ50年 あまりになおざりな 回顧ものに唖然


●授業で言った、「南関東が引っかかる直下型地震は今後50年ほどで、ほぼ100%起こる」とは、以下のようなこと(坂本が以前に書いたある報告書の一節)

 首都直下地震は、首都圏で200~300年ごとに起こるマグニチュード8クラス(関東大震災級)の地震の合間に数回発生するとされるマグニチュード7クラスの地震である。
 現在、関東平野北西縁断層帯、神縄・国府津―松田断層帯、伊勢原断層帯、立川断層帯、三浦断層群などの断層が知られているが、都心部では厚い沖積層に覆われて断層の存在が確認できず、しかも歴史的に動いた記録のない断層が2000~数万年に1度動くことがありうる。したがって首都圏では、ほとんどの場所で、直下型地震が発生する可能性を否定できないのだ。図6に、現在までに知られている関東地方の活断層を示しておく。
 政府の地震調査研究推進本部・地震調査委員会の長期評価(2004年8月)も、次のように述べている。
 「南関東直下でM6.7~7.2の地震が、10年以内に発生する確率30%程度、30年以内に発生する確率70%程度、50年以内に発生する確率90%程度」
 つまり首都・東京は、近い将来、必ず巨大地震に襲われるのである。そして、地震のマグニチュードは、阪神・淡路大震災を引き起こした1995年兵庫県南部地震(M7.3)に匹敵する可能性が大きい。繰り返すが、その被害想定は、国の予算を大幅に上まわることすら否定できない想像を絶する規模なのである。

※坂本がじゃない、日本政府がそう言っているわけ。なお政府報告書が90%というときは、ほぼ100%と同義と思っていい(「100%」という表現は使わないので)。

●ついでにこれも必ずみておきな!

在来木造住宅震動台実験

木造3階建て軸組構法住宅の震動台実験

実家がこの映像の倒れたほうに似た作りで、耐震補強工事をしていない場合は、すぐやったほうがいい(行政の補助制度あり。数十万円といった金額でできるはず)。やらないのであれば、2階に寝ることを強く推奨する。2階にいれば死ぬことはない。

京都出張(立命館授業)にて休講ゴメン 2009-11-27

●京都出張(立命館授業)にて休講ゴメン

ゆきゆきて神軍(原一男監督)後半 2009-11-20

●以前に「撮られる者(カメラの対象)との共犯」ということを言ったね。これもその典型的な映像。

●日テレ電波少年が「アポナシ」って言葉を流通させた。でも、そんなのは昔からあるわけ。

●この映画に出てくる「岸壁の母」は、坂本が聞いた中でいちばん感動的な「岸壁の母」。昭和20年代の末頃、菊池章子(昭和22年の「星の流れに」で有名)が歌って大流行した。70年代以降は二葉百合子が浪曲調で歌い、いまでも懐メロ番組ではこの人が歌う(菊地章子は故人)。

●奥崎のキャラがものすごいので見過ごされがちだが、奥崎がたずねる日本兵たちも、それぞれ個性的でおもしろい。みんな普通の人だが、普通でない。人間の肉を食い、生死の境をさまよい、その過去を封印して戦後を長く生き、子どもを育て、家を持った。奥崎が責任追及するのは勝手だが、みなそれぞれ立派なものだね。きみらの爺さん婆さんや、きみらのひい爺さんひい婆さんも同じで、それぞれが立派なのよ。

●ニューギニア方面でこんなことがあったと示す映像は、日本には極めて少ない。その意味でも貴重な映像。ただし、日本人はなんて野蛮なの、とか間違えないように。「アンデスの聖餐」というのがあるが、極限状態ではヒトはヒトの肉を食いますよ。人間だけが残酷なんじゃない、チンパンジーだって同じ(余計な話だが、アメリカで脱走チンパンジーがヒトを襲って食った。アメリカではチンパン観が一変し、チンパンと遊ぼう式のテレビ番組が一斉に打ち切られ、本を書いてた研究者なんかがヤバいことになっているそう。友人のサル学者の話による)。

ゆきゆきて神軍(原一男監督)前半 2009-11-13

●ゆきゆきて神軍

●1887年 疾走プロダクション作品(122分)

●監督・撮影/原一男 製作/小林佐智子 録音/栗林豊彦 編集・構成/鍋島惇

●日本映画監督協会新人賞、ベルリン映画祭カリガリ映画賞、日本映画ペンクラブベスト1位、毎日映画コンクール監督賞ほか

●疾走プロサイトの惹句

87年の日本映画界を震撼させた驚愕の作品。
天皇の戦争責任に迫る過激なアナーキスト・奥崎謙三を追った衝撃のドキュメンタリー。
神戸市で妻とバッテリー商を営む奥崎謙三は、たったひとりの「神軍平等兵」として、・神軍・の旗たなびく車に乗り、今日も日本列島を疾駆する。
生き残った元兵士たちの口から戦後36年目にしてはじめて、驚くべき事件の真実と戦争の実態が明かされる…。
平和ニッポンを鮮やかに過激に撃ち抜いた原一男渾身の大ヒット・ドキュメンタリー

●あらすじ(注意 ネタバレあり)

神戸市でバッテリー商を営む奥崎謙三は、ニューギニア戦線の生き残り兵士で。かつて、死んだ戦友の怨念を込め、「ヤマザキ、天皇を撃て!」と叫びつつ、天皇にパチンコ玉4発を撃った。映画は、その奥崎が新左翼過激派の結婚式に立ち会うシーンから始まる。

奥崎はニューギニアに埋葬した島本一等兵の母を訪ねた。島本の母は墓の前で、「岸壁の母」を歌う。奥崎は、母をニューギニアに行こうと誘う。

奥崎の所属した独立工兵第36連隊では、終戦後20日以上たってから、「敵前逃亡」で兵士二人が銃殺された。奥崎は、吉沢徹之助の妹・崎本倫子、野村甚平の弟・寿也とともに、処刑に関与した上官らを訪ね、当時の状況を聞き出そうとする。

語りたくない、決して語ってはならないという者、処刑の様子を語り空砲を撃ったという者、上官の命令は絶対と述懐する者……。極限状況のなか人肉を食べたとの証言まで飛び出す。ときに下手に出てなだめすかし、ときに恫喝し、ときに激高しブチ切れる奥崎謙三。あるとき吉沢の妹・野村の弟は奥崎と絶縁する。

奥崎は、妻と知人に遺族役を演じさせ、古清水・元中隊長を訪ねて真相を質す。また、山田吉太郎・元軍曹を再び訪ねて、悲惨な体験を証言せよと迫る。

1983年12月15日、奥崎は古清水宅を訪ね、居合わせた息子に拳銃を発射して逮捕された。3年後には妻・シズミが死亡。87年1月28日、奥崎は徴役12年の実刑判決を受けた。映画は、以上を新聞見出しや字幕で告げる。

●原一男は、田原総一朗の著書『青春 この狂気するもの』(三一新書 1969年)を読んで、大きな影響を受けたという。田原総一朗監督「あらかじめ失われた恋人たちよ」の助監督を志望したが、かなわなかった。その後、テレビの仕事で田原のアシスタントをした。「ゆきゆきて神軍」の公開直後、坂本は田原総一朗とともに原一男に会った。ホテルの一室にテレビ・VTRを持ち込んで、ベッドの上に置き、映画を見ながら、田原が原一男にインタビュー。その原稿は、月刊誌「潮」に田原名義で載った(書いたのは坂本)。誰か、図書館ででも探してみて。

「原一男ブログ」や「疾走プロ」サイトものぞいてみよう。

ポケモンのパカパカ映像 2009-11-06

●ポケモン事件とは?

1997年12月16日(火)午後6時半~テレビ東京系列その他で放映されたテレビアニメーション番組「ポケットモンスター」38話「でんのうせんしポリゴン」を見ていた子どもたちの一部が、番組終わり頃に、意識を失って倒れけいれんしたり、気分が悪くなるという事件が発生。全国で700人ほどが救急車で病院に搬送された。

●詳細については、以下の坂本執筆記事を参照

[検証ポケモン事件]ピカチュウからの警告(「GALAC」1998年04月号)

宮藤官九郎の講演と重なり、そちらに行ってヨシ 2009-10-30

宮藤官九郎の講演と重なり、そちらに行ってヨシ

真田広之の講演と重なり、そっちに行くように! 2009-10-23

真田広之の講演と重なり、そっちに行くように!

聴衆の学生が少なく、送り込んでくれと講師室で言われたので、そうする。

坂本韓国出張のため休講です。よろしくね。 2009-10-16

坂本韓国出張(2009年10月14日~18日)のため休講です。よろしくね。

水俣─患者さんとその世界─(土本典昭監督)後半 2009-10-09

●「水俣─患者さんとその世界─」は土本典昭の代表作。もう一本と言われれば「ある機関助士」(1963年のデビュー作。国鉄のPR映画だが、カネを出させた国鉄の意図とはかけ離れた名作。最高のSL映画との呼び声も)だと思うが、もっともこだわったのが水俣。《医学としての水俣病》三部作 (1975)はじめ20本近い映像作品を残した。

●土本典昭は、その目指す「未知のドキュメンタリー」を、「(1)歴史的な尺度での人間への信頼、(2)映画人としての独立。(3)そして何より、科学をもって四囲のデータをかため、その科学を表現としての芸術に高める」ことによってのみ到達できると定義。自らの映画づくりに、以上3点の条件を厳しく課した。土本は「いわゆる通常TV局の客観的報道なるもの、Aの意見、Bの意見をならべるといったものと画然と区別されるファクターは、右の3点のほかに、両者ともに正負にせよ関係を持続しぬく覚悟であろう」という。

●土本典昭に、水俣との関係を持続することを覚悟させたものは、65年にテレビ取材で水俣を訪れたとき、患者家族が土本にぶつけた「なして撮るか」「撮ったって少しも体がよくならんばい、この子は。人を見せ物にして」という言葉だったとされる。この言葉に衝撃を受けた土本は、水俣で家を借り、本格的な撮影を開始する。その最初のまとめが、この映画。「よりそう」という言葉があるが、それとは違う。カメラを担ぐ者の、そのことによる関係性の構築というか、カメラを持ってそこにいて彼らに会いたいというか。



↓こんなのも読んでみるといい。

土本典昭の100年の海へ



《坂本が授業で言ったこと》
●最初は港の魚を食った猫が、狂ったように飛び跳ねたり、よろけたりして死んだ。小さいものが大きいものに食われるという「食物連鎖」を知っているだろう。汚染物質は最後に食った者に大量に溜まる。それが猫や人間だった。

●神経症状が出るので、患者が忌み嫌われ、ひどい差別を受けた。患者の家族という理由で離縁された女性が映画に出てくる。水俣の周辺地区では、魚が水俣同様に売れなくなるという理由で、同じ症状の患者発生が隠匿された。たとえば東京のヤツは関係ないと思っているわけ。いちばんひどい患者差別は、当の水俣で起こるんだよ。

●70年代まで患者発生が続いたことや裁判の経緯から、国・県による原因究明、対策、補償が話にならないほど遅れたことは疑いない。そういうデタラメな国、無責任な国、貧しい国が日本だ、ということを忘れるな。

●映画に出てくる胎児性の子どもは、私(1958年生まれ)と同い年くらいだ。ただ水俣湾のそばに生まれ、おっ母さんが港に上がる魚を食っただけで、目が見えず、まっすぐ歩けない。大昔の話ではない。私と同世代、諸君の両親と同世代で、いまだに苦しんでいる人がいる。そういう「事実」を自分の視野に入れておけ。

●映画は静かな海の、漁師の小舟から始まる。タコを採ってるじいちゃんも出てくるね。若い患者の遊ぶ場面や、胎児性の女の子(たぶん坂本とそう変わらない歳だ)が、ほかの子どもが遊んでいたり生活感ただようなかで、なんというかひょろひょろと歩くシーン。直接、病気がどう原因企業がこうでと言わない、ああいうシーンが(私の場合は)目に焼きついた。この作家も「これだ」と思い「おおっ」と感動しながら撮ったんじゃないか。間違っても単なる公害告発映画と思わないように。

《坂本が授業で言わなかった追加》
●水俣病患者の不幸は、イケイケドンドンの高度経済成長の犠牲になり、見捨てられ放置されたというだけではない。「公害とは階級問題である」と主張するようなバカどもに利用され、患者救済運動が反政府運動のようになりすぎた面がある。あまり指摘されないが(何しろ救済運動側の責任大という主張だから)、そのことが問題をこじらせ、解決を遅らせたことは否定できない。検証が必要だ。

「水俣─患者さんとその世界」(土本典昭監督)前半 2009-10-02

●水俣─患者さんとその世界─

●1971年(167分)

●監督/土本典昭 製作/高木隆太郎 撮影/大津幸四郎

●第1回世界環境映画祭グランプリ、マンハイム映画票デュキヤット賞、ベルン映画祭銀賞、ロカルノ映画祭第3位

●水俣病とは(平凡社「世界百科大事典」ほかを参考に、坂本が簡単にまとめておく)

工場排水に含まれた有機水銀(メチル水銀)が海や川の魚介類を汚染。それを食べた人間が発症した有機水銀中毒で、代表的な公害病の一つ。熊本県水俣市で最初に発見され、この名がつく。水俣湾を中心とする水俣病は1956年ころから見られ、59年7月には熊本大学医学部水俣病研究班が新日本窒素肥料(チッソ)水俣工場の排水が汚染源と特定。日本政府の正式認定は68年9月。政府が正式に解決策を提示したのは95年12月。ほかに新潟水俣病 (阿賀野川有機水銀中毒)も知られる。

症状は中枢神経系の障害が特徴的。初期の患者では手足のしびれ、脱力、歩行時動の揺、言葉不明瞭、手足痛などに始まり、痙攣《けいれん》、よだれ、ふるえ、さらに四肢麻痺《マヒ》、視力障害、意識混濁、精神錯乱がみられ、発病3か月以内に過半数が死亡。このような典型的なメチル水銀中毒の症状は、初めて詳細に報告したイギリスの医師ら名にちなみ「ハンター=ラッセル症候群」と呼ばれる。以上の典型的、急性で症状が重い患者のほか、患者の家族や近隣者にもさまざまな神経症状が認められ「潜在性水俣病」と呼ばれる(明らかになったのは70年以降)。母親が妊娠中に有機水銀に汚染された魚介類を食べた胎児が発症したものは「胎児性水俣病」と呼び、水俣で六十数例ある。症状は一般の脳性小児麻痺によく似ている。

患者発生は1950年代から70年代前半まで。なんらかの汚染を受けた住民は20万人以上との見方もある。96年1月時点で、公害健康被害補償法に基づく熊本・鹿児島両県の公害被害者認定審査会が正式に水俣病と認定したのは2260人(棄却1万4205人、審査未処理者1019人)。新潟の認定患者は690人(棄却1304人)。

1969年6月に患者29世帯がチッソを相手に総額約6億4000万円の損害賠償請求訴訟を起こし(一次訴訟)、73年3 月に患者勝訴の熊本地裁判決。その後、患者らの1年8か月の座り込み運動などをへて、73年7月に患者とチッソが「水俣病補償協定」締結。さらに認定を棄却された患者の二次訴訟、国・県の責任と水俣病認定を求めた三次訴訟と裁判闘争が続き、96年5月の和解では一定の神経症状のある1万4000人が一時金280万円と医療費・療養手当を受けることに。

熊本県と国は、チッソが36年間水俣湾にたれ流した水銀を含むヘドロを、500億円近い費用と14年の歳月をかけて埋め立て、1990年3月に工事完了。 水俣湾内の魚の水銀値が3年間安全基準以下であったとして、熊本県知事が安全宣言を出したのは実に、患者発生から40年近い1997年7月だった。

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●ブログ開設は2006年ですが、1999年からマスコミ演習、マスコミII、放送特殊研究Vといった授業を担当しており、2005年以前のレジュメなど古いものも置いてあります。(坂本 衛)